6-(6).ミトラス神


 当記事では、古代日本にも関わりがあったと思われるミスラ神(ミトラ神)についてまとめています。

 なお、ここでは、ローマ世界で信仰されたミトラス神について記述しており、それ以外のミスラ神(ミトラ神)については、記事「6-(5).ミスラ神(ミトラ神)」を参照下さい。



 ミスラ神(ミトラ神)は元々は、インド・ヨーロッパ語族の古代アーリア人が信仰する神格群の一柱であり、その際の神名はミスラ神と言われます。
 古代アーリア人の出自は不明ですが、紀元前3000年頃から中央アジアを起点として東西に民族移動を開始し、まず、ヨーロッパへ向かう西方系とイラン高原・インド亜大陸に向かう東方系に分かれたとされます。

 イラン高原では、紀元前12世紀から紀元前7世紀頃(※正確な年代は定まっておらず、書籍よって様々)、ザラスシュトラが現れてゾロアスター教を創始しますが、当初はアフラ・マズダーを信仰する一神教であったのが、ザラスシュトラの死後、中級神のヤサダとしてミスラ神をはじめ、以前からアーリア人が信仰していた神々が取り入れられ信仰の対象となります。

 ゾロアスター教の聖典アヴェスターでは、ミスラ神は「光の君」、「真実の神」、「死から救う者」、「浄福を与える者」、「勝利者」、「戦士」、「広い牧場の君」などの称号が与えられており、その軍神としての性質、及び、現世利益的な性質から、海賊、商人、奴隷、軍人を媒介として流布し、ローマ世界へと流入したとされます。なお、そこでのミスラ神は通常、ミトラス神と呼ばれます。


 ミトラス神は、古代アーリア人やゾロアスター教などで信仰されたミスラ神と比べて質的差異が大きく、その具体的特徴として次のものがあげられます。(なお、その質的差異から、ミトラス神の源流がミスラ神ではないとする説もあります)
◆牛を屠る神
 ミトラス神は「牛を屠るミトラス神」という図像で描かれることが多く、その標準的な構成は、中央に牛を捕えて短剣で屠るミトラス神を配し、左右に一対の松明保持者、牛の下方に蛇、さそり、犬などの動物、上方または周囲に擬人化された太陽や月、天の12宮が描かれます。
 一対の松明保持者は、
脇侍神のカウテスとカウトパテスで、上向きと下向きの松明を持ち、オリエント的衣服と帽子をつけ、時として交脚で立つという姿で描かれます。松明の位置は、昇る太陽と沈む太陽を示すと言われていますが、交脚の意味は明らかではありません。

 この図像はミトラス神の神話に基づくものですが、その神話については後述します。



◆七つの位階と密議
 ミトラス教徒は次の七つの位階を持っており、最も上位の者には「父の父」(pater patrum)の称号が与えられました。 
位階 対応する天体 シンボル
@ 父(pater) 土星(サトゥルヌス) 錫杖、指輪
A 太陽の使者(heliodoromus) 太陽(ソル) 光背
B ペルシア人(perses) 水星(メルクリウス) 収穫用鋏、鎌
C 獅子(leo) 木星(ジュピター) 燃料用の受け皿、楽器シストルム(振鈴)、いかずち
D 兵士(miles) 火星(マルス) 背嚢
E 花嫁(nymphus) 金星(ヴィナス) 松明、冠、ランプ
F 大鴉(corax) 月(ルナ) 酒杯
 これらの名称の起源は不明ですが、これらの位階は、天界やこの世界の七つの区分に与えられた意義に対応しています。
 通常、この七つの位階は梯子になぞられ、それは霊魂が至高天に至るまでの行程を表していたと思われます。

 また、儀式の際は、教徒たちは仮面劇を演じ、その位階に従った役割を演じました。その主要テーマは聖なる婚礼と牛屠りであり、具体的には次のようなものでした。

------------------------------------------------------------------------
 「父」位と「花嫁」位の信者が聖婚の儀礼を行い、それに伴い、翌朝の新しい光としてミトラス神が出現。
 次に、「兵士」と「獅子」の二つの位階の信者が地母神の分身または顕現として、死と復活の儀式を行い、神による聖牛の供犠の前祝いをする。
 翌朝早々、「太陽の使者」とそのシンボルとしての「大鴉」の信者たちが合図すると、「ペルシア人」位の信者がミトラス神の代理として、聖牛供犠の真似事を演じる。
 その後、信者たちはミトラス神と太陽神との会見とミトラスの昇天を祝う饗宴を催す。
------------------------------------------------------------------------

