5-(5).須佐之男(すさのをの)(みこと)月読(つくよみの)(みこと)


 伊邪那岐(いざなきの)(みこと)が生んだ次の三貴子(みはしらのうずのみこ)の内、月読(つくよみの)(みこと)須佐之男(すさのをの)(みこと)は同一人物です。

  ○天照大御神(あまてらすおほみかみ)
  ○月読(つくよみの)(みこと)
  ○須佐之男(すさのをの)(みこと)

 根拠は以下の通り。
<月読(つくよみの)(みこと)の活躍する物語がない>

 月読(つくよみの)(みこと)は、伊邪那岐(いざなきの)(みこと)から自分が治める場所を告げられるのを最後に、その後、一切登場しません。あるのは、天照大御神(あまてらすおほみかみ)須佐之男(すさのをの)(みこと)の物語だけです。
 「三貴子(みはしらのうずのみこ)」と称するほど重要な神の一人にも関わらず、物語が一切、存在しないのは、月読(つくよみの)(みこと)須佐之男(すさのをの)(みこと)が同一人物だからです。


<大気津比売(おほげつひめの)神を殺した神が、古事記と日本書紀の一書で一致していない>

 大気津比売(おほげつひめの)神を殺したのは、古事記では須佐之男(すさのをの)(みこと)、日本書紀では月読(つくよみの)(みこと)になっていますが、これは単に、同一人物の別名なので矛盾する記述とはなりません。

  ※大気津比売(おほげつひめの)神は、日本書紀では保食(うけもちの)神になっています。どちらも食物を掌る神。


<天照大御神(あまてらすおほみかみ)須佐之男(すさのをの)(みこと)が原因で隠れることになる> (2009.6.13追記)

 天照大御神(あまてらすおほみかみ)須佐之男(すさのをの)(みこと)が原因で天の岩屋戸に隠れることになりますが、日食で太陽が隠れる原因となるのは月。天の岩屋戸の物語では、太陽である天照大御神(あまてらすおほみかみ)に対して、須佐之男(すさのをの)(みこと)が月の役割を担っています。


<須佐之男(すさのを)系の物語で、月を象徴するウサギが登場する>

 「稲羽(いなば)素兎(しろうさぎ)」の物語では、大国主(おほくにぬしの)(みこと)が痛み苦しんでいたウサギを助け、そのウサギから「あの大勢の神々は、きっと八上比売(やがみひめ)(めと)ることができないでしょう。袋を背負ってはいますが、あなた様が(めと)られるでしょう。」と告げられています。
 ウサギが象徴するものは月で、この話は、須佐之男(すさのを)系が月の祝福を受けていることを示しています。

 一方、天照(あまてらす)系の物語では、太陽を象徴するカラスが登場します。神武(じんむ)天皇の東征の際、道案内をした八咫烏(やたがらす)です。
 古代中国でも三本足のカラスは太陽の象徴とされ、また、ギリシャ神話の太陽神アポロンもカラスを使役します。おそらく、太陽の黒点をカラスに見立てていたのでしょう。

 つまり、天照(あまてらす)系が太陽なら、須佐之男(すさのを)系は月で、やはり、月との関係が示されているのです。


 なお、須佐之男(すさのをの)(みこと)を分けて、わざわざ二人にした理由は、旧約聖書のセム、ハム、ヤペテに対応させる為です。(※詳細は拙著を参照願います)





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