草薙剣と『ヨハネの黙示録』(その2)

 (その1)では、草薙剣の名称の解釈を試みて、『ヨハネの黙示録』との関連を見て来ましたが、当記事では、引き続き、草薙剣が祀られている熱田神宮について見て行きたいと思います。


 草薙剣は、熱田神宮において「熱田大神」という神名で祀られています。

 「熱田」という語源について調べてみると、『日本語源大辞典』(前田富祺(監修)/小学館)では次の2説が記載されています。
@.アユチダ(年魚市田)の約か<古事記伝>。
A.アは接頭語で、津田または津処の意か<日本古語大辞典=松岡静雄>。
 どちらも可能性としては、あるかも知れませんが、この「熱田」も、『ヨハネの黙示録』との関連で解釈してみたいと思います。

 まず、(その1)で記載した通り、草薙剣の名称が、再臨のキリストが穀物(=人)を刈ることをイメージしたものであるならば、そこから「田」が連想されるのは当然でしょう。

 また、穀物が人々の象徴ならば、田は、その穀物が育って実を実らせる所で、この世を象徴することになります。

 そして、その田が熱い。

 この「熱」は、『ヨハネの黙示録』が描く浄化の炎を暗示するものだと思われます。

 『ヨハネの黙示録』では、以下の通り、この世の終末に、獣や偽預言者、及び、その信従者たちを焼くという炎が描かれています。
『ヨハネの黙示録』(14章9-11節)
 もう一人別の第三の天使が先の二人に続いて大声で言った、「誰でも、獣と獣の像を礼拝し、その額か手に獣の刻印を受けているならば、その者は、神の怒りの杯に水を混ぜて薄められないままに注がれた、神の怒りの葡萄酒を飲むことになり、また、聖なる天使たちと小羊との前で、硫黄の燃え盛る炎に苦しめられることになる。彼らを苦しめる煙は世々永遠に立ち昇り、獣と獣の像とを礼拝する者たち、それに誰でも、その名前の刻印を受けているなら、その者たちは、昼も夜も、安らぎを持つことはない。
『ヨハネの黙示録』(19章19-20節)
 私はまた、かの獣と地上の王たちとその軍勢とが、馬に乗った騎士とその軍勢とに戦いを挑むために、結集しているのを見た。
 しかし、獣は捕らえられた。また、この獣の面前でもろもろの(しるし)を行って、獣の刻印を受けた者たちや獣の像を礼拝する者たちを惑わしたかの偽預言者も、獣と一緒に捕らえられた。これら両者は、生きながらに、硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた
※他にも同様に記載あり。
 この世(=田)で、神に敵対する者たち、良い実をならせることが出来なかった者たちが硫黄の燃え盛る炎で焼かれることになるので、「熱い田」なのです。

 さらに、火関連で言えば、熱田神宮の末社に氷上姉子(ひかみあねご)神社があり、祭神はヤマトタケルに草薙剣を預けられた宮簀(みやず)姫命です。

 この神社は火上山と呼ばれる丘陵の麓にあり、この地はもともと火高(ほだか)と呼ばれていたそうで(現在は、大高町)、宮簀(みやず)姫命もこの地に住んだことがあることから、その縁でこの地で祀られることになったそうです(*5)。

 「火上山」に「火高(ほだか)」と、火関連の名称へのこだわりが見えます。

 社名も、もともとは、「上姉子神社」だったのが、永徳3年(1382年)に、当社に火災があったので、火の字を嫌って、社名の「火上」を「氷上」に、地名の「火高」を「大高」に変えたそうです(*5)(※ちなみに、「姉子」は「夫のない乙女」の意で、宮簀(みやず)姫命を指す言葉です(*6))。

 草薙剣を奉祭する地として最終的に熱田の地を選んだとされるのは宮簀(みやず)姫命ですが、それ以前に、火高(ほだか)の火上山で草薙剣を祀っていたことがあって、「硫黄の燃え盛る炎」を意識してこのように名付けられたのかも知れません。
(*5)『熱田神宮』P.166 (篠田康雄/学生社)
(*6)Wikipedia「氷上姉子神社

 また、
『ヨハネの黙示録』の大きなテーマの一つは「永遠の命」ですが、そこでは、信仰を守り、悪の誘惑に打ち勝つことによって良い実をならすことができた者は、キリストと共に神の都に住むことができ、永遠の命が与えられることが記載されています。

 そして、熱田神宮には、「永遠の命」と関係するものとして蓬莱伝説があります。

 蓬莱は、中国の神仙説における東方海上の仙境のことで、そこには不老不死の仙人が住むと伝えられていました。徐福が秦の始皇帝を偽り、不老不死の薬を求めて蓬莱を目指したのは有名な話です。

