法隆寺と『ヨハネの黙示録』(その1)

 奈良の斑鳩にある法隆寺。
 聖徳太子建立の七寺に名をつらね、また、世界最古の木造建築としても有名です。

 その創建は、通説によれば、推古十五年(607年)とされます。ただし、根拠とされるのは、法隆寺金堂に安置されている下記の金銅薬師如来坐像の銘文ですが、この銘文については信憑性を疑う声も強く、実際の創建年は良く分かっていないと言うのが実情です。
金銅薬師如来坐像 光背銘文(概略)
 用明元年(586年)に、用明天皇が発病し、病気平癒のために寺を作り、薬師像を奉るよう仰せられた。
 ところが、その命を果たさぬ内に崩御され、聖徳太子と推古天皇がその遺命を果たすために、推古十五年(607年)に作り奉った。
 また、法隆寺の創建については、他の寺については創建を記載している『日本書紀』にも記述がなく、天智九年(670年)に、火災で一屋残らず焼失したという情報がいきなり登場します。

 そして、一屋残らず焼失したのなら、現在ある法隆寺の建物は再建されたもののはずですが、その再建についても、『日本書紀』は、やはり何も記載していません。

 ただし、金堂の屋根裏等に使われている木材を年輪年代測定した結果、650年代末から690年代末に伐採されたものであるという結果が提出されています。
 また、金堂や五重塔の天井板の裏側から、人物像や文字などのイタズラ書きが発見されていますが、その字体と服装の特徴から、天武天皇の在位時代(672-686)、あるいは、それ以後のものらしいとの鑑定結果が出ています。

 よって、文献上は不明でも、再建は7世紀後半だろうと言うことが分かっています。


 しかし、創建についても、再建についても、何故か口を閉ざす『日本書紀』。
 これは、『法隆寺伽藍縁起 (ならびに) 流記(るき)資材帳』(747年)や『上宮(じょうぐう)聖徳法王(しょうとくほうおう)帝説(ていせつ)』(12世紀以前)などの書物でも同様です。

 創建や再建を始め、何かと謎が多い法隆寺。

 この法隆寺の本尊は釈迦三尊像(国宝)で、金堂に祀られています。

金堂内部。中央が釈迦三尊像
 そして、金堂に祀られている仏像等の配置は以下の通りです。
<金堂の配置>
 内陣に配された仏像は全部で11体(三尊像は1体とする)。この11体は「四隅に配された四天王(※緑色の部分)とその他」と捉えると、4体と7体ということになります。そして、壁面に配置された図と像は全部で12。

 この7−4−12という構成と似た配置をとるものに、イスラエルの民の幕屋があります。

 幕屋とは、言わば、移動式神殿であり、モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエルの民は、神を幕屋に祀って、神と共に移動しました。
 その幕屋の配置は、『旧約聖書』の『民数記』2-4章に記載されており、それを図にすると以下の通りとなります。

 契約の箱のある聖所を中心に、まず、レビの4氏族(図のグレーの部分)が配置され、その周りをイスラエルの12部族が陣取ります。
 聖所を中心に、4−12という配置になっています。

 そして、「7」に相当するものが上の図にはありませんが、聖所にはメノラーがあります。

 メノラーとは、燭台のことで、『旧約聖書』の『出エジプト記』25章31〜40節にその仕様が記載されています。

 基本形は台座とそこから上にのびる一本の枝があって、さらに、その枝の左右から三本ずつ枝が出ている形。合計7つの枝の上に受け皿を置いて火を灯すことになります。
 また、「メノラー」は、神の幕屋を照らす光であり、古くからユダヤ教の象徴として使用され、ユダヤ教神秘主義のカッバーラでは生命の樹(注)を象徴しているとされます。

