5-(32).稲荷神社と「ヨハネの黙示録」(その1)


 稲荷神社は、「お稲荷さん」、「お稲荷様」の名で親しまれ、赤い鳥居と狐が特徴的な神社です。全神社の中でも最大の社数を誇る神社であり、日本人であるならば稲荷神社を目にしたことのない人というのはいないでしょう。。

 稲荷神社の総本社は京都の伏見稲荷神社で、主祭神は宇迦之御魂(うかのみたまの)神です。

 伏見稲荷神社の鎮座は和銅4年(711年)で、創建したのは(はたの)伊侶巨(いろこ)。広隆寺や松尾大社などと同じく(はた)氏が関連しています。

 主祭神である宇迦之御魂(うかのみたまの)神の「ウカ」は穀物・食物を表し、穀物の神とされています。


 この宇迦之御魂(うかのみたまの)神は次の図のように、鎌を持ち、稲束を担った姿で表現されます。


 ご覧の通り、穀物の神らしい姿で描かれていますが、実は、この姿は、「ヨハネの黙示録」にある再臨のキリストを描いたものなのです。

 「ヨハネの黙示録」では、次のようにキリストの姿が描かれています。

 それらの燭台の真ん中には、足まで垂れた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人のような方が見えた。
 その
頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また、雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。
 その足は、炉で精錬されて光り輝く真鍮のようであり、その声は大水の音であった。
 また、右手に7つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。(1章13-16節)

 また、私は見た。見よ。白いが起こり、その雲には人の子のような方が乗っておられた。頭には金の冠をかぶり、手には鋭い鎌を持っておられた。
 すると、もうひとりの御使いが聖所から出て来て、雲に乗っておられる方に向かって大声で叫んだ。「鎌を入れて刈り取って下さい。
地の穀物は実ったので、刈り入れる時が来ましたから。」
 そこで、雲に乗っておられる方が、地に鎌を入れると地は刈り取られた。(14章14−16節)


 また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実」と呼ばれる方であり、義をもって裁き、戦いをされる。
 その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身の他は誰も知らない名が書かれていた。
 その方は
血に染まった衣を着ていて、その名は「神の言葉」と呼ばれた。
 
天にある軍勢は真っ白な、清い麻布を着て、白い馬に乗って彼に付き従った。(19章11−14節)

 右図の宇迦之御魂(うかのみたまの)神の姿が、「ヨハネの黙示録」の記述と恐ろしく一致していることが分かるでしょう。
 なお、図に描かれた宇迦之御魂(うかのみたまの)神の衣は、上に着ているものだけ白で、後は全て赤です(靴は除く)。明記はされていませんが、再臨のキリストの着ている衣は、血に染まる前は天にある軍勢と同じく白であったと思われます。白は清浄さ、貞潔を表す色です。

 なお、胸部に描かれているのは、三つの宝珠ですが、「玉」=「魂」で三つの魂、つまり、「父と子と聖霊」の三位一体を表しています。

 
稲荷曼荼羅図(やよい文庫蔵

 以上、上記図柄の宇迦之御魂(うかのみたまの)神は「ヨハネの黙示録」に描かれた再臨のキリスト、より具体的には、天使に「鎌を入れて刈り取って下さい。地の穀物は実ったので、刈り入れる時が来ましたから。」と言われ、良い実をならせた人々を刈り入れた後の状況を描いたものなのです。


 さらに、図の他の箇所も解釈してみましょう。

 まず、一番下の2匹の狐です。
 左の狐がくわえているのは巻物、右のは鍵です。

 これは、左の巻物が封印を施された巻物であり、それを読み解くには鍵が必要であることを示しています。
 封印を施された巻物とは、もちろん、「ヨハネの黙示録」のこと。「ヨハネの黙示録」には次のような記述があります。
 また、私は、御座に座っておられる方の右の手に巻物があるのを見た。それは内側にも外側にも文字が書き記され、7つの封印で封じられていた。(5章1節)
 正確には、「ヨハネの黙示録」自体は、この巻物の封印が解かれることによって、ヨハネが視た内容を記述したものですが、「ヨハネの黙示録」自体にも封印が施されており、その文章を単に読んだだけでは内容が正確に把握できないように仕組まれています。

 また、右の鍵は、「ダビデの鍵」で、封印を解くために必要とされる知恵の象徴です。
 聖なる方、真実なる方、ダビデの鍵を持っている方、彼が開くと誰も閉じる者がなく、彼が閉じると誰も開く者がない、その方がこう言われる。(3章7節)
 「ダビデの鍵を持っている方」とはキリストのことです。

