5-(15).浦島太郎の正体(その4)


 当記事では「5-(14).浦島太郎の正体(その3)」に引き続き、古事記の雄略天皇の条に隠された仲哀天皇の物語を見ていきたいと思います。

 前記事では「五.葛城山」の物語まで見ましたので、その次の「六.金鋤岡(かなすきのおか)・長谷の百枝槻(ももえつき)」の物語です。
<雄略天皇 六.金鋤岡(かなすきのおか)・長谷の百枝槻(ももえつき) (現代語訳)
 また、天皇が丸邇(わに)佐都紀(さつきの)(おみ)の娘、袁杼(をど)比売(ひめ)に求婚するために春日に出かけた時、ある少女に道で出会った。少女は行幸を見るとすぐに逃げて、丘のほとりに隠れた。そこで天皇は歌をよんだ。
 少女の隠れている丘を金鋤(かなすき)の五百丁も欲しい。鋤ではねのけて、少女を見つけ出そうものを。
 と詠んだ。それでその丘を名づけて、金鋤(かなすき)の岡というのである。


 また天皇が泊瀬(はつせ)にある枝の茂った木の大きな(けやき)の下で、新嘗(にいなえ)の酒宴をおこなった時、伊勢の国、三重の郡からたてまつられた采女(うねめ)(※地方豪族が一族の子女を宮中に奉仕させたもの)が、天皇の(さかずき)を高く捧げて献上した。そのとき、枝の茂った(けやき)の葉が落ちて、采女(うねめ)が捧げ持つ(さかずき)に浮かんだ。

 その采女(うねめ)は、落葉が(さかずき)に浮かんでいるのを知らずに、そのまま天皇に(さかずき)を献上した。天皇はその(さかずき)に浮かんでいる落葉を見て、その采女(うねめ)を打ち伏せ、刀をその首に当てて斬り殺そうとした時、その采女(うねめ)は天皇に「私を殺しなさいますな。申し上げることがございます」と言って、そこで歌をうたって、
 纒向(まきむく)日代(ひしろ)の宮は、朝日の照り輝く宮、夕日の光り輝く宮、竹の根が十分に張っている宮、木の根が長く延びている宮、築き固めた宮でございます。
 (ひのき)造りの宮殿の新嘗(にいなえ)の儀式をとり行う御殿に生い立っている、枝葉のよく茂った(けやき)の枝は、上の枝は天を覆っており、中の枝は東の国を覆っており、下の枝は田舎を覆っています。そして、上の枝の枝先の葉は中の枝に散り触れ、中の枝の枝先の葉は下の枝に散り触れ、下の枝の枝先の葉は、三重の采女(うねめ)が捧げていらっしゃる立派な(さかずき)に、浮き脂のように落ちて浸り漂い、水をこおろこおろとかきならして島のように浮かんでおります。これこそなんともおそれおおいことでございます。
 日の御子よ。事の語り事としてこのことを申し上げます。
 とうたった。こうしてこの歌を(たてまつ)ったので、天皇はその罪をお赦しになった。

 ※以下、皇后、天皇、袁杼(をど)比売(ひめ)、それぞれの歌へと続くが省略。

 これも、「五.葛城山」に続き、仲哀天皇の物語です。

 まず、前半部分の金鋤(かなすき)の岡の地名譚を示す物語は、実際にあった出来事でしょう。袁杼(をど)比売(ひめ)に求婚に行って、少女と出会って、その少女に心惹かれるという話です。ただし、ここにも何か重要な意味が隠されている可能性がありますが、現時点では見い出せていません。

 次に、後半部分です。伊勢国の采女(うねめ)が天皇に落葉の入った杯を飲ませようとし、天皇は怒ってその采女(うねめ)を殺そうとします。そして、采女(うねめ)は歌をうたって天皇をなだめ難を逃れます。

 歌にある、「纒向(まきむく)日代(ひしろ)の宮」とは、景行天皇の宮です。その宮を褒め称えて、さらに、「浮き脂のように落ちて浸り漂い、水をこおろこおろと・・・」とうたって、イザナギとイザナミの夫婦神が国土を固めた神話を連想させ、「杯に落葉が浮かんでいるのは、むしろ目出度いことですよ」と弁明しています。

 表の物語を読んでいるだけだと、何故、雄略天皇に対して景行天皇を褒め称えるのか理解できないところでしょう。雄略天皇と景行天皇とは特に関係がないからであり、褒めるとしたら雄略天皇のことを褒めるべきだからです。

