5-(82).天皇の尊称(その1)


 当記事では、「ヘイカ(陛下)」、「ミカド(帝、御門)」、「スメラミコト(天皇)」といった天皇の尊称について、何故、このような呼び方が出来たのか考察して行きたいと思います。


 それでは、まず、「ヘイカ(陛下)」から見て行きましょう。


1.天皇の尊称とヤコブの物語

 天皇の尊称として現在でもよく使用されているのが「ヘイカ(陛下)」です。

 この「ヘイカ(陛下)」について、『広辞苑』を見てみると次のように説明されています。
『広辞苑』 「陛下」
「陛」は宮殿にのぼる階段。階段の下にいる近臣の取次を経て上聞に達することから)天皇および皇后・太后太皇・皇太后の尊称。
 どうも、スッキリと納得できないような記述です。

 「陛」が階段であることは良いとして、何故、「階段の下にいる近臣の取次を経て上聞に達することから」、天皇が「陛下」と呼ばれるようになるのでしょうか。

 天皇に取次をする人物が「陛下」と呼ばれ、天皇が「陛
」なら納得できますが、どうも、違和感を覚えます。

 例えば、清涼殿の殿上の間に昇ることを許された人(五位以上の官位を持った人)を「殿上人」と言いますが、こちらの方は、「清涼
殿にいる(上ることが出来る)」から「殿上人」で、すんなりと納得できます。

 また、「陛下」を「天皇を直接名指すのをはばかった婉曲表現」とするのが一般的のようですが(*1)、それなら、やはり、天皇そのものではなく、天皇がいる場所を指して「陛」で十分のような気がします。

 「天皇」と言うのをはばかるのは分かりますが、天皇がいる場所である「陛」でもなく、また、取次をする役職名でもなく、取次がいる場所である「陛下」と表現するというのは、あまりにも婉曲し過ぎではないでしょうか。

 また、他にも、「天皇を直接名指すのをはばかった婉曲表現」としては、「禁裏」、「内裏」、「禁中」等がありますが、これらは本来、天皇が住む建物を指す言葉であり、やはり、天皇のいる場所を婉曲表現に使っています。現代でも、警察のことを、本部の所在地付近の旧称「外桜田門」から「桜田門」と呼ぶことがありますが、同じような発想でしょう。
(*1)Wikipedia「天皇」 称号 → 中世

 さて、どうも、納得しがたい「陛下」の説明は保留しておいて、次に、日ユ同祖論関連で、飛鳥昭雄氏が唱えている説を見てみましょう。
『失われたイエス・キリスト 「天照大神」の謎』 (飛鳥昭雄・三神たける/学研/1998) P.414-418
【天上と地上をつなぐ天の橋立】

 「天皇」という名前に込められた意味を考えるとき、大きなヒントがひとつ『旧約聖書』のなかにある。
 イスラエル12支族の祖となった
ヤコブが旅をしているときのことである。日も暮れたので、そばにあった石を枕に、横になることにした。
 「すると、
彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた」(『創世記』第28章12節)
 なんとも不思議な夢である。
地上と天をつなぐ階段が延びており、そこを天使たちが登ったり、降りたりしているという。

 〜 (中略) 〜

 ここに登場する天使の階段は、一般に
「ヤコブの階段」と呼ばれる。『聖書』によっては、この階段を梯子と翻訳することもあり、「ヤコブの梯子」とも呼ぶ場合もある。
 それは文字どおり、天と地を結ぶ階段。登り詰めると、そこは絶対神の国。御父と御子と聖霊が住まう神殿がある。天使たちは、絶対神と人間の間を取り持つために、ヤコブの階段を上下しているというわけだ。
 興味深いことに、天上と地上というふたつの世界観は、そのまま神道の世界観である。西方浄土というように、水平方向の世界観である仏教とは、非常に対照的である。

 〜 (中略) 〜


【天皇陛下】

 〜 (中略) 〜

 では、どうして「陛下」なのだろう。
 百科事典を開けば、そこには天皇の敬称とある。直接的に「天皇」と呼ぶことをはばかるときに使う名称だという。
 文字の意味として、「陛下」の「陛」とは宮殿に続く階段のこと。よって、「陛下」とは、階段の下にいる者という意味になる。
 しかし、これは変である。天皇は宮殿のなかにいるもの。階段の下の者ではないはず。「陛上」ならわかるが、「陛下」とは納得しがたい。
 これに対し、有識者はいう。天皇に対しては、近臣の取次ぎを経て、上聞に達する。この情景を比喩に使うことで、権威を表現した。それが「陛下」であり、「天皇陛下」という敬称である、と。
 なるほどと納得してしまうが、はたしてそうなのか。こうした天皇のかかわる言葉は、みな神道用語である。神道によって説明されるべきものである。
 神道における
「陛」、すなわち階段とは何か―――。
 そう、ほかでもない。先にみた
葦原中国をつなぐ梯子、「天の浮橋」であり、「天の橋立」である。
 よって、「陛下」とは、「天の浮橋の下にいる者」の意味だ。

