三條天皇の長和元年(1012年)のこと、比叡山の恵心僧都が日夜、極楽浄土の阿弥陀如来を拝することができるようにと祈願していた。
ある夜の夢で、「安養界の真の無量寿仏を拝みたいと思うのならば、広隆寺の繪堂(※現在の講堂)の本尊を拝みなさい」とのお告げを受け、恵心僧都が大いに喜んで広隆寺に参ってその本尊を拝した。
恵心僧都は霊夢がウソでなかったことを喜び、阿弥陀の三尊の像を手彫りして、常行念佛堂を建立し、同年9月11日より三日間、唱名念佛を修し、摩多羅神を念仏守護の神にして国家安全、五穀豊穣、魔障退散の御祈祷法会を修行したのがそもそもの起こりとされる。
|