   (注)生命の樹・・・エデンの園に生えていたとされる木で、その実は人に永遠の命を与えるとされる

現在のイスラエル国の国章のデザインに使用されているメノラー

生命の樹の象徴である、なつめ椰子の樹をモチーフにした青銅貨(イスラエル・2世紀)。
7本の枝で、メノラーを意識したデザインになっている。
 この「メノラー」の「7つの枝」が、「7」に相当し、イスラエルの幕屋も、法隆寺の金堂と同じく、7−4−12という配置となっていることになります。

 なお、メノラーの「7」を配置の1つとして数えることに、無理を感じる人もいるかもしれませんが、この幕屋の配置を天上の神の玉座の配置として描いたものに『ヨハネの黙示録』がありますので、そちらも見てみましょう。
『ヨハネの黙示録』 4章1-8節
 この後に、私は見た。すると、開かれた扉が天上にあるではないか。そして、あの最初に聞いた声が、ラッパのような声で私に語りかけるのを聞いた。それは、「ここまで上がって来い。そうすれば、私は今後、起こるはずのことをお前に見せよう」と言っていた。

 私はたちまち霊に満たされた。するとそこ、天に玉座が据えられていて、その玉座に座っている者がいた。

 座っている者の相貌は、碧玉(へきぎょく)紅玉髄(こうぎょくずい)のようであった。そして、その玉座のまわりを、エメラルド色をした虹が取り巻いていた。

 また、
玉座のまわりには24の王座があって、その王座には、白い衣を身にまとい、頭には金の冠を被った24人の長老たちが座っていた。

 玉座からは稲妻が閃き、轟音が聞こえ、また、雷の轟きがしていた。また、
玉座の前では七つの火の燭台が燃え盛っていたが、それは神の七つの霊であった。

 玉座の前は、水晶のように透明な、ガラスの海のようなものが広がっていた。
玉座の中央と玉座の周囲には、前面も背面も、一面に目で覆われた四匹の生き物が侍っていた。

 第一の生き物は獅子に似ており、第二の生き物は若い雄牛に似ており、第三の生き物は人間のような顔を持っており、そして、第四の生き物は飛んでいる鷲に似ていた。

 それら四匹の生き物は、それらの各々が六つの翼を持っており、まわりじゅう、しかも内側まで目で覆われている。それらは昼も夜も休むことなく、こう言い続けている。「聖なるかな、聖なるかな、主、全能者なる神、昔いまし、今いまし、また、これから来られる方」。
 これが、ヨハネが幻視した神の玉座の様子です。「7つの火の燭台」と記述され、先ほど説明したメノラーが登場していることが分かります。

 また、神の玉座の周囲にいる存在として記述されているものを「青字にしましたが、それらをまとめると以下の通りです。
玉座のまわり 24の王座(24人の長老)
玉座の前 7つの火の燭台(神の7つの霊)
玉座の中央と玉座の周囲 4匹の生き物
 この記述だけでは、位置関係は、はっきりと分かりませんが、24と最も数の多い「24の王座(24人の長老)」が最も外側でしょう。
 そして、「7つの火の燭台(神の7つの霊)」と「4匹の生き物」は、上述した、幕屋の配置を参考にすれば、「7つの火の燭台(神の7つの霊)」の方が内側ではないかと思われます。

 そう考えると、神の玉座の配置は、7−4−24となることが分かります。

 法隆寺金堂や幕屋は7−4−12でしたので、三番目が「12」と「24」で違っています。ただし、神の玉座の配置の「24」はイスラエルの12部族の「12」と、キリストの12使徒の「12」を足した数字ですので、「12」が基本です。よって、「12」だけでも、この双方を象徴すると捉えることが可能だと思います。


 さて、法隆寺金堂の配置が、幕屋や神の玉座と同じ配置になっていることが分かったところで、法隆寺金堂の仏像等をもう少し詳しく見てみましょう。

 まず、7−4−12の「12」に相当する壁画ですが、これには、絵と像があります。数を数えると、上で掲載した<金堂の配置>の図の青色部分が像で「8」。残りが絵で「4」です。

