キリスト教の女性蔑視 |
ご存知の方もいると思いますが、ローマ・カトリック教会は教義上、女性聖職者を認めておらず、女性は聖職者である司祭に叙せられることはありません。(※東方正教会も同じ。ただし、プロテスタント系の教会では女性聖職者はいます)
女性蔑視ともとられかねない教義ですが、旧約聖書には女性預言者もいますし、イエスの言葉が記載された福音書には、それを示唆するような記述はありません。
ただ、福音書には女性蔑視と言える記述はありませんが、それ以外の新約聖書を構成する書物には、あからさまな記述があったりします。
例えば、次の記述です。
<コリント人への第一の手紙 14章33-36節>
神は無秩序の神ではなく、むしろ平和の神だからである。
聖なる者たちの全ての教会においてそうであるように、女性たちは教会においては黙りなさい。というのも、彼女たちに語ることが許されていないからである。むしろ律法も命じているように、彼女たちは服従しなさい。もしも彼女たちが何か学びたいと欲するなら、家で自分たちの夫に尋ねなさい。女性にとって教会において語ることは恥ずべきことだからである。
それとも、神の言葉は、あなたがたから出て来たのか。それとも、それはあなたがたのところにだけやって来たのか。
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これは、パウロがコリント教会に宛てて出したた手紙の一部です。「女性たちは教会においては黙りなさい」と、司祭になるどころか、教会で喋るなと言っています。
これと似た内容は、次の手紙にも見られます。こちらもパウロの手紙です。
<テモテへの第一の手紙 2章11-12節>
女は、静かに、ことどとく従属しつつ学ぶべきである。女が教えることを私は許さないし、また男に指図することも許さない。むしろ、静かにしているべきだ。
なぜならば、アダムが最初に造られ、次にエヴァが造られたからである。しかも、アダムはだまされなかったが、女はすっかりだまされて、神の掟を逸脱した。しかし女は、貞淑さをもって信仰と愛と清らかさに留まり続けるならば、子を産むことによって救われることになる。
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こちらでは、「女が教えることを私は許さないし、また男に指図することも許さない」と言っています。
また、「人類の始祖のエヴァが最初に罪を犯し、さらに夫をそそのかして罪を犯させた。女性はその罪を受け継いでいる」なんて話も聞くことがありますが、上の記述はその発想に基づいたものと言えるでしょう。
これらの記述だけ見ると、「パウロは古い時代の人間だし、女性蔑視の考えを持ってたんだなぁ」なんて思うかも知れませんが、実は、そう単純な話ではありません。
同じ、「コリント人への第一の手紙」の別の箇所を見てみましょう。
<コリント人への第一の手紙 11章3-5節、9-10節>
しかし私は、全ての男性の頭はキリストであり、女性の頭は男性であり、キリストの頭は神であるということを、あなたがたに知って欲しい。
頭にかぶりながら祈りをしたり預言をしたりする全ての男性は、彼の頭を侮辱する。しかし、頭に覆いにかけないで祈りをしたり預言をしたりする全ての女性は、彼女の頭を侮辱する。なぜならば、彼女は髪を剃られてしまった女性とまったく選ぶところのないものだからである。
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むしろ、女性が男性のゆえに創造されたのである。そういうわけで、女性は頭の上に権威を、御使いたちのゆえに持つべきである。
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こちらでは、男と女では男の方が上だと言っていますが、女性は頭に覆いをかけないで祈りや預言をするなと言っているだけです。裏を返せば、女性も頭に覆いをかけさえすれば預言をしてもいいということになります。そして、女性は頭の上に権威を持つべきだとも言っています。
一つの手紙の中で、突然、考えが変わったかのように、矛盾した内容になっています。
この矛盾の理由、その答えは簡単です。最初にあげた記述は、後から別の誰かが追加したものなのです。
該当の節(正確には34-36節で、「女性たちは教会において黙りなさい」以降)は、現存する重要な写本の中で記載されている箇所が一定していません。
原文に本当にこのような記述があったのなら、記載箇所が移動するなどおかしな話でしょう。(おそらく、最初に誰かが注釈として記載したものを、別の複数の誰かが本文にもぐりこませたのだろうと考えられます)
そして、似た記述のあった「テモテへの第一の手紙」は、パウロが書いた、という体裁で書かれていますが、歴史的状況設定、および、文体や思想の観点から偽書の可能性が高いとされているもので、実際の著者はパウロ後の時代の異邦人キリスト教徒であり、成立は100年前後であると考えられています。(※ちなみに、「コリント人への第一の手紙」はパウロ自身が記載したものだと考えられています)
まとめると、パウロ自身は女性より男性が上だと考えていたが、女性が教会で教えたり、預言したりすることを禁止していなかった。
そして、パウロたちの次の世代で、「女性は教会で教えるべきでない」と考えていた人たちがいて、その人たちが「テモテへの第一の手紙」を創作し、あわせて、「コリント人への第一の手紙」に該当の節を追加したということです。
このことは逆に言えば、初期のキリスト教会では人々に教えたりする女性がいたということを意味します。いたからこそ、それを許せないと考えた人たちが、上述のような創作や追加を行い、「パウロもこう言ってるよ」と主張できるよう理論武装(偽装)したのです。
なお、他にも女性蔑視の観点から、聖書を改ざんした例がありますが、もう一つ分かり易い例を見てみましょう。
<ローマ人への手紙 16章11-12節>
私の同胞であり囚人仲間であるアンドロニコスとユニアスとによろしくと挨拶するように。彼らは使徒たちの中で秀でており、私よりも先にキリストにある者となった人たちである。
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こちらもパウロ自身が書いたと考えられている手紙です。一見、大したことのない文章に見えますが、そうではありません。
「ユニアス」というのは、もともと、「ユニア」と記載されていたものであり、女性の名前なのです。そして、「彼らは使徒たちの中で」と記述され、この女性はパウロによって使徒の一人として扱われています。なお、聖書の中で女性が使徒として扱われているのはこの箇所のみです。
そして、このことを認めがたい事実だと考えた人たちがいて、「ユニア」を「ユニアス」に変えて、男性の名前にしてしまったのです。なお、ユニアスという男性名は古代世界において実例はありません。
ちなみに、該当の箇所は次のように改ざんされた写本もあります。
私の同胞であるアンドロニコスとユニアとによろしくと挨拶するように。それから、私の囚人仲間にもよろしくと挨拶するように。彼らは使徒たちの中で秀でており、私よりも先にキリストにある者となった人たちである。
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こちらでは、ユニアたちと別に囚人仲間がいて、その囚人仲間が使徒であることになっています。
以上、最初に上げた「コリント人への第一の手紙」の節には、「もしも彼女たちが何か学びたいと欲するなら、家で自分たちの夫に尋ねなさい」とありましたが、これは、男女や貴賎の分け隔てなく教えを説いたイエスの態度とも明らかに矛盾します。
これらは、イエスの教えよりも自分たちの思い・考えの方を優先し、聖書の記述や教えをねじまげてしまった良い例であると言えるでしょう。
◆参考文献等
書 名 等 |
著 者 |
出 版 社 |
『捏造された聖書』
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バート・D・アーマン
松田和也(訳) |
柏書房 |
『新約聖書』
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新約聖書翻訳委員会訳 |
岩波書店 |
『よくわかるキリスト教』
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土井かおる |
PHP研究所 |
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