5-(7).伊勢神宮の配置の秘密(グランドクロス)


 「5-(6).伊勢神宮の配置(3番目の伊勢神宮)」で明らかにしたように、伊雑(いざわの)宮は隠された3番目の伊勢神宮です。

 そして、伊雑(いざわの)宮は伊勢神宮の別宮で、かつ、離れた場所にある為に(とおの)宮と呼ばれていますが、同じく(とおの)宮と呼ばれる神社に瀧原(たきはらの)宮があります。

 伊雑(いざわの)宮に重要な秘密が隠されているのなら、瀧原(たきはらの)宮にも同じように何らかの秘密が隠されているはずです。もし、そうでなければ、(とおの)宮は一つで良いはずだからです。


 その観点で(とおの)宮の配置を見た場合、まず、最初に気づくことは、「瀧原(たきはらの)宮―内宮(ないくう)伊雑(いざわの)宮」がほぼ直角に配置されているということです。

 安易ですが、「配置で十字架を表しているのではないか」という仮説に基づき調べてみます。

 まず、瀧原(たきはらの)宮と内宮(ないくう)の延長線上に神社がないかと探すと、見つかったのが伊良湖神社です。

 伊良湖神社は、伊勢湾を挟んだ対岸上にある渥美半島の先にある神社で、創建は9世紀。祭神は栲幡千々姫(たくはちちちひめの)(みこと)です。栲幡千々姫(たくはちちちひめの)(みこと)の別名は万幡豊秋津師比売(よろづはたとよあきづしひめの)(みこと)で、造化三神の一人、高御産巣日(たかみむすひの)神の娘であり、天照大御神(あまてらすおほみかみ)の子のオシホミミと結婚し、ニニギを生んでいます。

 なお、「伊良湖神社が瀧原(たきはらの)宮と内宮(ないくう)を中心として点対照にある」と言うには少し東にずれているのですが、とりあえず現時点では置いておきます。


 次に、「伊良湖神社―瀧原(たきはらの)宮」ラインの中心と直角に交わるライン上にあって、十字架っぽい形を形成する箇所にあるのが、鈴鹿市の加佐登(かさと)神社。そして、さらにそのラインの延長上の若狭湾に面した場所にあるのが気比(けひ)神社です。

 加佐登(かさと)神社は、ヤマトタケルが死ぬ間際に持っていた笠と杖とを御神体としてこの神社の北200mにある白鳥塚に祀ったのが始まりだそうで、祭神は日本武(やまとたけるの)(みこと)天照大御神(あまてらすおほみかみ)です。

 また、気比(けひ)神宮は、創建時期は不明ですが、かなり古い神社で、主祭神は伊奢沙別(いざさわけの)(みこと)御食津大神(みけつおほかみ))です。御食津大神(みけつおほかみ)は古事記にも登場し、応神(おうじん)天皇と名前を交換した話が記述されています。


 そして、以上の神社は次の図のような配置になっています。

          

 我々がよく目にする十字架に近いのは、加佐登(かさと)神社の位置。ただし、磔刑は本来、見せしめの意味があるわけですから、それなりに縦木は長いはずで、実際の十字架としては気比(けひ)神宮の位置が相応しいと言えます。


 さて、もっともらしく十字架が出来上がったわけですが、先にも述べた通り、内宮(ないくう)が十字架の交点にあるわけではありませんし、また、これだけズームアウトされれば、平準化されて十字架っぽく見えているだけかも知れません。

 次に、これらの神社の配置が本当に十字架と呼ぶに相応しい配置になっているか検証してみます。

 まず、「瀧原(たきはらの)宮―伊良湖神社」のラインの方位角(注1)は、下記の通り、約66度となっており、これは、夏至の日に太陽が昇る地点に向かうラインとほぼ一致します(注2)。

    (注1)方位角・・・北を0度とした時の角度。東は90度、南は180度になる
    (注2)夏至の日に太陽が昇るのは、真東から約23.4度、北の地点。方位角は90度-23.4度で66.6度となる

