5-(35).稲荷神社と「ヨハネの黙示録」(その4)


 当記事では、前記事「5-(34).稲荷神社と「ヨハネの黙示録」(その3)」に引き続き、伏見稲荷大社で行われる代表的な祭礼と「ヨハネの黙示録」の関連について述べていきます。


3.稲荷祭

 稲荷祭は、伏見稲荷大社最大の祭典であり、稲荷大神が氏子区域を巡幸する神事です。その始まりは平安時代の前期にさかのぼります。

 稲荷祭は大別すると、神の御霊(みたま)がお神輿(みこし)に乗って大社を出発し御旅所へと向かう神幸祭(しんこうさい)と、御旅所から東寺や氏子区域を巡幸して本社に還御する還幸祭(かんこうさい)の二つからなります。
 神幸祭(しんこうさい)が行われるのは4月20日前後近接の日曜日で、還幸祭(かんこうさい)が行われるのは5月3日。元来、稲荷祭と言えば、還幸祭(かんこうさい)のことを指しました。


 そして、この祭の真の由来は、「ヨハネの黙示録」の次の記載に寄っているものと思われます。
 私の右の手の中に見えた7つの星と、7つの金の燭台について、その秘められた意味を言えば、7つの星は7つの教会の御使いたち、7つの燭台は7つの教会である。
 エペソにある教会の御使いに書き送れ。『右手に7つの星を持つ方、
7つの金の燭台の間を歩く方が言われる。(1章20節−2章1節)
 「7つの金の燭台の間を歩く方」とはキリストのこと、「7つの教会」とは小アジアにある、エフェソ、スミュルナ、ペルガモン、テュアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキヤにある7つの教会のことです。

 つまり、この記述に寄れば、イエス・キリストは天に昇った後、これら7つの教会の間を歩き回っていることになり、そして、そのことを神事化したのが稲荷祭です。

 稲荷祭で使用されるお神輿(みこし)の数は全部で5基で、それぞれ、伏見稲荷大社に祀られる5柱の神に対応しています。
 そして、これら5基のお神輿(みこし)は、「五ヶ郷」と言われる氏子区域が神幸・還幸の行列奉仕を行い、その担当は次の通りとなります。
上之社(大宮能売(おおみやのめの)大神) ・・・ 東九条
中之社(佐田彦(さたひこの)大神) ・・・ 西九条
下之社(宇迦之御魂(うかのみたまの)大神) ・・・ 塩小路・中堂寺
田中社(田中(たなかの)大神) ・・・ 不動堂
四之大神 ・・・ 東寺・八条
 東寺のみが寺の名前で、後は地域名です。

 「五ヶ郷」と言いながら、実際には、お神輿(みこし)を担当するのは7ヶ所の人たち(6つの氏子区域と東寺)であり、氏子たちの地域が7つなら、お神輿(みこし)が巡幸するのも7つの地域ということになります。7つの教会の間を歩くキリストと同じです。

 また、氏子区域と東寺は下の図の赤色の部分で、青色の線が神幸祭(しんこうさい)還幸祭(かんこうさい)でのお神輿(みこし)の巡幸路です。

※氏子区域はおおまかなもので厳密には記していないので、ご留意下さい。
 右下の伏見稲荷を発して御旅所に向かい、再び伏見稲荷に帰ってくるわけですが、不思議なことに氏子区域以外の余計な所を回っていることが分かります(右上の部分)。

 昔、該当地域に氏子が住んでいて、後の世に現在の地域に移動したのか、それとも、現在も氏子もしくは氏子に準ずる人々がその地域に住んでいるのか、現時点では分かっていないのですが、一つの仮説を提示してみたいと思います。

 先に記述した「ヨハネの黙示録」に記載されている7つの教会は現トルコの小アジアに位置し、具体的配置は以下の通りです。

※パトモス島はヨハネが神より啓示を受けた島で、その啓示を元に書かれたのが「ヨハネの黙示録」です。
 そして、この配置を拡大し、上の京都の地図に重ねてみると・・・
 巡幸路が7つの教会と重なり、しかも、御旅所が七つの教会の中心付近に位置していることが分かります。
 つまり、稲荷祭でお神輿(みこし)が巡幸する経路も、7つの教会の配置を勘案して決められたものかも知れないというものです。

 また、ラオディキアに相当する★は、伏見稲荷に位置しています。
 もしかすると、当初は伏見稲荷と6つの氏子区域を合わせて「7」と考えていたのかも知れません。そして、後から、「伏見稲荷は神の玉座に相当するので、教会の一つとして数えるのはおかしい」ということで東寺を追加したのかも知れません。


 以上、どのくらい昔からこの巡幸路となっているのか、現時点では調べきれていないのですが、稲荷祭が始まった当初の資料を調べることができれば、より面白いものが出てくるかも知れません。




 (次の記事に続く)





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