 一部、私の説明と重なる部分もありますが、飛鳥昭雄氏の説を要約すると以下の通りです。
○「陛下」の「陛」とは階段を意味し、『旧約聖書』でヤコブが見た夢に登場する「地上と天をつなぐ階段」である「ヤコブの階段」(ヤコブの梯子」のことを意味する。
○それは日本語では、「天の浮橋」や「天の橋立」と呼ばれ、結果、「陛下」とは、「天の浮橋の下にいる者」の意味する。
 「陛下」の由来を、『旧約聖書』の「ヤコブの階段」(ヤコブの梯子)に求める説です。

 私もこの説を支持します。

 なお、私がこの説を支持する理由はこの説明だけではありませんが、そのことは順次記載するとして、まず、『旧約聖書』の該当の物語をより詳しく見てみましょう。
『創世記』 28章10節−29章2節 (『旧約聖書T 律法』 (旧約聖書翻訳委員会訳/岩波書店/2004))
 ヤコブはベエル・シェバを出立して、ハランに向かった。彼がとある場所にやって来ると、日が沈んだので、そこに泊まった。彼はその場所の石を取って、枕に据え、その場所に身を横たえた。

 そして、彼は夢を見た。みると、一つの梯子が地に向かって立てられ、その先は天に届いていた。なんとまた、神の使いたちがそれを上り下りしていた。

 さらには、ヤハウェが彼の傍らに立っていた。
ヤハウェは言った、「私はあなたの父アブラハムの神、イサクの神ヤハウェである。あなたがいま身を横たえているこの地、私はそれをあなたとあなたの子孫に与えよう。あなたの子孫は地の塵のように多くなろう。あなたの子孫は西に、東に、北に、南に広がって行くであろう。そして、大地のあらゆる種族があなたとあなたの子孫の名によって祝福し合うであろう。みよ、私はあなたと共におり、あなたが行くすべての場所であなたを守り、この土地に連れ戻す。私があなたに語ったことを果たすまでは、あなたを決して見捨てない」。

 ヤコブは眠りから覚めた。彼は言った、「ああ、なんと、この場所にヤハウェがおられたとは。私は何も知らずにいた」。彼は畏怖を覚えて、言った、「この場所はなんと畏れ多いことか。ここは
神の家以外の何ものでもない。そう、ここは天の門だ」。

 翌朝、ヤコブは速く起きて、そこで枕としていた石を取り、それを石柱として立て、そのてっぺんに油を注ぎかけた。彼はその場所を
ベテル(※ベト・エル「神の家」)と名付けた。もっとも、それ以前はルズがこの町の名であった。ヤコブは誓願を立てて、言った、「もし神が私と共におられ、進む旅路において私を守り、パンを与えて食べさせ、衣を与えて着せて下さるなら、そして私が安らかに父の家に戻ることができるなら、ヤハウェこそがわが神となり、私が柱として立てたこの石を神の家とします。あなたが与えて下さるものはすべて、その十分の一をあなたに献げます」。

 
ヤコブは歩みを進め、東の人々の地におもむいた。彼が見やるとたまたま井戸があった。そこには羊の群れが三つ、井戸の傍らに伏していた。羊飼いたちがその井戸から群れに水を飲ませようとしていた。井戸口をふさぐ石は大きかった。 
 この物語のキーワードの一つが、先程、出てきた「梯子」で、この「梯子」は天に届き、神の使いたちが上り下りをしていて、地上と天を結ぶものとして描かれています。

 そして、この「梯子」→「陛下」です。

 さらに、他のキーワードも見てみると、ヤコブは、天に届く「梯子」があったので、その場所を「天の門」とか、「神の家」とも言っています。

 もう気づいた方もいるかも知れませんが、「梯子」→「陛下」なら、「天の門」→「ミカド」なのです。「ミカド」は通常、「帝」や「御門」という漢字が当てられます。「帝」の方は明らかに当て字ですから、「御門」の方が意味に則した漢字でしょう。

 そして、残りは「神の家」ですが、このキーワードに由来する尊称は、天皇ではありませんが、「殿下」があります。これは、天皇に継ぐ第2位の格式とされ、皇族等に用いられるものです(*2)。

 天皇に継ぐ第2位の格式が「殿下」なら、天皇自身は
「殿上」にいることになりますが、「天皇自身は、『神の家』がある場所にいるので、天皇に継ぐ第2位の存在は『神の家の下』、つまり、『殿下』となる」と考えれば、辻褄が合うことになります。


