5-(33).稲荷神社と「ヨハネの黙示録」(その2)


 当記事では、前記事「5−(32).稲荷神社と「ヨハネの黙示録」」に引き続き、稲荷神社の名前の由来について述べていきたいと思います。


 この「稲荷」という名称については、飛鳥昭雄氏が、その著書『失われた極東エルサレム「平安京」の謎』(学研)で、以下のように述べています。
 イエス・キリストの磔刑の場面を描いた西洋絵画には、よく十字架の上に罪状板が描かれ、そこに「INRI」と記されている。ラテン語の場合、IとJが可換なので、中には「JNRI」などと表記しているものもあるが、読み方は「インリ」である。この「インリ」こそ、イナリなのではないかというのである。

 〜(中略)〜

 そこで、今一度、ラテン語の文章を見てほしい。「INRI」は一般的に「インリ」と発音しているが、「N」の部分は「Nazarenus」の略であり、母音を補うならば「Na」でもいい。というより、本来は、そう発音されるべきものだったのかもしれない。だとすれば、「INRI」は「INaRI」=「INARI」、すなわち「イナリ」となるというわけである。




(管理人補足)
○もともと、この説を唱えたのは、聖書研究家の古澤三千夫、普三郎兄弟。
○罪状板には、ヘブライ語、ラテン語、ギリシャ語の三つの言語で、「ナザレのイエス、ユダヤの王」と書かれていた。ラテン語では「Iesus Nazarenus Rex Iudeorum」で、それぞれの頭文字をとると「INRI」となる。

 
 イエスの罪状板に記載された内容の略である「INRI」が「イナリ」となったとするものです。

 大変興味深い説ですが、稲荷神社の主祭神である宇迦之御魂(うかのみたまの)神の正体を、「ヨハネの黙示録」に記載された再臨のキリストであるとする私としては、少し物足りないものを感じます。

 「イナリ」の名もやはり、「ヨハネの黙示録」に基づくものではないでしょうか。

 そもそも、稲荷神社が「イナリ」と呼ばれるようになった由来は、「山背国風土記」逸文の伊奈利社(いなりしゃ)条に見ることができます。その内容は次の通りです。
伊奈利(いなり)()ふは、(はたの)(なかつ)(えの)忌寸(いみき)()(とお)(おや)伊侶具(いろぐ)秦公(はたのきみ)稲梁(いね)を積みて富み(さきわ)ひき。(すなわ)ち、餅を用ちて(いくわ)と為ししかば、白き鳥と化成()りて飛び(かけ)りて山の(みね)()り、伊禰(いね)奈利(なり)()ひき。遂に(やしろ)の名と為しき。其の苗裔(すえ)に至り、先の(あやまち)を悔いて、社の木を(ねこ)じて、家に殖ゑて、()み祭りき。今、其の木を殖ゑて()きば(さいわい)を得、其の木を殖ゑて()れば福あらず。

<現代語訳(概略)>
裕福であった(はたの)伊侶具(いろぐ)が餅を的にして矢を射ると、その的は白鳥となって飛び去り山の峰に降りた。その所に稲がなった。それで、そのことを社の名とした。
その子孫は先の過ちを悔いて社の木を抜いて家に植え、生きれば福を得、枯れれば福は得られないと祈祷した。
 餅を矢で射ったら、その餅が白鳥に変化して、その白鳥が飛んでいった山の峰でイネがなったので、「イネナリ」という社名が付けられたという話です。そして、「イナリ」はその「イネナリ」が語韻変化したものです。

 この「伊禰(いね)奈利(なり)()ひき」は、現代語にすると「イネが成りました」、「イネが実りました」という意味ですが、実は、同じことを意味する言葉が「ヨハネの黙示録」に登場します。
 また、私は見た。見よ。白い雲が起こり、その雲には人の子のような方が乗っておられた。頭には金の冠をかぶり、手には鋭い鎌を持っておられた。
 
すると、もうひとりの御使いが聖所から出て来て、雲に乗っておられる方に向かって大声で叫んだ。「鎌を入れて刈り取って下さい。地の穀物は実ったので、刈り入れる時が来ましたから。」
 