 そして、狐自体ですが、何故、お稲荷様の神使が狐であるのかは、次回以降の記事で記載します。


 次に、真ん中の二神の解釈です。

 左は大黒様に似た姿で福の神、右は様々な武具を持った戦神が描かれています。

 これは、再臨するキリストの二面性を表しています。より具体的には、良い実をならせた者と悪い実をならせた者への対応の違いです。

 左側には米俵が描かれています。一番上では刈り入れが行われた直後の姿が描かれていましたから、米俵で、二段目がさらに、その後の出来事であることを示しています。

 米俵に入っている米は、キリストによって刈り取られた、良い実をならせた人たちです。さらに、その上に神が乗っていますから、この、良い実をならせた人たちは、キリストの支配下にあることを表しています。

 「ヨハネの黙示録」には次のように記載されています。
 彼らは、大きな艱難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って白くしたのです。
 だから、彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。
 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。
 何故なら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかり拭い取ってくださるのです。(7章14-17節)

 御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊の御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、12種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。
 もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ視る。また、彼らの額には神の名がついている。
 もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光も知らない。彼らは永遠に王である。(22章1-4節)
 つまり、左側の大黒様のような図柄は、良い実をならせた者たちがキリストの統治下に入ることによって与えられ、享受する様々な幸福が描かれているのです。手に持っている打出の小槌と袋は、その様々な幸福を象徴しています。

 そして、良い実をならせた者たちには、キリストにより幸福が与えられますが、一方、良い実をならせることが出来なかった者たちは、この幸福は与えられません。

 良い実をならせることが出来なかった者たちは、キリストの代わりに天使が刈り入れ、神の激しい怒りの大きな酒ふねに入れられて踏まれることになります。(14章17-20節)

 また、神に反する獣とその信従者たちは、キリストの軍勢に戦いを挑みますが、敗北して火の池に投げ込まれたりして殺されます。
 また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。
 すると、獣は捕らえられた。また、獣前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあの偽預言者も、彼と一緒に捕らえられた。そして、この二人は、硫黄の燃えている火の池に生きたままで投げ込まれた。
 残りの者たちも、馬に乗った方の口から出る剣によって殺され、全ての鳥が彼らの肉を飽きるほどに食べた。(19章19-21節)
 上の右側の図柄は、この、獣の軍勢と戦って勝利し、神罰を与える戦神としての再臨のキリストを描いているのです。


 以上、上の図柄は、「ヨハネの黙示録」の再臨のキリストを表現したものに他ならないのであり、稲荷神社の主祭神である宇迦之御魂(うかのみたまの)神の正体は再臨のキリストなのです。


 なお、宇迦之御魂(うかのみたまの)神が描かれる場合は、上述したように、「鎌を持ち、稲束を担った姿」が一般的ですが、他のパターンも見てみましょう。


 右の図は、常陸国(茨城県)笠間稲荷に伝わるお札です。

 右手には稲穂を持ち、これは、刈り取った後の良い実。そして、右手には鎌ではなく宝珠を持っています。

 通常、宝珠は神が持つ様々な神力の象徴ですが、おそらく、「いのちの木の実」を表しているのではないかと思われます。
 「いのちの木の実」は、エデンの園の中央に生えていたとされる「知恵の木」と「いのちの木」の二本の木の内の一つで、その実を食べたものは永遠の命を得ると言われています。

 「ヨハネの黙示録」には、良い実をならせた者たちには、「いのちの木の実」が与えられ、永遠の命を得ることが記述されており、右の図はそのことを示しているのでしょう。

 また、胸の部分には、上の図柄と同じく三位一体を表す三つの宝珠が描かれています。

 なお、再臨のキリストが乗る動物は、白い馬ですが、何故、白狐なのかは、先述の通り、次回以降の記事にて記述します。


 次に、その下の図は、箭弓(やきゅう)稲荷神社の神符です。


 箭弓(やきゅう)稲荷神社は埼玉県東松山市にあり、創建は和銅5年(712年)と伝えられる由緒正しい神社です。なお、伏見稲荷神社の創建が711年ですから、ほぼ同時期に建てられたことが分かります。

 右図では、稲穂は一切、描かれることなく、弓矢を持つという、宇迦之御魂(うかのみたまの)神としては異色の姿ですが、これも、「ヨハネの黙示録」の記述で説明することができます。

 また私は、見た。小羊が7つの封印の1つを解いたとき、4つの生き物の1つが雷のような声で「来なさい」と言うのを私は聞いた。
 私は見た。見よ。
白い馬であった。それに乗っている者は弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上にさらに勝利を得ようとして出て行った。(6章1-2節)
 ちなみに、ここで描かれているのは、再臨するキリストがこの世へと転生して行く姿です。





 以上、当記事では、稲荷神社の主祭神である宇迦之御魂(うかのみたまの)神の図柄に絞って見てきましたが、その総本社である伏見稲荷神社にも、当然、「ヨハネの黙示録」の影響があります。

 次の記事では、その点を中心に解説したいと思います。





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