この秀美なる仏像は等身よりは少しく大にして、実に明治十七年の夏、余が一名の日本同僚と倶に発見したる所に係る。余は日本中央政府より下付せられたる公文に依り、法隆寺の各倉庫各厨子の開検を要求する権能を有したり。八角形の夢殿の中央に閉鎖したる大厨子ありて、柱の如く天に冲したり。法隆寺の僧は伝説を語て曰、此の内には推古天皇の時、朝鮮より輸入したるものあり、然れども、二百年前より曾て一度も是を開扉したることなしと。此の如き稀世の宝物を見るに熱心なる余は、有らゆる議論を用ひて開扉を強ひたり。寺僧は、若し之を開扉せば忽ち神罰あり、地震は全寺を毀つべしとて長く抗論したり。然れども我らの議論は遂に勝ち、二百年間用ひざりし鍵が錆たる鎖鑰内に鳴りたるときの余の快感は今に於て忘れ難し。厨子の内には木綿を以て鄭重に巻きたる高き物顕はれ、其の上に幾世の塵埃堆積したり。木綿を取り除くこと容易に非ず、飛散する塵埃に窒息する危険を冒しつつ、凡そ五百"ヤード”の木綿を取り除きたりと思ふとき、最終の包皮落下し、此の驚嘆すべき無二の彫像は忽ち吾人の眼前に現はれたり。
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