---------------------- 以下、2010.5.19追加 --------------------------
≪訂正≫
 夏至の日に方位角66度の方向から太陽が昇るのは赤道付近の場合であり、緯度によって、その方位角は異なります。
 瀧原(たきはらの)宮の緯度で夏至の日に太陽が昇るのは、方位角60度の方向となります。(※「日月出没計算サービス」のPGMを使用。計算年月は2010年6月21日で計算)

 なお、「瀧原(たきはらの)宮―伊良湖神社」のラインが方位角66度となっているのは、地軸の傾き(23.4度)を意識しているのではないかと思われます。
---------------------- 以上、2010.5.19追加 --------------------------

出発点 到達点 方位角 距離
瀧原(たきはらの) 伊良湖神社 66°21′01.18″ 60,793.023(m)
※緯度経度の算出は、「MAPPLE 地図」を使用
※方位角と距離は、「測量計算(距離と方位角の計算)」のPGMを使用

<参考:各神社の緯度経度>
神社名 北緯 東経 備考
瀧原(たきはらの) 北緯34度21分47秒 東経136度25分41秒  
伊良湖神社 北緯34度34分53秒 東経137度2分6秒 (注)
(注)現在の伊良湖神社は明治38年に移転したものなので、移転前のおおよその座標

 次に、「瀧原(たきはらの)宮―伊良湖神社」の中間点に何かないかを探してみます。この中間点は十字架の縦木と横木の交点であり、当然、何かが配置されていることが予想されます。

 「瀧原(たきはらの)宮―伊良湖神社」の中間点を計算すると、「北緯34度28分20秒,東経136度43分53.5秒」。そして、探してみるとやっぱりあります。

 月読(つくよみの)宮です(北緯34度28分12秒,東経136度43分54秒)。月読(つくよみの)宮は、内宮(ないくう)の別宮で、内宮(ないくう)の北約1.8qのところに位置しています。

 この月読(つくよみの)宮を出発点に、加佐登(かさと)神社と気比(けひ)神宮の方位角を見てみます。
出発点 到達点 方位角 距離
月読(つくよみの) 加佐登(かさと)神社 338°44′32.16″ 50,840.673(m)
月読(つくよみの) 気比(けひ)神社 335°42′46.12″ 144,037.443(m)

<参考:各神社の緯度経度>
神社名 北緯 東経 備考
月読(つくよみの) 北緯34度28分12秒 東経136度43分54秒  
加佐登(かさと)神社 北緯34度53分49秒 東経136度31分48秒  
気比(けひ)神宮 北緯35度39分6秒 東経136度4分39秒  
 加佐登(かさと)神社と気比(けひ)神社は、それぞれ、338度と335度。 夏至のラインと直角となる為には、方位角は336.6度(360-23.4)にならなければならないので、加佐登(かさと)神社は十字架上からは外れていることになります。

 さらに、十字架の縦木である「月読(つくよみの)宮―気比(けひ)神宮」ラインと、横木の「瀧原(たきはらの)宮―伊良湖神社」ラインの角度を調べてみます。

    (360度 - 335度42分) + 66度21分 = 90度39分

 ほぼ、直角となっており、39分は十分誤差の範囲内でしょう。


 次に、伊雑(いざわの)宮と十字架の交点である月読(つくよみの)宮の方位角です。
出発点 到達点 方位角 距離
伊雑(いざわの) 月読(つくよみの) 324°27′45.16″ 12,689.105(m)
<参考:各神社の緯度経度>
神社名 北緯 東経 備考
伊雑(いざわの) 北緯34度22分37秒 東経136度48分43秒  
 324度なので、結局、伊雑(いざわの)宮も十字架の縦木からは、外れていることになります。

 つまり、神社の配置によって形成されているのは、字架ではなく、
T字架であり、それを構成しているのは、瀧原(たきはらの)宮、月読(つくよみの)宮、伊良湖神社、気比(けひ)神社の4社。