 なお、先にも触れた通り、「殿上人」という言葉もありますが、こちらの「殿」は「清涼殿」の「殿」で、「殿下」の「殿」は「神の家」を意味することになります。

 単純に考えて、天皇に継ぐ第2位が「殿下」で、官位が5位以上の人が「殿上人」なら、文字だけ見ると、「殿下」の方が格下の印象を受けますが、それぞれ、「殿」が表す対象が違うわけです。
(*2)Wikipedia「殿下
※Wikipediaの説明を見ると、「殿下」は中国を起源とする敬称のようですが、上記のヤコブの物語との関連を鑑みて日本でも採用されたのではないかと思います。

 以上、まとめると、天皇関連の敬称は、『旧約聖書』のヤコブの物語と次のように対応しています。
天皇関連の敬称 『旧約聖書』
陛下 ヤコブの階段(梯子)
御門(ミカド) 天の門
殿下 神の家
 天皇は、即位の際に行われる大嘗祭を通じて、神と一体となった存在ですから、人々の中で最も神に近い存在であると考えられ、そこから、先に述べたような、「天皇は、天へと届く梯子の下、つまり、『神の家』、かつ、『天の門』にいる存在」という思想が出てきたのでしょう。
<参考>
 「陛下」の由来については、飛鳥昭雄氏の説を支持しましたが、氏は、「ミカド」については、以下の通り、「ガド出身」という説を取っています。

『失われたイエス・キリスト 「天照大神」の謎』 (飛鳥昭雄・三神たける/学研/1998) P.175-176
 天皇は「(みかど)」とも称した。「帝」と書いて、「ミカド」である。これも何かイスラエルに関係する言葉なのか。
 日ユ同祖論者の小谷部全一郎氏は著書『日本及び日本国民の起源』のなかで、「ミカド」は、本来「ミガド」と発音したことを示し、これを「御ガド」と解釈。「ガド」とは、失われたイスラエル10支族のひとつ「ガド族」のことであると主張する。
 また、これとは別に、ユダヤ人のラビ、サミュエル・グリーンバーグは「ミカド」の「ミ」とは、ヘブライ語で「〜出身」という意味であると指摘。「ミカド」とは、まさに「ガド族出身の者」のことだと断言した。
 さらに、だめ押し、先の小谷部全一郎氏はガド族の始祖ガドの息子の「ツェフォン」にも注目。翻訳によっては「ゼポン」とも表記するが、実際の発音は「エッポン」「ニッポン」であるとし、これが「日本」の国号「ニッポン」になったというのだ。

 (※以下、当説の説明は続くが省略)

 また、Wikipedia「みかどでは、「御門」について、「原意は御所の門の意味で、直接名指すことを避けた婉曲表現。」と説明されています。




2.ヤコブの物語の中に見る、天皇の思い

 先述の通り、「陛下」、「御門(ミカド)」等の天皇の尊称は、ヤコブの物語から取られたと思われます。

 次に、何故、あえて、ヤコブの該当の物語から尊称が決められたのかを、さらに突っ込んで考えてみましょう。


 再度、ヤコブの物語を確認してみると、まず、「ヤコブは歩みを進め、
東の地に赴いた」という文章があります。

 該当の話は、兄の怒りを買ったヤコブが、母方の伯父のいる地へ逃げる途中の話ですが、その逃げた地は、カナンよりも「東の地」であるわけです。

 次に、神ヤハウェがヤコブに語った言葉として、次の文章があります。
みよ、私はあなたと共におり、あなたが行くすべての場所であなたを守り、この土地に連れ戻す。私があなたに語ったことを果たすまでは、あなたを決して見捨てない
 自説では、失われたイスラエルの十部族が日本に来ているとしており、また、それらの部族を、中心となって率いて来たのが天皇であるとしています。

 そして、そのことを前提とすれば、天皇の姿が、見事、上記物語のヤコブと重なっていることが分かります。

 日本はイスラエルから見れば、当然、「東の地」ですし、また、神ヤハウェの「この土地(=カナン)に連れ戻す」という言葉は、はるか、故郷を離れて日本まで旅して来た天皇の願いでもあると言えます。

 さらに、この、ヤコブが梯子の夢を見たベテルは、「失われたイスラエルの十部族」が属していた北イスラエル王国の聖所が置かれた場所でもあります(*3)。
(*3)『旧約聖書T 律法』 (旧約聖書翻訳委員会訳/岩波書店/2004) P.69注釈11

 以上、イスラエルの地を離れ、はるばる日本へとやって来た天皇の姿を、上記の物語のヤコブの姿に重ね合わせ、かつ、いつか、カナンの地に戻りたいと言うを願いを込めて、「陛下」「御門(ミカド)」「殿下」という尊称が決められたのではないかと思われます。




 ※(その2)に続く



◆参考文献等
書 名 等 著 者 出 版 社
『日本書紀(一)』


坂本太郎他 岩波文庫
『旧約聖書T 律法』

(旧約聖書翻訳委員会訳 岩波書店







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