2011年3月11日(金)14時46分頃に発生した東北地方太平洋沖地震。
M9.0という地震の威力もさることながら、その後に発生した津波の驚異的な破壊力。
人々はもちろんのこと、家々でさえも簡単に押し流され、それが過ぎ去った後は、廃墟とさえも言えない程の、泥と瓦礫の地と化していました。
さて、このような津波とその爪痕、そして、その恐怖を語る人々の映像を見て、聖書の次の記述を思い出した方も少なくないのではないでしょうか。
『マタイの福音書』 24章16-22節
その時は、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。
屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。
畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。
だが、その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。
ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。
その時には、世の初めから、今に至るまで、未だかつてなかったような、また、これからもないような、ひどい苦難があるからです。
もし、その日数が少なくされなかったら、一人として救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。
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これは、世の終わりに、どのような前兆があるのかと弟子たちに聞かれたイエスが、答えて語ったものの一部です。
そして、上記内容を東北地方太平洋沖地震で発生した津波のことだと考えれば、ぴったりと当てはまることが分かります。
「山へ逃げなさい。
屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。
畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。」
まさに、そのままの警告です。
また、畑にいる者に対しての警告があることから、これが起きるのは夜ではなく昼であることが分かります。東北地方太平洋沖地震が起きたのも14時46分頃で昼間です。
ただ、上記記述には、「ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい」とあり、ユダヤの地で起きることが示唆されています。
しかし、私は、拙著や当HPで記載してきた通り、日本という国を中心となって作ったのはイスラエルの民であると考えています。よって、日本をユダヤの地であると捉えることも可能かと思います。(多少、拡大解釈になりますが)
なお、2011年2月22日に大地震が起きたのがNZの「クライストチャーチ(訳せば、「キリストの教会」)」。そして、その約20日後の3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による原発事故で、世界的に有名になった地名が「福島」。
福島を「福音の島」と解釈すれば、それは、隠されたキリスト教の島国である日本を指す言葉に他なりません。
「世界に何か起き始めているのではないか?」と感じるのは、私だけではないでしょう。
さて、以下では、「仮に、『マタイの福音書』の上記記述が、日本で起きた東北地方太平洋沖地震を予言していたとすると」という前提で話を進めて行きたいと思います。
『マタイの福音書』には、上記出来事の前に、どのようなことが起きるのかも記載されています。
次にその内容を見てみましょう。
『マタイの福音書』 24章4-8節
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。
「人に惑わされないように気をつけなさい。
私の名を名乗る者が大勢現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
また、戦争のことや、戦争の噂を聞くでしょうが、気をつけて慌てないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉と地震が起こります。
しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。 |
大勢の偽キリストが現れることや、戦争、飢饉、地震などの発生が示唆されています。
これらは、大抵の場合、どんな時代においても、こじつけることが可能なので、あえて、当記事では、こじつけることはしません。
そして、この記述は次のように続きます。
『マタイの福音書』 24章9-14節
その時、人々は、あなたがたを苦しい目に会わせ、殺します。また、私の名のために、あなたがたは全ての国の人々に憎まれます。
また、その時は、人々が大勢つまずき、互いに裏切り、憎み合います。
また、偽預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。
不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、全ての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。 |
この文章での「あなたがた」とは使徒たちのことです。
そして、その使徒たちが、人々に憎まれ、殺されることが示唆されていますが、これは、先ほど出てきた偽キリストや偽預言者たちを信じる人達によってではないかと思われます。
また、最後に、「この御国の福音は・・・全ての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます」とありますが、福音があかしされる、つまり、証明されるのは、キリストが再臨することによってです。
さらに、記述は、次のように続きます。
『マタイの福音書』 24章15節
それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)
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この記述は、この後、一番最初に引用した文章へと続きます。
よって、東北地方太平洋沖地震の発生フラグが立つ条件が、この、「荒らす憎むべき者」の登場だと言うことになります。
また、「聖なる所」は、通常、エルサレムの神殿だと解釈されますが、『マタイの福音書』が東北地方太平洋沖地震を予言していたという前提に立てば、それは、日本最大・最高の聖地、伊勢神宮になります。
なお、この「荒らす憎むべき者」について、私は当たりをつけていますが、個人名を記述しなければならなくなるので、ここでは記述しません(私の単なる見込み違いの可能性もありますが)。
その者は、まだ、それほど有名ではありませんが、今後、東北地方太平洋沖地震の発生による人々の不安を糧に、さらに、信者を獲得し、知名度を上げて行くことになるでしょう。
そして、その者は、伊勢神宮を穢し、冒涜していますが、それは、そのままの分かり易い言葉による冒涜ではありません。伊勢神宮を聖なるものとした上で、デタラメな霊視結果や解釈等を述べ、それを真実として人々に示すことによって冒涜しているのです。
また、この者が「荒らす」のは、「聖なる所」だけではありません。
当HPの他記事では、田んぼをこの世、稲穂を人々の象徴だとしましたが、この者は、キリストが刈り入れをする前に、田んぼを荒らし、一部の稲穂(=人々)をついばみ食べてしまうでしょう。それは、その者が説く偽りの教えに人々が騙され、狂信・盲信状態に陥ることを意味しています。
なお、これは、「荒らす憎むべき者」だけでなく、全ての偽キリスト、偽預言者に関しても言えることです。
以上が、最初に引用した『マタイの福音書』の記述の前に記載されている内容ですが、以下は、その後のものになります。
『マタイの福音書』 24章23-27節
その時、『そら、キリストがここにいる』とか、『そこにいる』とか言う者があっても、信じてはいけません。
偽キリスト、偽預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。
さあ、私は、あなたがたに前もって話しました。
だから、たとい、「そら、荒野にいらっしゃる」と言っても、飛び出して行ってはいけません。「そら、部屋にいらっしゃる」と聞いても、信じてはいけません。
人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうど、そのように来るのです。
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ここでは、偽キリストや偽預言者の登場に対する警告が記載されています。
そして、「大きなしるしや不思議なことをして見せます」とあるので、偽キリストや偽預言者であっても、それなりの力を持っていることが伺えます。
よって、どんな霊能力、例えば、霊視能力や予知能力などがあるからと言って、そのことを判断の材料にしない方が良いと言えます。むしろ、そういうものを売り物にしている人物ほど、疑ってかかった方が良いでしょう。
『マタイの福音書』 24章28-30節
死体のある所には、はげ鷹が集まります。
だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。
その時、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗ってくるのを見るのです。
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大津波の苦難などに続いて、「太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされ」、さらに、その後、「人の子(=再臨のキリスト)」が現れるようです。
よって、今後、「太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされ」という事象が発生すれば、「『マタイの福音書』が東北地方太平洋沖地震を予言していた」という可能性が高くなると言えるでしょう。
『マタイの福音書』 24章31節
人の子は、大きなラッパの響きと共に、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てまで、四方からその選びの民を集めます。
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記述によると、キリストの再臨後、選びの民が集められることになるようです。
以上、『マタイの福音書』に予言されている出来事を時系列にまとめると、以下の通りとなります。
@.戦争、飢饉、地震等の発生
A.「荒らす憎むべき者」の登場
B.大津波、もしくは、大洪水の発生(東北地方太平洋沖地震?)
C.太陽と月が暗くなり、星は天から落ち、天の万象が揺り動かされる
D.キリストの再臨
E.選ばれた民がキリストの下に集められる
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さて、キリスト教の予言書と言えば『ヨハネの黙示録』ですが、(その2)では、その内容と『マタイの福音書』の内容とを比べてみたと思います。
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