バアルという神 〜ウガリット神話〜

 バアル。

 旧約聖書を読んだことのある人ならば、その名を聞いたことがあるでしょう。イスラエルの民がヤハウェとの契約を破り、他の神を信仰した際によく登場する名前です。

 例えば、次のような記述があります。
『士師記』 2章11-12節
 イスラエルの子らは、ヤハウェの目に悪しきことを行い、諸々(もろもろ)バアルに仕えた。彼らは、自分たちをエジプトの地から導き出した彼らの先祖の神ヤハウェを棄てて、彼らの周囲にいる諸々(もろもろ)国民(くにたみ)の神々の中から他の神々を選んでその後に従い、それらにひれ伏して、ヤハウェを怒らせた。
 また、『列王記 上』(18章16-40節)には、預言者エリヤがバアルの預言者450人と争い、ヤハウェの力で打ち破った話も記載されています。

 何度、ヤハウェの怒りを買っても、懲りずに信仰してしまうバアル。
 よっぽど魅力的な神であったのでしょう。

 旧約聖書を読んでみても、当然、バアルという神がどのような神であったかは分かりません。

 よって、当記事ではバアルという神がどのような神であったかを調べてまとめてみました。


 「バアル」というのは、もともと、セム系言語で「主」、あるいは「所有者」を意味する言葉です。

 本来は神の名をさす固有名詞ではなく、むしろ、神の真実の名を隠すための総称的呼び名に過ぎませんでした。(ちなみに、後述するラム・シャムラ刻文によると、バアルの実の名はハダド)

 そして、地域神、機能神として尊崇されていた神の本来の名が忘れ去られ、「バアル」が固有名詞として認識されるようになったようです。

 このバアルは、「バアル・ゼブル」(崇高なるバアル)とも呼ばれていましたが、旧約聖書の著者達からは「バアル・ゼブブ」(蠅のバアル)と揶揄され、この呼称が定着して、後世には、ベールゼブブと呼ばれる悪魔の一人とされるようになりました。


 さて、このバアルは、カナン地域を中心に信仰された神ですが、その特徴・性質は、旧約聖書や古代ギリシア語史料などから断片的に知られるのみで、長らく歴史のかなたに忘れ去られていました。

 しかし、1928年にシリアの農夫が畠を耕していた際に偶然発見され、その後、発掘隊が編成されて試掘作業が始まって、「ういきょうの丘」(ラス・シャムラ)から長い間、眠り続けていた遺跡が日の目を見ることになりました。

 この「ういきょうの丘」(ラス・シャムラ)からはバアル神殿書庫が発掘され、そこから、紀元前14〜12世紀にウガリット語(楔形文字)で書かれた多数の文献(ラス・シャムラ刻文と言われる)が発見されました。

 その後、ウガリット語の解読が進んで、その文献の内容がカナン神話であることが判明し、それまで、何も分からなかったに等しいカナンの神々について、多くのことを知ることができるようになったのです。

 なお、この、ウガリット語で書かれた神話は、一般に、ウガリット神話と呼ばれています。


 このウガリット神話では、バアルはエルにつぐ最も偉大な神であり、「北の果て」なる神々の山の「主」、あるいは、単に「北の主」(バアル・ゼホン)として登場します。

 また、バアルは大気と雲と嵐の神であり、雷鳴を用いて山々にその大いなる声を轟かせ、稲妻によって雨を降らせる豊穣の神でもあり、彼を形容する決まり文句は「力強き者バアル」と「雲に乗る者」です。


