5-(23).弥勒菩薩=再臨のキリスト |
裏内宮である広隆寺の創建当時の本尊だった弥勒菩薩。
国宝第一号に指定された弥勒菩薩像は、頭に宝冠を被っているため宝冠弥勒と呼ばれ、その静かに思惟にふける姿は人々を魅了してやみません。
ちなみに、今では木目が露出していますが、平安時代の記録では「金色弥勒菩薩」と記されているので、もともとは全身が金色であったようです。
私は別の記事で「弥勒菩薩はいずれ再臨するキリストの姿だ」と指摘しましたが、当記事ではさらにそれを支持する根拠を示したいと思います。
まず、上の写真の弥勒菩薩は、顔近くで右手で印(※仏や菩薩の力を折り曲げた指の形で表すもの)を結んでいます。
この手の形、実はキリスト教関連なのです。
下の図をご覧ください。
図のキリストの右手は「親指と薬指の先を合わせる」という、広隆寺の弥勒菩薩像と全く同じ手の形をしています。
なぜ、この図のキリストがこのような手の形をしているかというと、「親指と他の指を合わること」が、キリスト教では父と子と聖霊の三位一体を表すものだからです。
この手の形をすると親指と薬指と手の平で三角形ができます。この三角形が三位一体の象徴となるのです。
つまり、広隆寺の弥勒菩薩像も、右手でキリスト教の三位一体を表しながら思惟にふけっているということになります。
(注)弥勒菩薩のこの手の形がキリスト教の三位一体を表すものであることは、久保有政氏によって既に指摘されています。(「仏教の中のユダヤ文化」 久保有政 学習研究社)
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なお、これだけでは、仏像は基本的に仏によってそれぞれ決まった手の形(印)を持っていますし、単なる偶然で一致しただけだと考える人もいるかもしれません。
宝冠弥勒があまりにも有名過ぎて影に隠れてしまっている感がありますが、広隆寺にはもう一つ国宝の弥勒菩薩像があります。その悲しげな表情から泣き弥勒と呼ばれる像です。
こちらの弥勒像は宝冠弥勒とは違った手の形をしています。親指、人差し指、中指を立てるという形です。
この手の形、これも実は、キリスト教では三位一体を表すものなのです。
上の図のキリストは、泣き弥勒と同じく、右手の親指、人差し指、中指を立てて三位一体を表しています。
つまり、広隆寺にある二体の国宝の弥勒菩薩像は、両方ともキリスト教の三位一体を表現しているわけです。
これはもう、偶然で片づけるには出来すぎでしょう。むしろ、これらの弥勒菩薩像は仏像としてではなく、最初からキリスト像として作られたと考えた方がすっきりします。裏内宮にあるべくしてある仏像(?)と言えるでしょう。
なお、私たちは、「キリスト教=西洋的なもの、仏教=東洋的なもの」という固定観念を持ってしまっていますが、この固定観念がそもそも誤りなのかも知れません。
特に、異端のレッテルを張られ、ローマの地を離れて中国(唐)にまでやってきたネストリウス派のキリスト教である景教については、全くその観念は当てはまりません。
下の図は、景教で使用されていたものですが、蓮の花の上に十字架があるというデザインで、仏教の影響が見てとれます。
さらに、次のものなんかは、十字架の上に仏像が乗っています。
思わず、「仏教なんだか、キリスト教なんだか、はっきりしてよ!」なんてツッコミたくなりますが、これもれっきとした景教関連の品なのです。
先に示した固定観念から、我々には十字架の上に乗っているものが仏像にしか見えませんが、これはキリスト像に他ならないのです。蓮の花どころの話ではなく、完全に仏教の影響を受けていると言えるでしょう。
以上、仏像、もしくは、仏像らしきものを見て、仏教のものだと考えるのは必ずしも正しくないのです。特に景教が存在していた古い時代に作られたものは、そうだと言えます。
広隆寺の二体の弥勒菩薩像は、「はるか未来に天から降臨してこの世を救う」という仏教の弥勒菩薩の話に、景教徒がキリストの姿を重ね合わせてキリスト像として作ったものでしょう。
そして、広隆寺を裏内宮として隠した人物、及び、集団は、そのことを分かった上で二体の弥勒菩薩像を広隆寺に祀ったに違いありません。
ちなみに、弥勒菩薩像だからと言って、全て手でキリスト教の三位一体を表しているとは限りません(というか、むしろ、三位一体の形をしていないものの方が圧倒的に多い)。
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