 なお、イエスが磔刑に処されたのは、十字架ではなくT字架であり、十字架ができたのは少し後の時代であったという説があります。おそらく、それが真実であり、十字架になってしまわないように、伊雑(いざわの)宮をあえて「月読(つくよみの)宮―気比(けひ)神社」ラインから外したのではないかと思われます。

 なお、イエスが磔刑に処された際には、そのT字架に罪状書きが取り付けられたとされています。おそらく、隠された3番目の伊勢神宮である伊雑(いざわの)宮で、T字架に対する罪状書きの部分を表現しているのでしょう。

<ヨハネの福音書 第19章19-38節>
 ピラトは罪状書きも書いて、十字架の上に掲げた。それには「ユダヤ人の王ナザレ人イエス。」と書いてあった。
 それで、大ぜいのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったからである。またそれはヘブル語、ラテン語、ギリシヤ語で書いてあった。


※十字架上部の「INRI」は、ラテン語の「IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM」の頭文字で、訳すと「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」。

 さて、日本列島を縦断する巨大なT字架が現われたわけですが、ここで終了ではありません。伊勢神宮の設計者は、このT字架を暗示・示唆するものもちゃんと用意しているからです。

 まず、伊雑(いざわの)宮には、佐美長(さみなが)神社という境外所管社があり、「佐美長(さみなが)神社―伊雑(いざわの)宮」の方位角は42度。そして、「佐美長(さみなが)神社―伊良湖神社」の方位角も42度。

 つまり、佐美長(さみなが)神社と伊雑(いざわの)宮を結んだラインの延長線上に伊良湖神社があることになり、この二つの神社の配置でT字架の横木の一端である伊良湖神社の存在を示唆していると言えます。
出発点 到達点 方位角 距離
佐美長(さみなが)神社 伊雑(いざわの) 42°30′05.80″ 794.124(m)
佐美長(さみなが)神社 伊良湖神社 42°02′35.14″ 31,358.912(m)

<参考:各神社の緯度経度>
神社名 北緯 東経 備考
佐美長(さみなが)神社 北緯34度22分18秒 東経136度48分22秒 (注)
(注)佐美長(さみなが)神社が「MAPPLE 地図」では表示されないので、おおよその座標
 なお、佐美長(さみなが)神社の主祭り神は、五穀豊穣の神とされる大歳(おほとしの)神です。

 次に、「内宮(ないくう)月夜見(つくよみの)宮」の方位角と「内宮(ないくう)気比(けひ)神宮」の方位角が336度で一致しており、T字架の縦木の最下端である気比(けひ)神社の存在も示唆されています。(月夜見(つくよみの)宮は外宮(げくう)の別宮です)
出発点 到達点 方位角 距離
内宮(ないくう)皇大神宮(こうたいじんぐう) 月夜見(つくよみの) 336°46′34.08″ 4,593.957(m)
内宮(ないくう)皇大神宮(こうたいじんぐう) 気比(けひ)神社 336°08′25.32″ 145,779.778(m)

<参考:各神社の緯度経度>
神社名 北緯 東経 備考
内宮(ないくう)皇大神宮(こうたいじんぐう) 北緯34度27分6秒 東経136度43分43秒  
月夜見(つくよみの) 北緯34度29分23秒 東経136度42分32秒  

 以上の、T字架を示唆する各神社の配置は次の図の通りとなります。

      

 説明する前に図に記載しましたが、先にT字架を構成する神社から外した加佐登(かさと)神社を示唆するラインも実は存在します。「内宮(ないくう)―猿田彦神社」のラインです。下記の通り、方位角は339度で、「内宮(ないくう)―猿田彦神社」ラインの延長線上に加佐登(かさと)神社が存在します。
出発点 到達点 方位角 距離
内宮(ないくう)皇大神宮(こうたいじんぐう) 猿田彦神社 339°53′55.36″ 1,410.965(m)
内宮(ないくう)皇大神宮(こうたいじんぐう) 加佐登(かさと)神社 339°49′40.43″ 52,643.700(m)

<参考:各神社の緯度経度>
神社名 北緯 東経 備考
猿田彦神社 北緯34度27分49秒 東経136度43分24秒  
 加佐登(かさと)神社は、T字架の縦木の上には配置されていませんが、どうやら、T字架を構成する上で必要な神社のようです。