そこで、雲に乗っておられる方が、地に鎌を入れると地は刈り取られた。(14章14−16節)
 赤字の「地の穀物は実った」が「伊禰(いね)奈利(なり)()ひき」に該当する箇所です。

 つまり、「伊禰(いね)奈利(なり)()ひき」は、当時の日本語での「地の穀物は実った」の訳であり、その裏には、キリストに再臨を求め、良い実を実らせた人々を刈り入れてもらうことを希求する意味が隠されているのです。
 そして、これが「イナリ」の本来の意味であると考えれば、主祭神である宇迦之御魂(うかのみたまの)神が鎌を持ち、イネを担うという、「ヨハネの黙示録」における再臨のキリストの姿で描かれるという事実とつながってきます。

 さらに、「山背国風土記」逸文の「伊禰(いね)奈利(なり)()ひき」に至るまでの内容も解釈してみましょう。

 まず、矢の的にされた餅です。
 記述はありませんが、この餅は的にするために丸くされており、また、地面に置いたのでは低すぎて的にはなりませんから、木に掛けられていたのだと思われます。(※実際に、中津瀬忠彦氏(1916-1973)が描いた該当の物語の絵画ではそのように描かれています。下図参照)

   
   (「奢れる伊呂具」 中津瀬忠彦画)

 的の形になるよう丸くされた餅は、鏡餅と言われるものです。ちなみに、現在、正月に供えられる鏡餅はかなりの厚みを持っていますが、元来はもっと平べったく、昔の青銅の鏡のような形をしていたようです。また、鏡餅は三種の神器を象徴しており、それぞれ、餅→鏡、ミカン→玉、干し柿→剣を表していると言われています。

 つまり、矢の的にされた餅が象徴しているものは、三種の神器の一つの八咫鏡です。

 八咫鏡が木に掛けられている・・・・・・拙著「古事記に隠された聖書の暗号」を読まれた方は、ここまで来たら、ピンときたことでしょう。これは、古事記の「天の岩屋戸」の物語に登場する、鏡の掛けられた榊と同じ構造をしているのです。

 八咫鏡は天照大神を象徴するものであり、さらに、その深奥の象徴はイエス・キリストです。(※詳細は拙著を参照願います)
 つまり、木に掛けられた餅はイエス・キリスト自身で、これらが象徴するものはイエスの磔刑のシーンなのです。

 さらに、この餅は矢を射られる(殺される)ことによって、白鳥に変化します。

 結論から言えば、白鳥が象徴するものはキリスト教です。動物としての白鳥を見てもそれは分かりませんが、星座として捉えるとその理由が分かります。

 白鳥座は、夏から秋にかけて天頂付近に見られる巨大な白鳥の姿をした星座です。胸の部分を中心に巨大な十字形を描き、南天の南十字星に対して北十字星と呼ばれることもあり、また、近世、白鳥座は「カルヴァリの十字架」、「キリストの十字架」と呼ばれることもありました。(※「カルヴァリ」はキリストが磔にされた丘の名前「ゴルゴダ」のラテン語英名)

           

 つまり、白鳥は、天に描かれた十字架でキリスト教を象徴しているのです。


 以上の象徴を踏まえた上で、「山背国風土記」逸文の解釈をまとめてみましょう。
  イエス・キリスト(餅)が殺される(矢を射られる)ことによって、キリスト教(白鳥)が起こった。そしてイエスが死ぬことによって、この世にまかれたタネが育ち、やがて実を実らせた。この実はやがて、再臨するキリストによって刈り入れがなされるものである。
 これが、「山背国風土記」逸文の裏に隠された真の意味です。表の物語を読んでいるだけでは、餅が白鳥に変化して、しかも、唐突にイネが成って意味が分かりませんが、象徴を読み解くことによって本来の意味が見えてくることになるのです。


 以上、稲荷神社の「イナリ」は元は「イネナリ」で、その裏には、キリストの再臨を求める思い・言葉が隠されているのです。

 それでは最後に、同じようにキリストの再臨を求める、「ヨハネの黙示録」の一節を紹介して終わりにしたいと思います。
 <ヨハネの黙示録 22章17節>
御霊と花嫁も言う、「来てください」。これを聞く者は、「来てください」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水が欲しい者は、それをただで受けなさい。



(※稲荷神社と「ヨハネの黙示録」の記事はさらに続きます)





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