 次にバアルに関する神話を見ていきたいと思いますが、その前に、ウガリット神話に登場するバアル以外の主要な神々の特徴・関係を押さえておきましょう。
エル
 神々の父で、もろもろの川の源、大洋に君臨する大神。世界の創造者であり、強さと創造力を表わす「牡牛」で象徴される。
 すでに引退していて、彼の世界支配権は、三人の息子により分割掌握されている。すなわち、バアルが天、モトが冥府、ヤムが海のそれぞれの支配者である。
アシェラ(アシラト)  エルの妻で、全ての神々の母。
 動物たちの間に立つ「生命の樹」の位置に表わされている女神であり、動物たちは生命維持のためにアシェラに依存していると考えられていた。
モト  死、もしくは不毛の神で、火の空でもって大地をカラカラに干上がらす神である。
ヤム  生命を飲み尽くす洪水、海の神で、竜神。「海の王子」、「海流の支配者」と呼ばれる。
アナト  バアルの妹にして妻で、バアルの為に身命を賭して献身する。
 三柱の神々が天、冥府、海を分治する話は、ギリシャ神話のゼウス、ハデス、ポセイドン、及び、日本神話のアマテラス、スサノオ、月読と共通しています。


 さて、バアルは、王権を確保するため、他の二人の兄弟モト、ヤムと戦うことになりますが、その物語がウガリット神話の中核を成しています。

 以下はその神話の概略です。


 バアルが最初に戦ったのは、荒れ狂う海と洪水の神、ヤムでした。

 ヤムは、父エルに強請して、バアルの王権の奪取を試みますが、バアルはその策謀を知って激怒し、激しくヤムを打ちのめし屈服させます。
 ヤムを倒したバアルは、ゼホン(北)の山の山頂に祝宴をはり、王宮を造営し、妹アナトの強力な支援のもと、王権を確実なものとします。

 そして、バアルは次にモトと戦うことになります。


 モトは大地が火の空によって渇き、穀物や果実が実る季節に大地を掌握・支配する収穫の神です。このモトとバアルの戦いは、刻文の欠損のため不明な部分も多く、物語は、恐ろしく貪欲な怪獣の口の中にバアルが飲み込まれるところから始まります。

 バアルの身体は怪獣の口の中に飲み込まれ、恐怖におののくバアルは絶叫してモトに隷属を誓います。そして、戦いに勝利したモトは快哉を叫びます。

 この後、さらに欠損があり、次のシーンでは、バアルは遺体となって登場します。

 父エルのもとに使者が到着し、エルはバアルが死んで野に倒れていることを知ります。エルは悲嘆にくれ、王座を降りて地に座し、頭に塵をかぶり、麻布を身にまとい、石をもって頬とあごを傷つけ、胸をかきむしってバアルの死を悲しみました。

 バアルの姿が地上から消えると、大地は干上がり、豊かな沃野は荒廃します。父エルの悲嘆を目の当たりにした娘のアナトは、ひとりバアルを求めて山野を漂泊し、美しいシールメマットの野に倒れているバアルの遺体を発見します。その時、アナトの目からあふれ出る涙は、ぶどう酒のように飲むことができるほどでした。

 アナトは泣く泣く、バアルの遺体を背にゼホンの山に戻り、そこにバアルを埋葬します。冥界に降ったバアルの為にアナトが捧げた生贄は、牡牛、羊、鹿、山羊、ロバなど、それぞれ七十頭ずつでした。

 そして、バアルは不在となりましたが、バアルに代わって王位を継ぐことのできる者はいませんでした。かくして歳月は流れました。

 悲しみの処女アナトはモトをつかまえて、激しく叫弾し、バアルを返してくれるように訴えます。しかし、モトは取りあいません。

 その後、アナトは復讐を決意し、少女をおとりにモトを引き寄せ、捕らえることに成功します。復讐に燃えるアナトは、剣でモトの身体をズタズタに引き裂き、風を送って吹き分け、火にかけて焼き、挽臼でひいて野にまきます。鳥や動物たちは、それを食べました。(刻文は、ここで大きく中断)

 父エルは夢で幻を見ます。それは、天の油が地に滴り落ちて雨となり、枯れ谷に蜜があふれ始めると言うものでした。父エルは歓喜して叫びました。「アナトよ、聞け、バアルは生きている・・・・」(以下、中断)