 そして、『史記』に書かれた徐福の話を元に、日本各地に徐福来訪伝説や蓬莱伝説が生まれることになりますが、例えば、和歌山の熊野灘には徐福が渡来したとの伝承があり、熊野川の河口には蓬莱山と名付けられた山(丘?)があって、その麓の阿須賀(あすか)神社の境内の徐福宮には徐福が祀られています。

 また、富士山は別名、蓬莱山とも言われ、その名前から不死が連想されますし、竹取物語で不死の薬を焼いた場所でもあります。

 さて、熱田ですが、同地にも不老不死の薬を求めて徐福が来訪したとの伝承があり、また、鎌倉末期の比叡山の僧光宗が書いた『渓嵐拾葉集』の中には、「蓬莱宮は熱田の社これなり、楊貴妃は今熱田明神これなり」と記載されています。

 何故、突然、楊貴妃が出て来るのかと不思議に思うかも知れませんが、これには別の説話があります。

 その話とは、唐の玄宗が日本を侵略しようとしていたので、熱田明神が楊貴妃に姿を変えて後宮に入り、玄宗を骨抜きにして日本侵略を防いだという話です。そして、その後、楊貴妃を失った玄宗が想いを断ち切ることが出来ず、行方を捜し求めたところ、不老不死の楽園である蓬莱にいることが分かり、使者を蓬莱である熱田神宮へ遣わしたことになっています(*7)。
(*7)『熱田神宮』P.98-101 (篠田康雄/学生社)
 かなり大胆な発想の創作ですが、中世以降、「熱田神宮=蓬莱」という認識が広まり、熱田神宮は蓬莱宮とも呼ばれていたようです。

 なお、熱田神宮が蓬莱と考えられていたことについて、熱田神宮の宮司だった篠田康雄氏は次のように推察されています。
『熱田神宮』P.101 (篠田康雄/学生社)
・・・中世以降、熱田の宮が蓬莱だとされたことは、ここが不老不死の聖地であり、いいかえれば、大神の神徳が、人間究極の願望である不老不死にさえおよぶと、信じられていたことを示している。
 もっとも、むかしから蓬莱といわれた土地は、熊野・富士・白山・厳島・住吉と二、三にとどまらない。これらはいずれも天然の景勝の地であった。波穏やかな伊勢湾に面して、老松古杉の生いしげる神域が岬のように突き出し、ぽっかりと小高く浮かんでいる熱田の姿は、往来する旅人の瞳に、さながら音に聞く蓬莱としてうつったことも、熱田すなわち蓬莱説の要因の一つであったかもしれない。
 熱田神宮が蓬莱とされる以前から、「不老不死の聖地」と考えられていたことが示唆されています。

 『古事記』や『日本書紀』等の中には、熱田神宮や草薙剣と「不老不死」との関連は見い出せず、何故、熱田神宮が「不老不死の聖地」とされるのか不明です。

 しかし、今まで述べて来た通り、草薙剣が『ヨハネの黙示録』の記述を象徴したものであるならば、それは当然だと言えるでしょう。

 再臨のキリストによって、「穀物(=人々=草)」が「刈り入れ(=薙ぐ)」られ、その後、人々には永遠の命が与えられることになるからです。



 以上、草薙剣について見て来ました。

 (その1)で述べた通り、三種の神器の内の八咫(やたの)鏡と八尺瓊(やさかにの)勾玉(まがたま)は、キリストの磔刑を象徴したもの。一方、草薙剣は、再臨のキリストによる刈り入れを象徴したものだと思われます。

 そして、それを前提にすれば、草薙剣と他の三種の神器は、若干、性質を異にしていることが分かります。草薙剣は未来に起きる出来事の象徴、そして、八咫(やたの)鏡と八尺瓊(やさかにの)勾玉(まがたま)過去に起きた出来事の象徴です。

 神話上、草薙剣と他の三種の神器が別々に祀られることになった経緯の説明はありますが、その裏には、この性質の違いに理由があるのではないかと思われます。

 草薙剣があえて別に祀られている本当の理由、それは、「草薙剣の本当の持ち主は天皇ではなく、再臨のキリストだ」という考えがあるからではないでしょうか。草薙剣は、再臨のキリストが人々を刈り入れる為に使用するものなのです。


 さて、最後になりましたが、草薙剣が祀られている地はどこでしょうか?

 そう、尾張の地です。

 「この世の終末」が描かれた『ヨハネの黙示録』を象徴する草薙剣。そして、それが祀られている地が「尾張(=終わり)」

 草薙剣を祀る地として、これほどふさわしい場所はないと言えるでしょう。




◆参考文献等
書 名 等 著 者 出 版 社
『日本語源大辞典』
前田富祺(監修) 小学館
『熱田神宮』
篠田康雄 学生社





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