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 5-(36).稲荷神社と「ヨハネの黙示録」(その5)


 当記事では、前記事「5-(35).稲荷神社と「ヨハネの黙示録」(その4)」に引き続き、伏見稲荷神社で行われる代表的な祭礼と「ヨハネの黙示録」の関連について述べていきます。


4.火焚祭

 毎年、秋の収穫を終えた時期である11月8日に行われる祭で、稲荷大神の神恩を感謝し、その御霊(みたま)をお山に送る祭典です。

 まず、午後一時から本殿で行われる火焚祭において神田でとれた新藁(にいわら)を焚き上げ、続いて、本殿背後にある神苑斎場(しんえんさいじょう)にて火焚神事が行われます。火焚神事では、崇敬者たちの願い事が記された火焚串(ひたきぐし)が火床に投げ入れられ、罪障消滅、万福招来を祈ります。

 新藁(にいわら)を焚き上げるのは、いまだ稲霊の宿る藁を焚き上げることによって、稲荷大神の御霊(みたま)を元の山に帰し、来年の復活を願うためと考えられています。

 そして、火焚祭の後に行われる火焚神事は、火の霊力によって災いを退け、その上に福を招こうとする信仰が加わったためであるとされています。


 火焚祭をキリスト教的観点から捉えるなら、それは「5-(33).稲荷神社と「ヨハネの黙示録」(その3)」に記載したように、大山祭とセットでイエスの死と復活の象徴であり、また、一旦、この世を去ったイエスが「ヨハネの黙示録」の予言通り、再び再臨することを象徴すると共に、キリストの再臨を祈願する為の祭であると言えるでしょう。

 さらに、この火焚祭を「ヨハネの黙示録」で解釈すると、該当する記述は以下のものとなります。
 しかし、臆病者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、全て偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第2の死である。(21章8節)
 これは、最後の審判が行われた後、良い実をならせることができなかった者たちへの処置が記載されたものです。

 つまり、火焚祭の火は罪人たちを焼く地獄の炎を象徴し、そして、そこに投げ込まれる藁は良い実をならせることができなかった人々を象徴しているのです。



 以上で、伏見稲荷大社の代表的な祭の解釈は終了です。
 続いて、伏見稲荷大社の特徴的なものについて解釈します。


○千本鳥居

 千本鳥居は、伏見稲荷大社の参道にある、朱色の鳥居が隙間なく立ち並んで回廊をなしているものです。現物を見たことはなくても、TVや写真では見たことがあるでしょう。

 ではまず、朱塗りの鳥居からです。稲荷神社を特徴付けているものの一つです。

 この、鳥居の朱色は一般的には、魔力に対抗する色とされ、また、稲荷大神の豊穣をもたらす力の色とされます。
 一方、この朱色も、私は「ヨハネの黙示録」に由来すると考えています。該当するのは次の記載です。
  また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実」と呼ばれる方であり、義をもって裁き、戦いをされる。
 その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身の他は誰も知らない名が書かれていた。
 
その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神の言葉」と呼ばれた。(19章11−13節)
 つまり、再臨のキリストは赤い衣を着ており、鳥居の朱色はその赤を示しているのではないかと思います。

 稲荷神社のイメージ色と言えば朱色です。鳥居に限らず、社なども朱色を基調としており、宇迦之御魂(うかのみたまの)神の正体が再臨のキリストであるならば、イメージ色として使用するのにぴったりの色であると言えるでしょう。


 次に、千本鳥居です。

 千本鳥居は、参道を通って本殿を過ぎた右手、奥社奉拝所へと続く道にあり、道は二筋に分かれてその両方が千本鳥居です。(※伏見稲荷大社HPの大社マップを参照)
 大社マップを見れば分かると思いますが、一方が別の所を経由しているわけでもなく、全く無意味に二筋に分かれていることが分かります。

 また、奥社奉拝所は稲荷山三ヶ峰を遥拝するところで、三ヶ峰にはそれぞれ、一ノ峯・・・上之社、ニノ峯・・・中之社、三ノ峯・・・下之社があります。
 現在、稲荷大神として祀られているのは5柱の神々ですが、「枕草子」や「蜻蛉日記」などには「三社詣で」、「三社明神」と記述され、稲荷大神とは、もともとはこの三社に祀られる3柱の神であったことが分かります。

 この三社に祀られているのは以下の通りですが、その裏で祀られているのは父と子と聖霊の三位一体でしょう。 
上之社 ・・・ 大宮能売(おおみやのめの)大神
中之社 ・・・ 佐田彦(さたひこの)大神
下之社 ・・・ 宇迦之御魂(うかのみたまの)大神
 つまり、三位一体の神を遥拝する前に、参拝した人々は二筋に分かれている千本鳥居によって2つに分けられていることになります。