 なお、この儀式はミトラス神の神話にのっとったものであり、また、天の12宮が象徴する天界を背景として行われた宇宙的救済行為の模倣だったとされます。

◆神殿
 神殿は、自然洞に原型をもつと考えられる人工の洞窟状建造物(スペラエウム)が使用され、それは、ミトラス神が牛屠りの儀式を起こった場所を想定したものです。
 その内部は長方形で長軸に沿って三分割され、真ん中の中央通路で儀式が執り行われ、両サイドに設けられたベンチでは、儀式の際に信者たちがそこに横座りになって聖なる会食を行いました。
 そして、入口の反対側は祭壇を安置した至聖所であり、その中央には「牛を屠る神」の像が掲げられました。
 なお、ミトラス教の主要な図像には「牛を屠る神ミトラス」、「獅子頭の怪神」、「岩から生まれるミトラス」、「ミトラス神一代記」などがあります。

◆獅子頭の怪神
 獅子頭の怪神像は、ミトラス教の主要図像の一つで、身体は人、頭は獅子で、翼を生やした姿をしています。

 その固有名詞や称号については文献も碑文もなく不明ですが、主に次の二つの説があります。

・クロノス(ズルヴァーン)説
 獅子頭の怪神の正体を、ギリシア語でアイオーン(永遠時間)、ペルシア文献(アヴェスタ)でズルヴァーンと呼ばれる時間の神であるとするものです。
 また、西方ではズルヴァーンとは呼ばれずにクロノスとされ、古代ローマ世界ではクロノスに相当する神はサトゥルヌスでした。

 巻きつく蛇は循環する永遠の時間を表し、また、獅子は、ミトラス教の「獅子」位階のシンボルが燃料用受け皿であることから火を表しているとします。
 つまり、この神は、永遠時間の神であり、一方で、時の流れが終わる時に万物が恐るべ猛火で灰塵に帰することを表しています。


・アーリマン説
 アーリマンはゾロアスター教の悪霊アンラ・マンユのことで、アフラ・マズダーの善に対する悪神のことです。
 ただし、獅子頭の怪神をアーリマンとする説は少数派です。


◆太陽神
 ミスラ神は本来、光の神でしたが、ミトラス神は太陽神であるとされ、「不敗の太陽」という称号を持ちます。
 ただし、ミスラ神が太陽神とされるのはローマ世界に固有のことではなく、イランでもアレクサンダー以後、太陽神とされるようになりました。


 このような特徴をもったミトラス教は、前1世紀中葉から後2世紀初頭までの間に形成されたとされ、2世紀から突然、全ローマ帝国で流行しはじめます。
 しかし、5世紀初頭には、国教となったキリスト教徒から激しい攻撃を受けて姿を消すことになります。


 なお、ミトラス教神話は、神殿内に奉納されていた壁画や彫刻などから、次のような内容だったと推定されます。

------------------------------------------------------------------------
 まず、原初に混沌があった。その中でクロノス(サトゥルヌス)の時代が来て、天と地が創造される。
 時が満ちてクロノスはその子ゼウス(ユピテル、ジュピター)に雷を手渡し、自らは引退する。
 その後、母なる大地ゲーの子ら(ギガンテスやティタネス)の反乱が起き、ゼウスはそれを鎮圧するが、荒廃の中に恩恵と秩序をもたらすべき道が見失われたままであった。
 そこでクロノスは、岩から新しい光としてミトラスを生み出させて弓と剣を与える。ミトラスは、聖なる行為、すなわち奇蹟として狩猟や泉水湧出などを成し遂げる。
 その後、太陽神ソルの導きによって天の牛舎にいる豊穣の牛を引き出し、宇宙の中心にある岩窟へと背負って運び、それを押さえつけて屠る。
 牛の傷口から出た血潮には犬などの動物が飛びつき、やがて、血潮は麦の穂に変わる。また、牛の生殖器は万物の種子として精子を放出し、同じく生命ある存在(獅子、蛇、さそり)によって迎えられ、大甕をあふれさせる。
 牛が死ぬと、太陽の使者として天から飛来した鴉によって、牛屠りの結果である生育の種子を太陽神ソルがその熱を送って守り育てるという約束がミトラスに伝えられる。
 こうして、ミトラスは太陽神ソルとの盟約が達成し、握手して饗宴をとって、二人は太陽神の神性を共有することになる。
 その後、共に戦車に乗って天界へと歓喜のうちに上昇する。
------------------------------------------------------------------------

