5-(10).元伊勢三社(伊勢神宮の原型)


 京都府福知山市大江町(旧・加佐郡大江町)にある元伊勢内宮(ないくう) 皇大(こうたい)神社、元伊勢外宮(げくう) 豊受(とようけ)大神社、天岩戸神社の3つの神社は、合わせて元伊勢三社と総称される神社です。

 元伊勢とは、三重県の伊勢神宮が現在の地に鎮座する前に一時的に祀られた神社・場所のことで、倭国(やまとのくに)笠縫邑(かさぬいむら)に鎮座したのが最初で、各地を転々として約90年かけて現在の地に遷座したと言われています。

 元伊勢三社もその元伊勢の一つであり、その中でも三重県の伊勢神宮と同じく、内宮(ないくう)外宮(げくう)という形を残している珍しい神社です。

 この元伊勢三社の祭神は以下の通りです。
神社名 祭神
元伊勢内宮(ないくう) 皇大(こうたい)神社 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
元伊勢外宮(げくう) 豊受(とようけ)大神社 豊受大神(とようけのおおかみ)
(相殿:日子番能(ひこほの)邇邇芸(ににぎの)(みこと)天児屋根(あめのこやねの)(みこと)天太玉(あめのふとだまの)(みこと)
天岩戸神社 櫛御毛奴(くしみけぬの)(みこと)
あるいは 櫛岩窓戸(くしいはまどの)(みこと)豊岩窓戸(とよいはまどの)(みこと)


 そして、元伊勢三社の近くを流れる川の名前を確認すると面白いことが分かります。三重県の伊勢神宮と同じ名前なのです。

 元伊勢三社の内宮(ないくう)の近くを流れる川は五十鈴川といい、外宮(げくう)に近づくと宮川に名前を変えます。一方、三重県の伊勢神宮も内宮(ないくう)の近くには五十鈴川が流れ、外宮(げくう)の近くには宮川が流れています。
<京都府福知山市 元伊勢三社>

※外宮は宮川沿いのさらに南
<三重県 伊勢神宮>
 どうやら、内宮(ないくう)の近くには『五十鈴川』、外宮(げくう)の近くには『宮川』」というルールがあるようです。

 拙著には、「五十鈴(いすず)」が「イエス」(注)を指しているのかも知れないと記載しましたが、「宮(みや)」はもしかすると「メシヤ」でしょうか。二つ合わせて、イエス・メシヤ(キリスト)が完成します。
 ただし、「メシヤ」は通常「メシア」と表記されますし、正直苦しい気がします。

    (注)「イエス」は古典ギリシャ語では「イエースース」、ラテン語では「イエースス」。

 おそらく、「いすず」と「みや」の双方に対して同じ解釈方法を適用することにより、その命名方法の秘密が明らかになることは間違いないでしょう。残念ながら、現時点では保留です。


 また、元伊勢三社の一帯の地名は加佐郡(701年に定められた)で、「加佐(かさ)」は元伊勢第一号の笠縫邑(かさぬいむら)の「笠」とも通じ、さらに、「5-(7)伊勢神宮の配置の秘密(グランドクロス)」で記載した十字架の足台に当たる神社も「加佐登(かさと)神社」でやはり、「かさ」が名前に含まれています。

 どうも、伊勢神宮は「かさ」とも縁深いようです。

 なお、「5-(7)伊勢神宮の配置の秘密(グランドクロス)」では以下のような推論を述べましたが、あながち間違ってはいないのかも知れません。
 加佐登(かさと)神社は笠と杖を祀ったのが始まりであり、「笠」を「頭の上のもの」、「杖」を「長い木の棒」と捉えれば、それぞれ、十字架の罪状書きと縦木を暗示していると捉えることもできます。


 以上、元伊勢三社は、現在の伊勢神宮と設計思想が同じ、もしくは、その前段階のもので造られたということは間違いないと思われます。

 次の記事では、この観点から元伊勢三社の配置を調べてみたいと思います。





(注)元伊勢三社の近くを流れる宮川が途中で五十鈴川に変わることの裏取りは出来ていません。単に、宮川の別名が五十鈴川の可能性もあります。(2009.6.25追記)





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