 この物語を解釈すると、天皇に落葉の浮いた苦い杯を飲ませようとした伊勢国の采女(うねめ)とは、伊勢神宮の巫女のことです。仲哀天皇は伊勢神宮の巫女を殺そうとしたのです。

 そして、伊勢神宮の巫女は景行天皇(=スサノオ)の名を出して、逆におどしをかけたのです。「私を殺すとスサノオが黙っていませんよ。きっと、あなたを殺しますよ」と。

 なお、歌の後半部分で、イザナギとイザナミの国土生成を想起させる文章が出てくるのは、イザナミ、イザナミの夫婦がそれぞれ、スサノオ、天照の一人目の巫女(豊受(とようけの)大神)の夫婦に対応しており、日本という国がまだ、国家としての形を成していなかった頃に、国家として形造ったのがスサノオと豊受(とようけの)大神だったからです。(※本件については、別途、詳細に説明する予定です。また、拙著の原稿を記載した時には、まだ、この事実には気づいていませんでした)


 さて、何故、仲哀天皇は伊勢神宮の巫女を殺そうとしたのでしょうか。ここでは、「落葉の浮いた苦い杯を飲ませようとした」という抽象的なことしか分かりません。

 その理由を知る為には、草薙(くさなぎの)剣の持ち主の変遷を確認する必要があります。何故なら、古事記は、草薙(くさなぎの)剣を皇位の象徴として扱っており、その持ち主の変遷を確認することで、皇位の変遷を知ることができるからです。


 古事記に記載されている草薙(くさなぎの)剣の持ち主(占有者)の変遷は次の通りです。 
1.スサノオがヤマタノオロチの尾から草薙(くさなぎの)剣を見つける
2.スサノオは、アマテラスに草薙(くさなぎの)剣を献上する
3.アマテラスが地上に降臨するニニギに草薙(くさなぎの)剣を与える
4.ヤマトヒメが東伐に向かうヤマトタケルに草薙(くさなぎの)剣を与える
5.ヤマトタケルは尾張のミヤズヒメに草薙(くさなぎの)剣を預けたまま死亡する
 そして、持ち主(占有者)だけ抽出すると次のようになります。
@.ヤマタノオロチ
A.スサノオ
B.アマテラス
C.ニニギ
D.ヤマトヒメ
E.ヤマトタケル
F.尾張のミヤズヒメ
 ただし、これは実際の変遷経緯ではありません。何故なら、拙著で指摘した通り、古事記はI崇神天皇〜N応神天皇の物語を二度繰り返しているからです。

 拙著の内容を前提として、草薙(くさなぎの)剣の持ち主の変遷を整理・解釈し直すと次の通りとなります。
所有者 上の
番号
説明等
アマテラス
B アマテラスは、天照の一人目の巫女(豊受(とようけの)大神)。
ニニギ C 天照の一人目の巫女(豊受(とようけの)大神)が、日本に国を作る為に王を任命する。

(注:ニニギは拙著ではJ垂仁天皇に当たりますが、実際の初代王であるI祟神天皇と同一人物であると考えています。本件についても別途、説明する予定です)
ヤマタノオロチ @ ヤマタノオロチは日本に来たイスラエルの十部族の内の八部族。Bで任命された初代王から次の王(仲哀天皇)へと皇位は継承されていた。
スサノオ A ヤマタノオロチ(八部族)を制圧し、当時の天皇から皇位の象徴である草薙(くさなぎの)剣を受け渡される。
アマテラス D スサノオは草薙(くさなぎの)剣をアマテラスに献上する。
この時、豊受(とようけの)大神は死亡していたので、ここでのアマテラスは、二人目のアマテラスの巫女であるヤマトヒメにあたる。
ヤマトタケル E ヤマトタケルの正体はスサノオ。
ヤマトヒメからヤマトタケル(スサノオ)に草薙(くさなぎの)剣を委ねられたということは、つまり、アマテラスの巫女に任命されて、正式にスサノオが天皇に即位したことを意味する。
尾張のミヤズヒメ F 以降、皇位継承の道具として、草薙(くさなぎの)剣は使用されなくなり、熱田神宮に祀られることになる。
 つまり、実際の変遷は、ヤマタノオロチからスサノオが見つけるより先に、アマテラスがニニギに与えたことになるわけです。