 バアルは再びゼホンの山に戻ってきました。モトも再生して再び両者の間に激しい闘争が開始されます。二人の神は、牡牛のように突き合い、馬のように蹴り合いました。しかし、勝負は容易につきません。そして、ついに両者とも力尽きて倒れてしまいます。

 そこに女神シャパシュが仲裁に入り、両者は引き分けて和解します。かくして、バアルの王権は確保されることになったのです。


 以上がバアルの神話ですが、ここに描かれた死と再生のドラマには、明らかに季節の交代のドラマが反映されています。

 カナン地方の気候は冬の雨季と夏の乾季に二分されており、農作物の豊作・不作は冬の雨量に支配されることになります。
 6ヵ月以上続く厳しい乾季は、全ての生命を枯渇させ、雨の神バアルの敗退と死、そして、死の神モトの支配を想わせ、その後、冬になると、再び雨が降って野山に青々と生命を蘇らせる光景はバアルの復活と支配を想起させます。


 また、カナン人たちが持っていた上記のような神話等は、後にその地に住み着いたイスラエル人にも影響を与えました。

 例えば、神エルは通常、世を離れて、はるか遠くに座し、「(二つ)の川の流れ出る所」で玉座についている者として描かれます。これは旧約聖書の「エデンの園」と、そこから1つの川が流れ出て、チグリス、ユーフラテス、ギホン、ピションの四つの川になったことを想起させます。

 また、神エルの象徴は牡牛ですが、『出エジプト記』(32章)には、モーセがシナイ山に登って主の言葉を聞いている間、麓では民たちが牡牛の鋳像を造り、その前で祭壇を築いて献げ物を捧げていたことが記されています。また、『列王記 上』(12章28-32節)には、ユダの王が金の子牛を造って、人々に「見よ、イスラエルよ、これがお前をエジプトから導き上ったお前の神である」と告げたことが記載されています。
 イスラエルの人々もヤハウェの象徴を牛だと考えていたことが伺えます。

 そして、バアルは、北の果てなる神々の山に座すとされますが、『イザヤ書』には、次のような記述があり、
『イザヤ書』 14章12-14節
 暁の子、明けの明星よ、どうしてお前は天から落ちたのか。
 もろもろの国を倒した者よ、どうしてお前は地へと切り倒されたのか。
 お前は心の中で言った、
 「私は天に上ろう。神の星々のはるか上に、私は私の玉座を上げよう。
 私は、北の果ての、例祭の山に座そう
 雲の濃い高みに上り、いと高き方に自らを擬そう」、と。
 しかし、お前は黄泉へと、穴の底へと落とされる。
 「神は北の果ての山に座して、この世を統治している」と言う認識があったようです。

 さらに、バアルを形容する時の常套句に「雲に乗る者」がありますが、『ダニエル書』(7章13節)では、メシアが来臨する様子を「天の雲に乗って、人の子のような者がやって来る」と表現しており、そこにも影響が見られます。


 以上、バアル信仰を激しく叫弾した旧約聖書の著者達ですが、一方で、その影響も受けていたようです。

 よって、バアルを中心としたウガリット神話を知ることは、旧約聖書の内容をより深く理解するための一助となることでしょう。

 なお、「創造主エルと、死して復活した息子のバアル」という関係は、後のキリスト教にも見い出せる関係性であり、興味深いものです。




◆参考文献等
書 名 等 著 者 出 版 社
『聖書の起源』
 
山形孝夫 講談社現代新書
『古代イスラエル文化展』
 
CBI梶@クリエイティヴ・ボード・インターナショナル
『オリエント神話』
 
ジョン・グレイ 森雅子(訳) 青土社
『旧約聖書U 歴史書』
 
 
旧約聖書翻訳委員会 岩波書店
Wikipedia「バアル
 
 




TOPページ