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 七福神と『ヨハネの黙示録』 (その1)


 右の絵は、記事「5‐(32).稲荷神社と『ヨハネの黙示録』(その1)」で使用したものです。

 該当記事で説明した通り、右図の宇迦之御魂(うかのみたまの)神は、『ヨハネの黙示録』の「再臨のキリスト」の記述と驚くほど一致しており、私は、宇迦之御魂(うかのみたまの)神の正体を「再臨のキリスト」だと考えています。(※詳細は該当記事を参照)

 また、該当記事では、右図の宇迦之御魂(うかのみたまの)神以外の、中段の神々や下段のキツネについても、『ヨハネの黙示録』の記述にそって説明を行いました。

 そして、中段の神々は、七福神の含まれる大黒天と弁財天です。

 当記事では、大黒天を中心に考察を試みたいと思います。

 なお、参考までに、右図の大黒天と弁財天の解釈を再度、簡単に説明しておきます。

 この二神は、再臨するキリストの二面性を表しています。より具体的には、良い実をならせた者と悪い実をならせた者への対応の違いです。

 左側には米俵が描かれています。一番上では刈り入れが行われた直後の姿が描かれていますから、米俵で、二段目がさらに、その後の出来事であることを示しています。

 米俵に入っている米は、キリストによって刈り取られた、良い実をならせた人たちです。さらに、その上に神が乗っていますので、この、良い実をならせた人たちは、キリストの支配下にあることを表しています。

 そして、大黒天が手に持っている打出の小槌と袋は、良い実をならせた者たちが与えられる様々な幸福を象徴しています。

 一方、良い実をならせることが出来なかった者たちは、キリストの代わりに天使が刈り入れ、神の激しい怒りの大きな酒ふねに入れられて踏まれることになります。(『ヨハネの黙示録』14章17-20節)


 また、神に反する獣とその信従者たちは、キリストの軍勢に戦いを挑みますが、敗北して火の池に投げ込まれたりして殺されます。

 右側の弁財天は、この、獣の軍勢と戦って勝利し、神罰を与える戦神としての再臨のキリストを描いているのです。

 なお、『マタイの福音書』には最後の審判の様子が記述されていますが、そこでは、キリストの右側に羊(祝福される人たち)、左側に山羊(呪われる人たち)が置かれると記載されています(25章31-41節)。

 上図でも、キリスト(宇迦之御魂(うかのみたまの)神)の右に、祝福する大黒天が、左に、呪い罰する弁財天が描かれています。


 さて、大黒天です。

 大黒天は、もともと、インドのシヴァ神(破壊の神、時間の神)の化身の一つで、サンスクリット語ではマハーカーラと呼ばれる神です。「マハー」は「大」で、「カーラ」は「黒」を意味し、大黒はそのままの訳であると言えるでしょう。

 そして、シヴァ神が世界を破壊する時に、この姿になると言われ、身体は黒色または青黒色で、右図のように、恐ろしい表情をしています。

 このマハーカーラが大黒天という名前で、密教経由で日本に伝来すると、「大国」と「大黒」が「だいこく」という音で通じることから、大国主神と同一視されるようになりました。
 やがて、狩衣(平安時代以降の公家の普段着)を着て鳥帽子を被り、打ち出の小槌を持って、背中には大きな袋を担ぐという大国主神風の大黒天が作られるようになり、この姿のものが大黒天として一般に広まって行きました。

 この、日本で一般的な大黒天の姿は温和な表情ですが、その裏には破壊神としての顔を隠していると言えるでしょう。

 そして、この大黒天に、一般にはあまり見慣れない、三面六臂のものがあります。右図のものがそうです。
 大黒天を中心に、左に毘沙門天、右に弁財天が配置されています。

 この図は、基本的に、上記の宇迦之御魂(うかのみたまの)神の図の中段の、大黒天と弁財天を同じものを示しています。

 『ヨハネの黙示録』を基準に、この三面六臂の大黒天を解釈してみましょう。

 この大黒天は、『ヨハネの黙示録』に描かれた再臨のキリスト、そのものの姿を象徴しています。

 大黒天は、上述の、宇迦之御魂(うかのみたまの)神の図の時の説明と同じです。

 次に、右の弁財天は、鍵と如意宝珠を持っています。
 鍵は、「ダビデの鍵」で知恵の象徴。『ヨハネの黙示録』には、キリストを表現した次のような記述があります。

 聖なる方、真実なる方、ダビデの鍵を持っている方、彼が開くと誰も閉じる者がなく、彼が閉じると誰も開く者がない、その方がこう言われる。(3章7節)

 また、如意宝珠は、仏教的には「様々な霊験を表すとされる宝の珠のこと」ですが、私は、これは、記事「5‐(32).稲荷神社と『ヨハネの黙示録』(その1)」で記載した通り、「いのちの木の実」を象徴していると考えています。「いのちの木の実」とは、エデンの園に生えているとされるニつの木の内の一つで、その実を食べると永遠の命を得るとされています。

 『ヨハネの黙示録』には、「いのちの木の実」は次のように記載されています。

 耳のある者は、御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにある、いのちの木の実を食べさせよう。(2章7節)

 最後に、毘沙門天です。毘沙門天が持つのは、三叉戟と金剛棒(宝棒)で、どちらも武器です。上の宇迦之御魂(うかのみたまの)神の図で、弁財天が示していた戦神としての側面を、毘沙門天として独立させたと捉えることができるでしょう。


 そして、この図の大黒天は文字通り、三位一体となっていますが、これは、キリスト教の父と子と聖霊の三位一体、及び、ユダヤ教のカッバーラ(※仏教で言うところの密教にあたる)で使用される「セフィロトの樹(生命の樹)(※下図)」に以下の通り、対応しています。

     毘沙門天 ・・・ 聖霊 ・・・ 峻厳の柱
     大黒天   ・・・ 父  ・・・ 均衡の柱
     弁財天   ・・・ 子  ・・・ 慈悲の柱

 キリスト教の三位一体との対応では、子であるキリストが女神になっていますが、日本では、キリストは表向き、女神である天照大神として祀られていますから、問題ないと言えます。

 また、家の中心部に立つ柱のこと、及び、家族や国の中心となって、それを支える人物を大黒柱と呼びます。
 大黒柱は大極柱(だいこくばしら)とも記述し、大極とは、万物の根源、天空の中心を意味し、そこで天帝が世界を支配しているとされています。
 よって、大黒は大極に通じ、天なる父のいる世界の中心と捉えることができます。

 一方、「セフィロトの樹」との対応では、戦闘神である毘沙門天が「峻厳の柱」、そして、女神である弁財天が「慈悲の柱」です。ぴったりの配置であると言えるでしょう。

 さらに、弁財天が持っている物は、私の解釈だと「ダビデの鍵」と「いのちの木の実」です。
 「ダビデの鍵」は知恵の象徴であり、「セフィロトの樹」の「2.コクマー(知恵)」に対応し、一方、「いのちの木の実」は、上述の通り、『ヨハネの黙示録』には、勝利を得る者に食べさせると記載されていますから、「7.ネツァク(勝利)」に対応しています。



 さて、大黒天、弁財天に引き続き、毘沙門天も登場しました。毘沙門天も七福神を構成する一柱です。

 なぜ、七福神の神々に、こんなにも、『ヨハネの黙示録』等との関連が見出されるのでしょうか。

 よって、次の記事では、「他の七福神もキリスト教、特に『ヨハネの黙示録』に関連しているのではないか」という観点で考察を続けて行きたいと思います。



◆参考文献等
書 名 等 著 者 出 版 社
『図説 七福神』
戎光祥出版




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