 これは、イスラエルの12部族の内、日本に来たのが部族であることを表わしていると思われます。絵に描かれただけで実体がないのが「4」で、それは日本に来なかった4部族。そして、像として実体があるものが、日本に来た8部族を象徴しているのです。

 ちなみに、これは、記事「5-(31).京都御所の門に使用されていた(?)図柄」で説明した、12匹の獅子の内、囲われた8匹の獅子と同じ意味ことを表わしています。

京都御所の門に使用されていた図柄(※詳細は該当記事参照)
 次に、7−4−12の「7」に相当する部分を見てみましょう。まずは、本尊の釈迦三尊像です。

金銅釈迦三尊像(国宝・飛鳥時代)
 釈迦像を中心に、三体でキリスト教の三位一体を表わし、さらに、中央の釈迦像は左手で、「中指、人差し指、親指を立てる」と言う三位一体を表わす手の形をしています。(※詳細は記事「5-(54).広隆寺とキリスト教の三位一体」を参照。なお、釈迦像の手の形は、他の仏像でもよく見られるものである)

 次に、左右の脇侍が持っているものを見てみましょう。
 両手に、卵型の物を持っています。これは、永遠の命をもたらす「生命の樹の実」を表わしているものと思われます。また、右手は「中指とてのひらで挟む」という不自然な持ち方をしており、何か意味があると思われますが現時点では不明です。

 ちなみに、『ヨハネの黙示録』でも「生命の樹の実」は登場します。
『ヨハネの黙示録』 2章7節
 耳のある者は、御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにある、生命の樹の実を食べさせよう。
※この箇所だけでなく、他の箇所でも登場する
 さらに、釈迦像の光背部分を見てみましょう。
 化仏(光背の小さな仏)の数は全部で「7」。これは、『ヨハネの黙示録』に描かれた神の玉座の様子の「7つの火の燭台(神の7つの霊)」に対応しています。

 また、光背に化仏がある仏像は、金堂に祀られたものでは、他に薬師如来坐像と阿弥陀如来座像がありますので、そちらの化仏も見てみましょう。まずは、薬師如来座像です。

金銅薬師如来坐像(国宝・飛鳥時代)
 頭部の周りにハスの花が描かれ、そこから延びた花の上に7つの化仏が乗っています。これは、先述したユダヤ教のメノラーの変形版だと言えるでしょう。メノラーの火の部分が仏になっており、火(=霊)を仏で表わしています。

 そして、次に阿弥陀如来座像ですが、こちらも薬師如来座像の光背と基本的に同じデザインになっています。

金銅阿弥陀如来坐像(重要文化財・鎌倉時代)
 ちなみに、この阿弥陀如来坐像は盗難にあって、鎌倉時代に作り直されたものです。


 以上、法隆寺金堂の仏像等の配置は、イスラエルの幕屋、及び、『ヨハネの黙示録』の神の玉座を前提として、設定されたものではないかと思われます。

 さて、ここまで、法隆寺金堂と『ヨハネの黙示録』等の関連について説明してきましたが、次のような疑問を持っている方もいるのではないかと思います。
釈迦三尊像が金堂の本尊なら、配置は7−4−12ではなく、1−6−4−12ではないか
 確かに、釈迦三尊像が本尊で、そこが神の玉座に相当するのなら、配置は1−6−4−12です。

 しかし、私は、釈迦三尊像が本尊とされているのは表向きの話で、金堂の真の本尊は別にあると考えています。

 そして、その真の本尊については、次の記事で明らかにしたいと思います。





◆参考文献等
書 名 等 著 者 出 版 社
『名宝日本の美術2 法隆寺』
相賀徹夫(編・著) 小学館
『飛鳥・法隆寺の謎』
テレビ東京(編) 祥伝社
Wikipedia「法隆寺」
Wikipedia「上宮聖徳法王帝説」





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