金銅薬師如来坐像 光背銘文(概略) 用明元年(586年)に、用明天皇が発病し、病気平癒のために寺を作り、薬師像を奉るよう仰せられた。 ところが、その命を果たさぬ内に崩御され、聖徳太子と推古天皇がその遺命を果たすために、推古十五年(607年)に作り奉った。
金堂内部。中央が釈迦三尊像
<金堂の配置>
現在のイスラエル国の国章のデザインに使用されているメノラー 生命の樹の象徴である、なつめ椰子の樹をモチーフにした青銅貨(イスラエル・2世紀)。 7本の枝で、メノラーを意識したデザインになっている。
『ヨハネの黙示録』 4章1-8節 この後に、私は見た。すると、開かれた扉が天上にあるではないか。そして、あの最初に聞いた声が、ラッパのような声で私に語りかけるのを聞いた。それは、「ここまで上がって来い。そうすれば、私は今後、起こるはずのことをお前に見せよう」と言っていた。 私はたちまち霊に満たされた。するとそこ、天に玉座が据えられていて、その玉座に座っている者がいた。 座っている者の相貌は、碧玉(へきぎょく)と紅玉髄(こうぎょくずい)のようであった。そして、その玉座のまわりを、エメラルド色をした虹が取り巻いていた。 また、玉座のまわりには24の王座があって、その王座には、白い衣を身にまとい、頭には金の冠を被った24人の長老たちが座っていた。 玉座からは稲妻が閃き、轟音が聞こえ、また、雷の轟きがしていた。また、玉座の前では七つの火の燭台が燃え盛っていたが、それは神の七つの霊であった。 玉座の前は、水晶のように透明な、ガラスの海のようなものが広がっていた。玉座の中央と玉座の周囲には、前面も背面も、一面に目で覆われた四匹の生き物が侍っていた。 第一の生き物は獅子に似ており、第二の生き物は若い雄牛に似ており、第三の生き物は人間のような顔を持っており、そして、第四の生き物は飛んでいる鷲に似ていた。 それら四匹の生き物は、それらの各々が六つの翼を持っており、まわりじゅう、しかも内側まで目で覆われている。それらは昼も夜も休むことなく、こう言い続けている。「聖なるかな、聖なるかな、主、全能者なる神、昔いまし、今いまし、また、これから来られる方」。
玉座のまわり 24の王座(24人の長老) 玉座の前 7つの火の燭台(神の7つの霊) 玉座の中央と玉座の周囲 4匹の生き物
京都御所の門に使用されていた図柄(※詳細は該当記事参照)
金銅釈迦三尊像(国宝・飛鳥時代)
『ヨハネの黙示録』 2章7節 耳のある者は、御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにある、生命の樹の実を食べさせよう。 ※この箇所だけでなく、他の箇所でも登場する
金銅薬師如来坐像(国宝・飛鳥時代)
金銅阿弥陀如来坐像(重要文化財・鎌倉時代)
釈迦三尊像が金堂の本尊なら、配置は7−4−12ではなく、1−6−4−12ではないか
◆参考文献等 書 名 等 著 者 出 版 社 『名宝日本の美術2 法隆寺』 相賀徹夫(編・著) 小学館 『飛鳥・法隆寺の謎』 テレビ東京(編) 祥伝社 Wikipedia「法隆寺」 Wikipedia「上宮聖徳法王帝説」