 さらに、補足します。

 今まで述べてきた、スサノオによる仲哀天皇からの皇位の奪取は、表のDとEに当たります。

 「5-(14).浦島太郎の正体(その3)」に記載した雄略天皇の条の「五.葛城山」の物語で、天皇は一言主(ひとことぬし)の大神に自分の持っていた大刀を渡しています。実は、これが草薙(くさなぎの)剣のことを示しているわけです。

 ただし、スサノオが草薙(くさなぎの)剣を手に入れたとしても、それは単に所持しているだけであって、そのことが直ちに天皇への即位を意味するわけではありません。何故なら、ユダヤ教において、王は預言者が任命するものであるからです。王が勝手に自ら王を名乗ったとしても意味がなく、また、日本において、預言者は巫女がその役割を果たしていたのです。

 そして、草薙(くさなぎの)剣を手に入れたスサノオは、それを伊勢神宮の巫女であるヤマトヒメに渡して判断を委ね(Eに相当)、ヤマトヒメはスサノオに草薙(くさなぎの)剣を与え天皇として任命したのです(Fに相当)。

 これが、仲哀天皇が伊勢神宮の巫女であるヤマトヒメを殺そうとした理由です。自分が存命中に次の天皇を任命し、皇位を剥奪したこともさることながら、そもそも、スサノオは皇位を継ぐ資格がなかったのでしょう。

 私は、天皇は南ユダ王国の王家であるダビデの血、もしくは、北イスラエル王国の王家であるエフライムの血を引いていると考えています(※どちらかはまだ答えが出ていませんが)。そして、いくら預言者である巫女であろうとも、勝手に皇位を継ぐ資格のない者を天皇に任命する権限などないのです。

 それで、仲哀天皇は激しく怒り、ヤマトヒメを殺そうとしますが、ヤマトヒメに「私を殺すとスサノオが黙っていませんよ。きっと、あなたを殺しますよ」と脅され、やむなく殺すことを諦めるのです。

 その後、スサノオはこの話を聞き、ヤマトの地に仲哀天皇を置いておいては危険だと判断し、自らの本拠地である出雲の地へと幽閉することにしたのでしょう。

 さらに、その後、最終的には神功皇后が決起し、皇位を正当なる後継者の元へと取り戻すことになります。


 なお、ヤマトヒメの上記行為により伊勢神宮の巫女の信用は地に堕ち、政治的発言力は無くなります。そして、これが、古代天皇が最高神を祀ったはずの伊勢神宮へ神託を求めなかったり、参拝しなかった理由であると私は考えています。

 天皇家としては、むしろ、伊勢神宮の巫女であるヤマトヒメに恨みがある状況になっていたのです。

 伊勢神宮はヤマトヒメが創建した神社、そして、ヤマトヒメが権限を超えて勝手なことをしなければ、仲哀天皇が皇位をはく奪され、それを回復することなく死亡するという、惨めなことにはならなかったのです。

 また、この件以降、草薙(くさなぎの)剣は皇位継承の手段としては使用されなくなった、つまり、預言者である巫女が天皇を任命するということが行われなくなり、ユダヤ教的には、天皇は真の王ではなくなることになります。

 しかし、これはこれで、結果オーライなのです。

 何故なら、キリスト教的には、真の王はイエス・キリスト以外にありえないのであり、いくら預言者に任命された王といえども真の王ではありません。

 そして、結果、王たるあかしである草薙(くさなぎの)剣は所有者のいないまま熱田神宮に祀られ、真の所有者、つまり、真の王であるイエス・キリストの再臨を待ち望むという型が出来上がったからです。

 また、天皇家としてはスサノオに対してはそれほど恨みはなかったでしょう。先に仕掛けた仲哀天皇を殺すことは無かったですし、ヤマトヒメを殺そうとした時も殺さず、出雲に幽閉するだけに留めています。また、草薙(くさなぎの)剣を手に入れても、それで自ら天皇を名乗ることはなくヤマトヒメに判断を委ねています。賢明な判断だと言えます。

 さらに、神功皇后が皇位を取り戻した後、息子の応神天皇は妻にスサノオの娘をむかえています(※拙著を参照願います)。後代の天皇にしてみれば、スサノオは自分達のご先祖様の一人ということになり、スサノオを日本の国を創った偉大な先祖として敬うのは自然なことだったでしょう。



 以上、次の記事では、雄略天皇の残りの物語の解釈、及び、仲哀天皇の物語のまとめを行いたいと思います。






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