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 5-(12).浦島太郎の正体(その1)


 浦島太郎。

 言わずと知れた昔話の主人公です。

 その源流はかなり古く、「丹後国風土記」(注)の逸文にその物語の原型が記されています。
(注)「風土記」とは、奈良時代の元明天皇の治世にあたる和銅6年(713年)に、諸国の国司に命じて作成させた文書のこと。
 現存しているのは、常陸、播磨、出雲、豊後、肥前の五か国だけで、それ以外は、後の世に引用された逸文から、その断片が知ることができるのみ。
 この「丹後国風土記」の逸文に記載されている浦島太郎の物語とは次のものです。

<現代語訳・概略>

 与謝郡、日置(ひおき)の里に筒川という村があった。その村に日下(くさかべの)部首(おびと)の先祖で、嶼子(しまこ)という容姿端麗でたいへん洗練された男性がいた。彼は水の江の浦嶼子(しまこ)としても知られている。

 雄略天皇の治世に、嶼子(しまこ)はひとり船に乗り、海へ釣りに出かけた。しかし、三日間魚は釣れず、あきらめようとした時、五色の亀がかかった。不思議なこともあるものだと思い、それを船に引き揚げて眺めているうちに、嶼子(しまこ)は眠ってしまう。

 しばらくして眠りからさめると、目の前にはたいそう美しい乙女がいた。その乙女が言うには、自分は天上にある(ひじり)の家のもので、遠くからずっと嶼子(しまこ)のことを思っていたとのこと。

 嶼子(しまこ)もこの乙女の思いを受け入れ、この亀比売(ひめ)に連れられて海に浮かぶ大きな島の蓬莱に出向く。そこは、地面はまるで真珠をしきつめたようであり、大きな御殿は日を覆い隠すほど高くそびえ、楼閣はきらきらと照り輝いていた。

 やがて、二人は大きな門の前に到着すると、乙女は嶼子(しまこ)を残して中に入っていく。すると、子供が七人やってきて、「こちらが亀姫さまの旦那さまになられる方だ」と口々に言った。次に、八人の子供たちがやってきて「亀姫さまの旦那さまはこのお方だ」と言った。それで嶼子(しまこ)は乙女の名前が亀姫というのを知った。
 乙女が戻ってきたので子供たちのことを尋ねると、乙女は「七人の子供たちはすばる星、八人の子供たちは雨降り星」と答え、嶼子(しまこ)を家の中に案内した。

 乙女の父と母はそろって嶼子(しまこ)を迎え、席をすすめた。卓には数えきれないほどのご馳走が並び、兄弟姉妹もそろって杯を交わした。仙歌(とこよのうた)は声高く澄みとおって響き、神舞は流れるように優雅、その宴の楽しさは人の世の宴とは比べ物にならないほどだった。日が暮れていくことも知らぬまま時間がたち、やがて、嶼子(しまこ)と乙女は夫婦になった。

 月日は流れ三年がたった。嶼子(しまこ)はいつしか故郷を懐かしく思い出すようになり、両親のことが気がかりでならなくなった。その思いは日ごとに大きくなっていくばかり。
 そうして、嶼子(しまこ)は乙女にそのことを話し、故郷へ戻ることになる。旅立ちの日、両親も親戚も切ない思いで嶼子(しまこ)を見送った。

 乙女は小箱を取り出すと、嶼子(しまこ)に渡しながらこう言った。
「こんな私のことでも、忘れずにいて下さい。この玉匣(たまくしげ)(※化粧箱)があれば、もう一度、ここに戻って来ることができます。ただし、どんなことがあっても開けてはいけません」

 乙女と約束をして別れを告げると、嶼子(しまこ)は船に乗って目を閉じた。すると、あっという間に筒川の里についていた。
 ところがそこでは行き交う人も、家も何もかも、見覚えのあるものはない。そこで村人に尋ねると、嶼子(しまこ)が三百年も前に一人で海に出かけたまま戻って来なかった人だとされていることを知った。

 嶼子(しまこ)は呆然として故郷を歩き回ったが、顔見知りの者には誰にも会うことができなかった。そして、気がつけば、はや十日間が過ぎ去ってしまっていた。

 寄る辺もない嶼子(しまこ)は乙女への思いを募らせ、会いたさのあまり約束のことも忘れて、玉匣(たまくしげ)を開けてしまう。するとたちまちかぐわしい蘭のような乙女のからだが雲となって立ち上り、風に流されて青空の向こうへと消えてしまった。

 嶼子(しまこ)は、はっと我に返って、約束のことを思い出した。もはや二度と乙女にも会えなくなったことを知ると途方にくれ、涙を流しながら歌を詠むと、雲の彼方から「決して私を忘れないで下さい」と歌い応じる妻の声が聞こえてきた・・・・・。


