5-(22).天照大御神の一人目の巫女の死因


 拙著にて指摘した通り、天照大御神(あまてらすおおみかみ)として合祀されている3人の巫女の内の一人目である和久産日(わくむすひの)神(豊受大神(とようけのおおかみ))は、細長いもので女陰を突いて死亡しています。

 そして、この「細長いもので女陰を突く」という出来事は、古事記では以下の通り、複数箇所に渡って記載されています。
記載箇所 内容
天照大神(あまてらすおおみかみ)須佐之男(すさのおの)(みこと)
3.須佐之男(すさのおの)(みこと)の勝さび
須佐之男(すさのおの)(みこと)が皮を剥いだ馬を投げ込んで、(あめ)服織女(はたおりめ)が驚いて、()(※機織りで横糸を通す道具)で女陰を突いて死亡。
神武天皇 2.皇后選定 勢夜陀多良(せやだたら)比売(ひめ)が大便をしている時、大物主(おおものぬしの)神が丹塗矢(にぬりや)に化けて溝を流れ下り、勢夜陀多良(せやだたら)比売(ひめ)の女陰を突く。
勢夜陀多良(せやだたら)比売(ひめ)がその丹塗矢(にぬりや)を家に持って帰ると麗しい男に変身し、二人は結婚する。
孝霊天皇 夜麻登登母母曾(やまととももそ)毘売(びめの)(みこと)大物主(おおものぬしの)神と結婚するが、夜のみ訪れて顔が見えないので、顔を見たいとお願いすると、「櫛笥(くしげ)(※櫛を入れる箱)に入っているから、私の姿を見ても驚くな」と言われる。
次の朝、櫛笥(くしげ)を開けて見ると小さな蛇が入っていたので、夜麻登登母母曾(やまととももそ)毘売(びめの)(みこと)は驚いてしまい、大物主(おおものぬしの)神は「恥をかかせた」と言って御諸山(みもろのやま)に帰ってしまう。
夜麻登登母母曾(やまととももそ)毘売(びめの)(みこと)は大層後悔し、どすんと座った際に箸で女陰を突いて死んでしまう。

(※夜麻登登母母曾(やまととももそ)毘売(びめの)(みこと)は古事記では名前だけしか出て来ない。上記は日本書紀の崇神紀の記載)
 拙著で指摘した通り、この表に登場する女性は全て同一人物で、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の一人目の巫女のこと。また、大物主(おおものぬしの)神は須佐之男(すさのおの)(みこと)の別名です。

 そして、(あめ)服織女(はたおりめ)夜麻登登母母曾(やまととももそ)毘売(びめの)(みこと)は「細長いもの」で女陰を突いて死んでいますが、勢夜陀多良(せやだたら)比売(ひめ)は女陰を突かれて死亡せず、その後、大物主(おおものぬしの)神と結婚したことになっています。


 さて、拙著の原稿を書いた時点では気づいていなかったのですが、古事記ではもう一人、女陰関連で死亡している人物がいました。
 そう、伊邪那美(いざなみの)(みこと)です。

 伊邪那美(いざなみの)(みこと)は夫の伊邪那岐(いざなぎの)(みこと)と様々な神を生み、最後に火の神を生んだ際、女陰を焼かれて死亡します。

 「細長いものに突かれて死ぬ」という事にこだわらず、「女陰関連で死ぬ」ということであれば、上の表の(あめ)服織女(はたおりめ)夜麻登登母母曾(やまととももそ)毘売(びめの)(みこと)の話と重なることになります。


 そして、伊邪那美(いざなみの)(みこと)が実は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の一人目の巫女であると考えれば、拙著を記した時点では不明だった次の三つのパーツが埋まることになります。
@天照大御神(あまてらすおおみかみ)の一人目の巫女の死亡理由
A一人目の巫女と須佐之男(すさのおの)(みこと)の三男の死亡理由
B伊邪那岐(いざなぎの)(みこと)伊邪那美(いざなみの)(みこと)の国土生成が何の物語を反映したものか
 @については、拙著では、須佐之男(すさのおの)(みこと)が関連していることは分かっていましたが、それ以上の詳細は不明で、須佐之男(すさのおの)(みこと)が直接的原因となったのか、または間接的な原因となったのかは分かっていませんでした。