 なお、ミトラスの誕生は冬至のこと、牛屠りは春分の時に起こったとされ、また、ミトラス教の祭儀で行われる饗宴で使用されるパンとブドウ酒(または水)は、それぞれ、牛の肉と血を象徴しているとされます。





<参考>ミトラス教と古代日本

 小川英雄氏はその著書『ミトラス教研究』(リトン)の中で、正倉院の伎楽面とミトラス教の儀礼との比較考察を行い、伎楽のミトラス教起源を唱えています。

 以下は、その概略です。
○ミトラス教はキリスト教の国教化後、5世紀初頭には、ローマ帝国では滅びたが、信者の一部は迫害を逃れて、海路でインド、チベット、雲南に到達した疑いがある。

○正倉院の伎楽面の謎めいた組み合わせはミトラス教の仮面劇に由来すると思われる。

○伎楽面は全部で二十三種あるとされるが、それらを次のように整理し、ミトラス教の七つの位階等と対応させることができる。
@ 獅子面グループ  これは獅子親子で演じられた獅子舞であり、それは豊穣儀礼の一部であった。
 ミトラス教では、「獅子」位の信者の象徴物の一つは楽器シストルム(振鈴)であり、獅子面の仮面劇はこの楽器で伴奏されたと思われる。
 伎楽の行列では獅子面の前を、多勢の楽士が進んだ。
A 治道面  伎楽では行列の先導役であった。
 ミトラス教の「太陽の使者」位は、太陽神の天のチャリオット(戦車)に用いるムチを象徴物の一つとし、太陽神の地上への顕現を先導する役目を持った。
B 迦楼羅面  鳥がオケラを捕食する仕種で舞ったとされるが、これは大地の幸の獲得を意味する。
 ミトラス教の「大鴉」位の信者は、太陽神とミトラス神の聖餐式にはべって、ミトラス神が屠った聖牛を焼き肉にして給仕する燔祭係として仮面付きで現れる。
C 金剛面  これは仁王と共通の起源をもつ守護者であり、ミトラス教の「兵士」位に相当する。そこでは死を克服し、天界への門への道程を守る勇士であった。
D 酔胡王面グループ  胡はペルシアを指したから、ミトラス教の「ペルシア人」位に相当する。酔の字で推測されるように、これはペルシア宗教の聖酒ハオマによるオージーを演ずる役目であった。ミトラス教ではブドウ酒が用いられたが、「ペルシア人」位の象徴物はハオマが由来する月、そしてオージーがもたらす豊穣のための収穫用鋏と鎌であった。
E 呉公面、太狐父面、波羅門面グループ  呉公面には胡論の銘文をもつものがあり、フリュギア帽風の山形冠をつけている点からも、これはゾロアスター教の聖者マゴス(マギ)を指すものと思われる。
 また、太狐父は伎楽の舞踏では仏門への帰依を演じる。波羅門はいわずもがなであり、要するにこのグループはイラン、インド、仏教の聖者を表す。
 これは、ミトラス教の最高の地位「父」に対応する。彼はミトラス教の代弁者として全信者の導師であると同時に、聖婚劇の主人公であった。
F 呉女面  この若い美女の面はミトラス教の「花嫁」位に対応し、呉公と聖婚劇を演じるためのものであった。






◆参考文献等
書 名 等 著 者 出 版 社
『ミトラス教研究』
 
小川英雄 リトン
『ローマ帝国の神々』
 
小川英雄 中公新書
『ゾロアスター教』
 
青木健 講談社
『ゾロアスター教』
 
P・R・ハーツ
奥西峻介(訳)
青土社
『ゾロアスター教 神々への賛歌』
 
岡田明憲 平河出版社





TOPページ