 先述した通り、加佐登(かさと)神社は笠と杖を祀ったのが始まりであり、「笠」を「頭の上のもの」、「杖」を「長い木の棒」と捉えれば、それぞれ、十字架の罪状書きと縦木を暗示していると捉えることもできます。

 また、T字架の交点である月読(つくよみの)宮を起点として見た場合、気比(けひ)神宮と加佐登(かさと)神社のラインには3度の開きがあります。
出発点 到達点 方位角 距離
月読(つくよみの) 加佐登(かさと)神社 338°44′32.16″ 50,840.673(m)
月読(つくよみの) 気比(けひ)神宮 335°42′46.12″ 144,037.443(m)
 これは、  「5-(6).伊勢神宮の配置(3番目の伊勢神宮)」で確認した、伊雑(いざわの)宮を起点とした時の内宮(ないくう)外宮(げくう)のラインの開きと一致するものです。
出発点 到達点 方位角 距離
伊雑宮 皇大神宮(内宮) 317°16′38.86″ 11,287.143(m)
伊雑宮 豊受大神宮(外宮) 320°45′08.47″ 15,325.580(m)
 どうやら、3つの神社を1セットとする時は、「一直線に並ぶのは不可で、二番目の神社は起点となる神社から見て、3度ずれなければならない」というルールがあるようです。

 ちなみに、「月読(つくよみの)宮―加佐登(かさと)神社―気比(けひ)神宮」は、加佐登(かさと)神社が東側に3度ずれ、一方、「伊雑(いざわの)宮―内宮(ないくう)外宮(げくう)」は、内宮(ないくう)が西側に3度ずれています。

 おそらく、「月読(つくよみの)宮―加佐登(かさと)神社―気比(けひ)神宮」は男神(陰陽の陽)のラインで、「伊雑(いざわの)宮―内宮(ないくう)外宮(げくう)」は女神(陰陽の陰)のラインであり、陰と陽では鏡合せのように逆にしなければならないという思想があるのではないかと思われます。

 さらに、加佐登(かさと)神社がT字架の何を表現しているのかを考えます。

 位置的に言えば、おそらく、それは「足台」でしょう。

 一口に十字架と言っても様々な種類があり、我々がよく目にする横軸と比べ縦軸が長くなったものはラテン十字と呼ばれ、また、T字になったものは、タウ十字と呼ばれます。
 そして、十字架の種類の一つに東方十字(八端(はったん)十字)と呼ばれるものがあります。これは、ロシア正教会で用いられるもので、上部の横軸が罪状書き、下部の斜めの軸は足台を表しています。これは、ロシア正教会の伝承では十字架には足台があったとされているからです。
         

 おそらく、イエスが磔刑に処された十字架にも足台があったのではないかと思います。



 以上の検証結果を元に整理し直し、日本を縦断する巨大な十字架を地図上に表すと次の通りになります。

        


 伊勢神宮の配置より導き出された、日本列島を縦断するグランドクロス。

 これも、天照大御神(あまてらすおほみかみ)の真の正体はイエス・キリスト」という私の説の、有力な根拠の一つとなりえるものでしょう。





<ご参考>

 飛鳥昭雄氏は下記書籍の中で、八咫烏(やたがらす)(注)との対話から導き出した「伊雑(いざわの)宮には十字架の罪状板が祀られている」という結論を記述されています。
(注)八咫烏(やたがらす)・・・下記書籍によれば、裏神道を統括する謎の呪術集団とされ、また、カッバーラというユダヤ教神秘主義の手法で、日本に壮大な国仕掛けを行ったとされる。

    「失われたキリストの聖十字架『心御柱』の謎」 飛鳥昭雄・三神たける 学習研究社

               

 伊雑(いざわの)宮は、上で記載した通り、日本列島を縦断する十字架の罪状板の位置に相当し、まさに、罪状板が祀られるに相応しい神社であると言えるでしょう。

  伊雑(いざわの)宮>
  






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