初代天皇であるI崇神天皇が死亡し、I崇神天皇と共に国作りを行っていたスサノオは嘆き悲しむ。(※崇神天皇は、大国主神と共に国作りを行った少名毘古那神と同一人物。また、大国主神はスサノオ。詳細は拙著を参照願います)
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I崇神天皇の子のホムチワケ(=M仲哀天皇)が皇位を継ぐ(※I崇神天皇とJ垂仁天皇は同一人物)。M仲哀天皇が我が世の春を謳歌する。 |
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豊受大神(=アマテラスとして祀られている3人の巫女の一人目。スサノオの妻)が子を産む際に死亡。(※本件については、別途、説明する予定)
妻の死亡により、スサノオの行動に歯止めが掛からないようになり、天皇と同等の行動を取るようになる。また、アマテラスの巫女はヤマトヒメが引き継ぐ。 |
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スサノオの行動に危機感を抱いたM仲哀天皇が攻撃を仕掛けるが、敗走。皇位の象徴である草薙剣をスサノオに献上して許しを乞う。 |
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スサノオは草薙剣をヤマトヒメに献上し、ヤマトヒメはスサノオに草薙剣を与えて天皇に任命、スサノオはK景行天皇になる。結果、M仲哀天皇は皇位をはく奪されたことになる。 |
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怒ったM仲哀天皇がヤマトヒメを殺そうとするが、スサノオの名を出されて脅され、断念する。
そのことを聞いたスサノオはM仲哀天皇をヤマトの地に置いておいては危険だと判断し、自らの本拠地である出雲へ幽閉することにする。 |
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仲哀天皇は出雲で神宮皇后と出会い結婚する。 |
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スサノオは皇位について3年後、東征中に死亡する。(※スサノオの死亡はヤマトタケルの物語として古事記に記載されている) |
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M仲哀天皇は、スサノオが死亡したので自分が皇位に返り咲けるのだろうと考えてヤマトへ帰ろうとする。
神功皇后は考えの甘さを指摘し、まず兵をあげて出雲を帰伏させ、その上でヤマトへと兵を進めるよう勧める。(※このことは、古事記の仲哀天皇の条において、神功皇后に懸った神の言葉として記載されている) |
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M仲哀天皇は神功皇后の言うことを聞かず、一人ヤマトへと帰郷する。この時、神功皇后は子のN応神天皇を宿していた。
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M仲哀天皇がヤマトへ到着すると、皇位は既にスサノオの子のニギハヤヒ(=L成務天皇)が引き継いでおり、本来の天皇家は既に失われて、スサノオ家のものとなっていた。
しかも、自分のいなかった3年間に、見知った人物は一人残らず粛清、または左遷され、全てスサノオ派の人物にとって代わられていた。
あまりのことにM仲哀天皇は絶望し、出雲に戻ることなく悲嘆の内に死亡することになる。 |
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神功皇后が子のN応神天皇を引き連れて兵を起こし、亡き夫に代わって皇位を奪還する。 |