5-(44).大和三山の配置の秘密 |
大和三山とは、奈良県橿原市にある畝傍山、耳成山、天香久山の総称で、万葉集などの歌の中に登場することでも有名な山です。
これらの山は飛鳥京の北西に位置し、また、持統8年(694年)に遷都された藤原京はこれら三つの山を内包し、その宮廷は大和三山が形成する三角形の中にありました。
なお、これら三つの山が二等辺三角形を形成していることは一般によく指摘されるところであり、また、人工説などもあります。
当記事では、この大和三山の配置を検証し、その目的・意義を探ってみたいと思います。
それでは、まず、これら三山がどの程度、正確な二等辺三角形になっているのかを検証してみます。
この三山が形成する三角形の各辺の距離は、次の通りです。
出発点 |
到達点 |
方位角 |
距離 |
畝傍山 |
耳成山 |
37°26′21.12″ |
3,104.960(m) |
畝傍山 |
天香久山 |
83°43′29.31″ |
3,105.739(m) |
耳成山 |
天香久山 |
150°34′36.64″ |
2,440.955(m) |
※緯度経度の算出は、「MAPPLE 地図」を使用
※方位角・・・北を0度とした時の角度。東は90度、南は180度になる
※方位角と距離は、「測量計算(距離と方位角の計算)」のPGMを使用
<参考:各地点の緯度経度>
地点名 |
北緯 |
東経 |
備考 |
畝傍山 |
北緯34度29分21秒 |
東経135度47分15秒 |
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耳成山 |
北緯34度30分41秒 |
東経135度48分29秒 |
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天香久山 |
北緯34度29分32秒 |
東経135度49分16秒 |
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※座標は、全て山頂の座標
「畝傍山-耳成山」は距離が3,104.960m、そして、「畝傍山-天香久山」の距離は3,105.739mで、その差、0.779m。約78cmの違いであり、これは「正確な二等辺三角形」と言って良い誤差でしょう。
次に、この二等辺三角形の頂角に位置する畝傍山と、大和三山以外の山々との位置関係を見ていきたいと思います。
まず、頂角の2等分線となるラインの方位角は、「(83度43分+37度26分)÷2)で、60度34.5分となります。
この、方位角60度のラインを北東に伸ばすと巻向山があります。
出発点 |
到達点 |
方位角 |
距離 |
畝傍山 |
巻向山 |
60°05′13.01″ |
10,884.865(m) |
<参考:各地点の緯度経度>
地点名 |
北緯 |
東経 |
備考 |
巻向山 |
北緯34度32分17秒 |
東経135度53分25秒 |
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また、畝傍山から方位角66度のラインを北東に伸ばせは、天神山と額井岳(※大和富士とも言われる)があり、逆に南西に伸ばすと葛城山があります。
方位角66度は地軸の傾きの23.4度に対応するものであり、夏至の日には、真東から23.4度北の位置から太陽が昇ります(※90度-23.4度=66.6度)。
ただし、これは赤道付近の場合であって、実際の日の出の方角は緯度によって異なります。
「天文・測地情報 & 水路観測所のページ 」の「日月出没計算サービス」のPGMを使用して、畝傍山における夏至の日の日の出の方位角を求めると60度です。(※計算年月は2010年6月21日で計算)
<注>
他の記事では、単純に「夏至の日には方位角66度の方角から太陽が昇る」としていましたが、誤った記述でした。
考えてみれば、緯度によって日の出の角度が異なるのは当然なのですが、実は、今まで知りませんでした。申し訳ありません。。。 |
つまり、「畝傍山-巻向山」の方位角60度のラインは実際にこの地で夏至の日に太陽が昇る角度、そして、「畝傍山-天神山-額井岳」の方位角66度のラインは地軸の傾きを意識したラインであると言えるでしょう。
出発点 |
到達点 |
方位角 |
距離 |
畝傍山 |
天神山 |
66°33′47.28″ |
13,034.986(m) |
畝傍山 |
額井岳 |
66°26′40.03″ |
18,466.915(m) |
葛城山 |
畝傍山 |
66°42′42.23″ |
10,222.124(m) |
<参考:各地点の緯度経度>
地点名 |
北緯 |
東経 |
備考 |
天神山 |
北緯34度32分9秒 |
東経135度55分4秒 |
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額井岳 |
北緯34度33分20秒 |
東経135度58分19秒 |
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葛城山 |
北緯34度27分10秒 |
東経135度41分7秒 |
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さらに、上の二つの方位角60度と66度を二等分する方位角は63度ですが、このラインの北東には藤原宮と貝ヶ平山があり、南西には忌部山があります。
出発点 |
到達点 |
方位角 |
距離 |
畝傍山 |
藤原宮 |
63°30′38.45″ |
2,280.323(m) |
畝傍山 |
貝ヶ平山 |
63°05′25.13″ |
16,639.013(m) |
忌部山 |
畝傍山 |
63°33′20.93″ |
1,453.295(m) |
<参考:各地点の緯度経度>
地点名 |
北緯 |
東経 |
備考 |
藤原宮 |
北緯34度29分54秒 |
東経135度48分35秒 |
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貝ヶ平山 |
北緯34度33分25秒 |
東経135度56分57秒 |
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忌部山 |
北緯34度28分60秒 |
東経135度46分24秒 |
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以上の内容を地図上に表すと次の通りになります。
緑の部分は先に記載しませんでしたが、二上山、岩橋山はそれぞれ、畝傍山から見て方位角が290度(真西から北に20度)と270度(真西)となっています。
出発点 |
到達点 |
方位角 |
距離 |
畝傍山 |
二上山 |
290°21′33.57″ |
10,555.064(m) |
畝傍山 |
岩橋山 |
270°34′34.20″ |
9,695.866(m) |
<参考:各地点の緯度経度>
地点名 |
北緯 |
東経 |
備考 |
二上山 |
北緯34度31分20秒 |
東経135度40分47秒 |
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岩橋山 |
北緯34度29分24秒 |
東経135度40分55秒 |
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以上、畝傍山を中心とした大和三山は、夏至の日の日の出を中心とした天体観測に最適な配置となっていることがよく分かると思います。また、この地は盆地でまわりを山に囲まれ、特に東側は目印となる山に事欠かきません。
このような配置が自然の山々で偶然、形成されたとは考えにくく、よく指摘されるように、大和三山は人工の山(少なくとも人工的に手を入れられた)だと考えて間違いないでしょう。
また、藤原京に遷都したのは持統天皇の時代ですが、その先代でかつ、夫であった天武天皇は676年に、陰陽寮と天文観測のための占星台を設けています。おそらく、陰陽寮の天文博士は畝傍山の山頂から、日々、天体観測を行っていたのでしょう。
ちなみに、藤原宮と畝傍山からの方位角66度、63度、60度のラインの係を、より詳細に図示すると次の通りとなります。
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