5-(27).須佐之男命=天なる父


 古事記に最初に登場する三柱の神が次の通り、キリスト教の三位一体に対応していることは、「5-(20).伊勢神宮で祀られている神々の正体(まとめ)」で述べました。
神 名 対 応
天御中主(あめのみなかぬしの) 父ヤハウェ
高御産巣日(たかみむすひの) 子イエス・キリスト
神御産巣日(かみむすひの) 聖霊
 しかし、古事記には他にも三位一体を表している神々がいます。

 伊邪那岐(いざなぎの)神が顔を洗うことによって、生まれた次の三貴子(みはしらのうずのみこ)です。
神 名 生まれ出た場所
天照大御神(あまてらすおみかみ) 左目
月読(つくよみの)(みこと) 右目
須佐之男(すさのおの)(みこと)
 なお、これらの神々の生まれた順番は表の記載順ですが、その順序で「父→子→聖霊」と対応しているわけではありません。
 何故なら、これらの神々は生まれた場所が示されており、その位置に重要な意味が隠されているからです。

 まず、両目と鼻をそれぞれ結べば三角形が出来ます。これはキリスト教の三位一体を表す為の三角形です。
 そして、顔の真ん中にあり、一番高いのは鼻です。

 この鼻で生まれた須佐之男(すさのおの)(みこと)こそが父ヤハウェに対応しているのです。


 次の図は、「生命の樹」(※「セフィロトの木」とも言う)と呼ばれるユダヤ教神秘主義のカッバーラで使用される図柄です。

<生命の樹>

 この「生命の樹」は縦に三つに分かれ、図に記載しているように向かって左が「峻厳の柱」、中央が「均衡の柱」、右が「慈悲の柱」と呼ばれます。
 そして、この三つの柱とキリスト教の三位一体との対応は次の通りとなっています。
神 名 対 応
峻厳の柱 聖霊
均衡の柱 父ヤハウェ
慈悲の柱 子イエス・キリスト
 「生命の樹」においても、父ヤハウェに対応するのは中央の高い柱になっており、これは、先にあげた三貴子(みはしらのうずのみこ)と同じです。

 そして、左目は向かって右ですから「慈悲の柱」に対応し、同じく右目は「峻厳の柱」に対応していることになります。

 これらを勘案し、三貴子(みはしらのうずのみこ)と三位一体の対応をまとめると次の通りになります。
神 名 生まれ出た場所 生命の樹 三位一体
天照大御神(あまてらすおみかみ) 左目 慈悲の柱 子イエス・キリスト
月読(つくよみの)(みこと) 右目 峻厳の柱 聖霊
須佐之男(すさのおの)(みこと) 均衡の柱 父ヤハウェ
 やはりと言うべきか、当然と言うべきか、天照大御神(あまてらすおみかみ)はイエス・キリストに対応しているわけです。

 ちなみに、以下の図は、シリアのパルミラの遺跡で見つかった1世紀ごろの浮彫で、左から月の神アグリボル、最高神バアル・シャミン(バアルシャメン)、太陽神マラクベルです。

 配置が古事記に描かれた月、太陽の神と全く同じになっています。



 さて、さらに「須佐之男(すさのおの)(みこと)=父ヤハウェ」に絞って、見て行きたいと思います。

 須佐之男(すさのおの)(みこと)には、「牛頭天王(ごずてんのう)」という別名があります。祇園祭で有名な祇園神社の主祭神である牛頭天王(ごずてんのう)は、須佐之男(すさのおの)(みこと)の別名であるとされています。

 「天王」はそのまま、天の王ですから、十二分に「天なる父」を連想させる名前です。

 しかし、「牛」は何を意味するのでしょうか。

 旧約聖書に次の記述があります。エジプトからイスラエルの民を連れて脱出したモーセがシナイ山で神と対話し、神から十戒の石板をもらっている間に起きた出来事です。
 民はモーセが山から降りて来るのが遅れているのを見て、民はアロンに向かって群がり、彼に言った、「立ち上がって、俺たちの前を行く神々を俺たちのために作れ。何故なら俺たちをエジプトから導き上った男、あのモーセに何が起こったのか、俺たちには分からないのだから」。
 アロンは彼らに言った、「お前たちの妻や息子や娘たちの耳にある金の輪を外し、私のところに持って来い」。民は皆、彼らの耳にある金の輪を自分で外し、アロンのところに持って来た。彼は、彼らの手から受け取り、それを小刀を使って形を整え、それを若い雄牛の鋳像にした。彼らは言った、「イスラエルよ、これらが、お前をエジプトの地から導き上った、お前の神々だ」。
 アロンは見て、その前に祭壇を建てた。そして、アロンは叫んで言った、「明日はヤハウェのための祭りだ」。彼らは翌朝早く起きて、全焼の供犠を献げ、和解の供犠を献げた。民は座って食べて飲み、立ち上がって戯れた。

(出エジプト記32章1-6節)
 アロンはモーセの兄で、モーセの片腕として活躍した人物です。そして、そのアロンが民に促されて造った像が雄牛の像。つまり、アロンはヤハウェを象徴するものが雄牛であったと認識していたことになります。

 つまり、「牛頭天王(ごずてんのう)」の「牛」も父ヤハウェを表すものであることになります。

 ちなみに、この後、鋳像の雄牛の周りで踊っている民を見て怒ったモーセは鋳像を破壊し、民はヤハウェによって撃たれることになります。


 また、島根に出雲大社があります。この神社の現在の祭神は大国主(おおくにぬしの)神ですが、古い文献等を見ると17世紀以前は須佐之男(すさのおの)(みこと)だと考えられていたことが分かります。

 古事記では、大国主(おおくにぬしの)神が天孫に国譲りをする条件として、空高くそびえる宮を作って祀ることを要求し、造られたのが出雲大社ということになっていますから、本来、祭神は大国主(おおくにぬしの)神以外にはありえません。

 出雲大社に大国主(おおくにぬしの)神ではなく、須佐之男(すさのおの)(みこと)を祀った理由、それは二つあるのではないかと思っています。

 その一つは、「大国主(おおくにぬしの)神と須佐之男(すさのおの)(みこと)が同一人物」であることのヒントとしてでしょう。

 そして、もう一つは、須佐之男(すさのおの)(みこと)を天なる父として祀る為に、可能な限り高い近いところに祀らなければならなかったからでしょう。出雲大社の本殿は、現在でも高さ24mとかなりの大きさですが、中古には48m、上古では96mあったと伝えられています。

 ただし、中古以前の本殿は何回も倒壊したとの記録が残っており、当時の技術力を越えた高さのものを無理して造ったさまが伺えます。


 以上、須佐之男(すさのおの)(みこと)には、父ヤハウェが合祀されていると言えるでしょう。





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