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 5-(11).元伊勢三社の配置(十字架のなごり)


 京都府福知山市にある元伊勢三社は、「5-(10).元伊勢三社(伊勢神宮の原型)」に記載した通り、かつての伊勢神宮であり、そのなごりを色濃く残している神社です。

 当記事では、この元伊勢三社の配置の確認を行います。


 三社の配置ですぐに分かることは、この三社が元伊勢内宮(ないくう) 皇大(こうたい)神社を頂点として、直角になるように配置されていることです。

 「天岩戸神社→内宮(ないくう)」の方位角(注)が94度、「内宮(ないくう)外宮(げくう)」への方位角が184度。184度−94度で90度、直角です。

     (注)方位角・・・北を0度とした時の角度。東は90度、南は180度になる
出発点 到達点 方位角 距離
天岩戸神社 元伊勢内宮(ないくう) 皇大(こうたい)神社 94°59′10.69″ 354.497(m)
元伊勢内宮(ないくう) 皇大(こうたい)神社 元伊勢外宮(げくう) 豊受(とようけ)大神社 184°40′51.07″ 3,092.203(m)
※緯度経度の算出は、「MAPPLE 地図」を使用
※方位角と距離は、「測量計算(距離と方位角の計算)」のPGMを使用

<参考:各神社の緯度経度>
神社名 北緯 東経 備考
天岩戸神社 北緯35度25分38秒 東経135度9分12秒  
元伊勢内宮(ないくう) 皇大(こうたい)神社 北緯35度25分37秒 東経135度9分26秒  
元伊勢外宮(げくう) 豊受(とようけ)大神社 北緯35度23分57秒 東経135度9分16秒  

 そして、「天岩戸神社―内宮(ないくう)」の延長線上に神社がないか探してみると、あるのが伊智布西(いちぶせ)神社(※「いちぶすじんじゃ」とも言われる)です。方位角94度のライン上にあります。
出発点 到達点 方位角 距離
元伊勢内宮(ないくう) 皇大(こうたい)神社 伊智布西(いちぶせ)神社 94°42′16.51″ 6,733.057(m)

<参考:各神社の緯度経度>
神社名 北緯 東経 備考
伊智布西(いちぶせ)神社 北緯35度25分19秒 東経135度13分52秒  
 伊智布西(いちぶせ)神社は京都府舞鶴市字桑飼下にある神社で、創祀年代は不詳ですが社伝によれば延喜五年(905)の造営とされます。主祭神は伊弉册(いざなぎの)(みこと)です。

 次に、内宮(ないくう)を中心として、外宮(げくう)と点対照となる位置に神社がないかを探してみます。

 残念ながらありません。

 ただし、ここは、あくまで元伊勢。かつて伊勢神宮であった場所であり、現在の伊勢神宮ではありません。

 おそらく、この地がかつて伊勢神宮であった頃には、この点対照となる位置に神社があり、そして、伊勢神宮が遷宮される際に、十字架の型を壊したのではないかと思われます。
 この地が、イエス・キリストが鎮座する場所ではなくなり、十字架を形成する必要がなくなったからです。


 以上の内容を地図上に記載すると次のようになります。

       


 なお、湯舟山については上で記述しませんでしたが、「内宮(ないくう)―湯舟山」ラインと「内宮(ないくう)伊智布西(いちぶせ)神社」ラインがそれぞれ方位角が91度と94度で3度の開きとなっています。

出発点 到達点 方位角 距離
元伊勢内宮(ないくう) 皇大(こうたい)神社 湯舟山 91°22′39.89″ 2,548.520(m)
※緯度経度の算出は、「MAPPLE 地図」を使用
※方位角と距離は、「測量計算(距離と方位角の計算)」のPGMを使用

<参考:各神社の緯度経度>
神社名 北緯 東経 備考
湯舟山 北緯35度25分35秒 東経135度11分7秒  

 この湯舟山は、「5-(7)伊勢神宮の配置の秘密(グランドクロス)」で記載した十字架の足台部分に相当するわけですが、特にこの湯舟山を示唆するラインは見つけることができませんでした。

 また、湯舟山が霊山として信仰されているわけでもないようですので、十字架を形成する要素の一つとして意図されているかは不明です。



 以上、元伊勢三社の配置を確認することにより、十字架のなごりを見出すことができました。
 
 「5-(7)伊勢神宮の配置の秘密(グランドクロス)」で記載した十字架と比べると、内宮(ないくう)が十字架の交点となっており、見つけるのも容易で、非常に分かり易い構造になっています。また、罪状書部分に相当する天岩戸神社も、十字架の縦木のライン上に配置されています。

 おそらく、これは、現在の伊勢神宮で形成されるグランドクロスの原型、前段階のものと言えるのではないでしょうか。



 ただし、一点気になるのは、伊智布西(いちぶせ)神社の創建が社伝によると延喜五年(905)で、比較的新しいということです。

 この伝承が正しいのなら、伊智布西(いちぶせ)神社が造られたのは、元伊勢三社の創建のずっと後ということになり、上の十字架は成立しません。

 伊智布西(いちぶせ)神社は、「延喜式神名帳」に「加佐郡伊知布西神社」という記載が見られますが、その「延喜式」の編纂が開始されたのが「延喜五年(905)」で、社伝の創建年と同じです。

 単なる想像ですが、社伝の創建年は「延喜式」の編纂年を元に「その時点で既にあった」ということで、伝えられてきたものではないでしょうか。

 また、もし、仮に、元伊勢三社の創建時に伊智布西(いちぶせ)神社がなかったとすれば、当時は、内宮(ないくう)を中心として天の岩戸神社と点対称となる位置に神社があり、十字架ではなくT字架を形成していたと思われます。





 ちなみに、元伊勢三社の内宮(ないくう)外宮(げくう)の間の、二股駅付近には猿田彦神社があります。

 小さな神社(神社というより祠)で地図上にも表示されていない為に座標が不明であり、具体的にどのような配置になっているかは現時点では不明です。






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