 これに対応する記述は「ヨハネの黙示録」には見当たりませんが、「マタイの福音書」の次の記述に基づいているのではないかと思われます。
 人の子がその栄光を帯びて、全ての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。
 そして、全ての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らを寄り分け、
羊を自分の右に、山羊を左に置きます
 そうして、王はその右にいる者たちに言います。「さあ、私の父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたの為に供えられた御国を継ぎなさい。
 〜(中略)〜
 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『呪われた者ども。私から離れて、悪魔とその使いたちの為に用意された永遠の火に入れ。(マタイの福音書25章31−41節)
 これは、いわゆる「最後の審判」の様子に関する記述であり、それによると、「最後の審判」の際には人々が寄り分けられ、キリストの右側には良い実をならせた人たち(羊)が、左側にはそれ以外の人たち(山羊)が置かれるということになります。

 千本鳥居が二つの道に分かれているのは、この記述に寄っているのではないでしょうか。

 以上、千本鳥居を通って奥社奉拝所に向かう際は、左の道(三ヶ峰から見て右側)を通ることをお勧めします。


 ちなみに、千本鳥居の鳥居は、崇敬者が祈願と報謝の思いを込めて奉納したのものであり、また、鳥居の奉納という信仰形態は江戸時代に始まったようです。



○神使 狐

 稲荷神社と言えば、真っ先にその神使である狐をイメージする方も多いでしょう。
 稲荷神社が狐を神使とする理由については、一般的に次のような説があります。
◆密教の将来によって、ジャッカルに乗ったダーキニー(茶吉尼天(だきにてん))の信仰が伝わり、これが稲荷神と混同され、ジャッカルの代わりに狐が稲荷神の使いとされるようになったとするもの。
◆狐は農耕にとって害獣となる野ネズミや野ウサギを退治したり、小動物を追って水田の近くによく現れることから、農耕神の使いと考えられるようになったとするもの。
 さて、私の説ですが、稲荷神社が狐を神使とする理由は、狐のカタカナ表記に由来しているのではないかと思っています。

 「狐」をカタカナにすると「キツネ」です。そして、前2文字の「キツ」の「キ」を「木」に変換すると「木ツ」になります。
 そして、「木ツ」=「杉」。

 杉は伏見稲荷大社で「しるしの杉」等として使用され特別視される木であり、また、記事「5-(34).稲荷神社と「ヨハネの黙示録」(その3)」に記載した通り、「三位一体の神」を表す文字です。

 つまり、稲荷神社で特別に使用される「キツネ」と「杉」が、どちらも同じ構造、及び、象徴を持っていることになります。

 なお、「ツ」と「彡」とでは、少し違って見えるかも知れませんが、カタカナの「ツ」は元々「川」の字が変化したものであり、「三」を表す文字とするのに問題はないかと思います。

 以上、キツネの「キツ」は「三つのキ(木)」で「三位一体の神」を表す言葉です。

 次に、残りの「ネ」ですが、これは「しめすへん」とも言われす。つまり、「ネ」が意味するものは「示」です。
 そして、そう考えると、「キツネ」の隠された意味は「三位一体の神・示」ということになります。

 もう気付かれた方も多いでしょう。

 「三位一体の神・示」
とは現代語で言うところの「黙示」のことであり、新約聖書を構成する書物の中で神から黙示されたものは「ヨハネの黙示録」しかありません。
 つまり、「キツネ」は「ヨハネの黙示録」そのものを表す言葉なのです。

 なお、「黙示」とは、ユダヤ教やキリスト教において、神が選ばれた預言者に与えた「秘密の開示」のこと、または、その内容を記録したもののことです。ギリシャ語では「アポカリプス」で、「覆いをはずすこと」を意味します。


 以上、「キツネ」は、「ヨハネの黙示録」に基づき、再臨するキリストを祀る稲荷神社が使用するに相応しい象徴であると言えるでしょう。


 ちなみに、宇迦之御魂(うかのみたまの)大神が乗るのはキツネであり、一方、「ヨハネの黙示録」で再臨のキリストが乗るのは馬です。

 しかし、伏見稲荷大社では馬もちゃんと登場して、特別扱いされています。

 他の記事にも記載した通り、伏見稲荷大社は和銅4年の2月(はつうま)の日に鎮座したとされ、毎年2月の初午(はつうま)の日には初午(はつうま)大祭が行われます。

 あえて、鎮座を午の日のこととし、祭まで行っているのです。その理由は明白でしょう。






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