 これが、現存する最古の浦島太郎の物語ですが、我々の知る物語とは若干違っていることが分かります。主な相違点は次の通りです。

  ・子供たちにいじめられている亀を助けたわけではない
  ・行ったのは竜宮城ではなく、海のかなたにある常世の国の蓬莱
  ・亀が乙女で、浦島太郎の物語の乙姫に当たる
  ・玉匣(たまくしげ)(玉手箱)を開けても、老人にはならない


 さらに、浦島太郎の物語は万葉集にも掲載されていますので、その内容も紹介します。万葉集巻九の高橋歌麿作の長歌(歌番号1740)です。

<「詠水江浦嶋子一首」 (現代語訳・概略)>

 水の江の浦嶋の子が住吉の海に釣りに出かけると、鰹や鯛が釣れに釣れ7日が経った。

 そして、知らぬ間に海の果てまでやってくると海神(わたつみ)の娘(亀姫)と出会った。二人は語らいて結婚し、常世にある海神(わたつみ)の宮で暮らすこととなった。

 3年ほど暮らし、浦嶋の子は故郷がなつかしくなって海神(わたつみ)の娘にいとまごいをすると、「常世に帰ってきて、また会いたいと思うならば、決してこれを開いてはいけません」と玉篋(たまくしげ)を渡され、住吉に帰ってきた。

 海神の宮で過ごした3年の間に家や里は無くなり、見る影もなくなっていた。思わず玉匣(たまくしげ)を開けると、常世との間に白い雲がわき起こり常世へと棚引いた。浦嶋の子はそれを追いかけて走り、叫び、悲しみに身もだえし、放心状態になった。そして、若かった肌はしわくちゃになり、黒かった髪は白くなって老人の様になり、ついには息絶えてしまった。


 万葉集の方は、ほぼ、丹後国風土記の逸文と同じ。
 主な相違点は次の通りです。

  <物語の舞台>
    ○丹後国風土記・・・丹後国与謝郡日置(ひおき)の里の筒川村
    ○風土記・・・住吉(※大阪)

  <行った先>
    ○丹後国風土記・・・海のかなたにある蓬莱
    ○風土記・・・海神(わたつみ)の宮
      ※ただし、どちらも「常世の国」であり、同じ場所を指していると考えて良いでしょう

  <最後>
    ○丹後国風土記・・・老人になったとは記載されていない
    ○風土記・・・老人になって死ぬ


 また、この浦島太郎の物語は、「海幸彦と山幸彦」の物語との関連が良く指摘されるところです。
 「海幸彦と山幸彦」の物語とは次のようなものです。

<古事記 「海幸彦と山幸彦」 (現代語訳・概略)>

 ある日、山幸彦(※穂穂手見(ほほでみの)(みこと)。天照大神のひ孫にあたる)は兄の海幸彦とさちを交換し海で釣りをするが、その際、兄から借りた釣り針を失くしてしまう。兄は激しく怒り、山幸彦は別の釣り針を作って返そうとするが、元の釣り針を返せの一点張りで取り合わない。

 憂い泣いていた山幸彦は塩椎(しほつちの)神のアドバイスで海中の綿津見(わたつみの)神の宮に向かう。そこで山幸彦は、綿津見(わたつみの)神の娘である豊玉(とよたま)毘売(びめ)に見染められ二人は結婚して暮らす。

 三年後、山幸彦は綿津見(わたつみの)神の宮に来たいきさつを思い出し嘆きだす。そこで、綿津見(わたつみの)神に事情を話すと、鯛の喉から例の釣り針が見つかる。

 山幸彦は地上に戻って、綿津見(わたつみの)神から習った呪術と神具を使って海幸彦を服従させる。


 海神の宮に行くところ、また、その海神の娘に見染められて結婚するところ、さらに、3年後に嘆き出して地上に戻るところなど、浦島太郎の物語と一致しています。


 拙著で指摘した通り、「海幸彦と山幸彦」の物語とは、天皇の地位を奪われた仲哀天皇と、それを奪った景行天皇(=スサノオ)の物語が反映したものです。

 この観点から言えば、浦島太郎の正体は仲哀天皇、そして、乙姫の正体はその妻である神功皇后ということになり、また、浦島太郎が行った海神(わたつみ)の宮は実際には出雲ということになります。

 浦島太郎が故郷に戻ってきた時、「自分の家もなく、知っている人が誰もいなかった」というのは、自分の家、つまり、天皇家がスサノオに奪われて無くなってしまっていたこと、そして、「知っている人」であるアマテラス派の人々が追放され、皆、スサノオ派の人物に変わっていたことを表しているのです。



 以上、当記事では、浦島太郎の物語の紹介でほぼ終わってしまいましたが、次の記事では、この観点からさらに詳細に説明したいと思います。





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