 しかし、「伊邪那美(いざなみの)(みこと)天照大御神(あまてらすおおみかみ)の一人目の巫女」とすると死因は明白になります。出産する際に死亡したのです。具体的には、子供自体は一旦、生まれたことになっているので、おそらく、前置胎盤による大量出血、もしくは、出産時の脳出血といったところでしょうか。

 より可能性が高いのは前者でしょう。大量の血を火に見立てたのかも知れません。

 また、そう考えると、「()」、「丹塗矢(にぬりや)」、「箸」といった「細長いもの」は、須佐之男(すさのおの)(みこと)の男根を象徴していたことが分かります。男根で女陰を突いたことによって妊娠し、それによって死亡したことを表していたのです。


 Aについては、拙著では、須佐之男(すさのおの)(みこと)と一人目の巫女の子供は男3人で女1人であると指摘し、三男だけは古事記で活躍が見られなかった為、「おそらく早死したのではないかと思われます」と記載しました。

 この子供たちは、次のように古事記に複数個所で別名を使って記載されています。
続柄 名 前 古事記記載箇所 内 容 等
長男 大年(おおとしの) 天照大神(あまてらすおおみかみ)須佐之男(すさのおの)(みこと)
6.須佐之男(すさのおの)(みこと)の大蛇退治
須佐之男(すさのおの)(みこと)神大市(かむおおいち)比売(ひめ)の子供
阿遅鋤(あじすき)高日子根(たかひこねの)神(迦毛(かもの)大御神) 大国主(おおくにぬしの)
3.大国主(おおくにぬし)の神裔
大国主(おおくにぬしの)神と多紀理(たきり)比売(びめの)(みこと)の子供
葦原中国の平定
2.天若日子(あめのわかひこ)
天若日子(あめのわかひこ)の葬式に参列した際、死人と間違われた為、激しく怒る
天若日子(あめのわかひこ) 葦原中国の平定
2.天若日子(あめのわかひこ)
○葦原中国の平定に遣わされるが、大国主(おおくにぬしの)神の娘の下照(したてる)比売(ひめの)(みこと)を娶って、8年間、報告を寄こさなかった
事代主(ことしろぬしの) 大国主(おおくにぬしの)
3.大国主(おおくにぬし)の神裔
大国主(おおくにぬしの)神と神屋楯(かむやたて)比売(ひめの)(みこと)の子供
葦原中国の平定
4.事代主(ことしろぬしの)神の服従
建御雷(たけみかづちの)神と天鳥船(あめのとりふねの)神に国譲りを迫られ承諾
邇芸速日(にぎはやひの)(みこと) 神武天皇
1.東征
○東征した神武天皇に天津瑞(あまつしるし)を差し出す
若帯日子(わかたらしひこの)(みこと)(成務天皇) 景行天皇
1.后妃皇子女
○景行天皇と八坂(やさか)入日売(いりひめの)(みこと)の子供
香坂(かごさかの) 仲哀天皇
3.忍熊(おしくまの)王の反逆
○神功皇后がヤマトに帰ってきた時、待ち伏せして撃ちとろうとしていた際、猪に食い殺される
二男 宇迦之御魂(うかのみたまの) 天照大神(あまてらすおおみかみ)須佐之男(すさのおの)(みこと)
6.須佐之男(すさのおの)(みこと)の大蛇退治
須佐之男(すさのおの)(みこと)神大市(かむおおいち)比売(ひめ)の子供
建御名方(たけみなかたの) 葦原中国の平定
4.事代主(ことしろぬしの)神の服従
建御雷(たけみかづちの)神と天鳥船(あめのとりふねの)神に国譲りを迫られて、戦い敗れる。諏訪から出ないことを条件に許される
登美(とみ)那賀須泥(ながすね)毘古(びこ) 神武天皇
1.東征
○東征した神武天皇に最後まで抵抗する
五百木(いほき)入日子(いりひこの)(みこと) 景行天皇
1.后妃皇子女
○景行天皇と八坂(やさか)入日売(いりひめの)(みこと)の子供
忍熊(おしくまの) 仲哀天皇
3.忍熊(おしくまの)王の反逆
○神功皇后がヤマトに帰ってきた時、戦って敗れて海に入って死ぬ。
三男 押別(おしわけの)(みこと) 景行天皇
1.后妃皇子女
○景行天皇と八坂(やさか)入日売(いりひめの)(みこと)の子供
長女 妹高(いもたか)比売(ひめの)(みこと)下照(したてる)比売(ひめの)(みこと) 大国主(おおくにぬしの)
3.大国主(おおくにぬし)の神裔
大国主(おおくにぬしの)神と多紀理(たきり)比売(びめの)(みこと)の子供
五百木(いほき)入日売(いりひめの)(みこと) 景行天皇
1.后妃皇子女
○景行天皇と八坂(やさか)入日売(いりひめの)(みこと)の子供
伊須気余理(いすけより)比売(ひめ) 神武天皇
2.皇后選定
大物主(おおものぬしの)神と勢夜陀多良(せやだたら)比売(ひめ)の子供
※詳細は拙著を参照願います。
 伊邪那美(いざなみの)(みこと)が最後に生んだ子は火之迦具土(ひのかづつちの)神という火の神で、伊邪那美(いざなみの)(みこと)は女陰を焼かれて死んでしまいます。
 そして、伊邪那岐(いざなぎの)(みこと)は「いとしい私の妻を、ただ一人の子に代えようとは思いもよらなかった」と言って、その子の首を斬ってしまいます。

 おそらく、これが、三男の死因でしょう。この三男が生まれたことによって愛する妻が死に、それに怒った須佐之男(すさのおの)(みこと)が殺してしまったのです。
(注)現時点では三男を死亡したことにしていますが、「実は、生きていて活躍している」という別の考えも私の中にあります。
 こちらは、私の中できちんと整理ができ、納得できるまで昇華できたら発表します。
 Bについては、拙著では伊邪那岐(いざなぎの)(みこと)伊邪那美(いざなみの)(みこと)が旧約聖書のアダムとイブに対応していると記載しましたが、国土を生成する話はアダムとイブの話の中にはありません。

 しかし、伊邪那岐(いざなぎの)(みこと)伊邪那美(いざなみの)(みこと)が、須佐之男(すさのおの)(みこと)天照大御神(あまてらすおおみかみ)の一人目の巫女にも対応していると考えると、国土生成の話が盛り込まれた理由が判明します。

 一人目の巫女は各部族をまとめる中心的役割を担い、日本に国家を作る為に初代国王(崇神天皇)を任命しましたし、また、須佐之男(すさのおの)(みこと)は国家成立に賛同しない勢力を討伐して回りました。

 つまり、古事記は、日本という国家と作ったのは、須佐之男(すさのおの)(みこと)と一人目の巫女だと言っていることになります。



 以上、拙著に記載したものも含めて、伊邪那岐(いざなぎの)(みこと)伊邪那美(いざなみの)(みこと)に合祀されている人物をまとめると次のようになります。
神名 合祀されている神・人物
伊邪那岐(いざなぎの)(みこと) @アダム
A北イスラエル王国(十部族が所属)
B須佐之男(すさのおの)(みこと)
伊邪那美(いざなみの)(みこと) @イブ
A南ユダ王国(二部族が所属)
B天照大御神(あまてらすおおみかみ)の一人目の巫女
 なお、伊邪那岐(いざなぎの)(みこと)須佐之男(すさのおの)(みこと)であるのなら、伊邪那岐(いざなぎの)(みこと)の鼻から生まれたのが須佐之男(すさのおの)(みこと)ですから、父と子が同一人物であるということになります。

 このような、親子が同一人物であったり、先祖と子孫が同一人物であったりするのは、一人の人物の話を複数個所に分けて記載する都合上、やむを得ない処置であると思われます。

 また、須佐之男(すさのおの)(みこと)に関しては、「父と子が同一人物」という型は他の個所にも見られ、拙著で指摘した通り、景行天皇と倭建(やまとたけるの)(みこと)の親子は、双方とも正体は須佐之男(すさのおの)(みこと)です。

 これも、古事記の神話時代に示した型を人の時代の物語にも投影している例であると言えるでしょう。





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