5-(26).鳥居の密儀


 神社に行けば、まず、目にするのが鳥居です。

 どんな神社にも必ず鳥居があり、神社を表す地図記号も鳥居です。鳥居と神社は不可分のものとして結びついていると言っていいでしょう。

 そして、鳥居の由来について、多くの日ユ同祖論者は次のような説を述べています。


<1.ソロモン神殿の柱に由来するとするもの>

 神ヤハウェの神殿を最初に作ったのはダビデ王の子のソロモンで、その神殿は一般にソロモン神殿と呼ばれます。
 そして、旧約聖書にはそのソロモン神殿の入口には2つの柱があったと記されています。
 彼は、青銅の二本の柱を造った。一本の柱の高さは十八アンマ(※約8.1m)、周囲はひもで測って十二アンマ(※約5.4m)で、もう一つの柱も同様であった。
 また青銅で二つの柱頭を鋳造して、柱の頂に載せた。一方の柱頭の高さは五アンマ、もう一方の柱頭の高さも五アンマであった。柱の頂の柱頭のために、格子模様あるいは鎖で編んだ花模様の網目細工を、一方の柱頭に七つ、他の柱頭に七つ造った。
 彼はまた、柘榴を造った。柱の頂にある柱頭を覆うために、一方の格子模様の周りに二列、他の柱頭にも同じようにした。前廊の柱の頂にある柱頭は百合の花の形をしており、四アンマの高さであった。
 二本の柱の上にある柱頭には、格子模様の側面の膨らみの周りに二百個の柘榴が両方の柱頭に列をなして巻いていた。この柱を神殿の前廊の前に立てた。右の柱を立てて、これをヤキンと名付け、左の柱を立てて、これをボアズと名付けた。柱の頂に百合の花の形があり、こうして柱の制作は終わった。(列王記・上 7章15-22節)
 このソロモン神殿の2つの柱が鳥居の原型になったとするものです。


< 2.「過越し」に由来するとするもの>

 「過越し」とは、エジプトでイスラエルの民が奴隷として苦しめられた頃、イスラエルの民が故郷であるカナンの地へと帰還することを許さないファラオに対して神が起こした奇跡のことです。

 神から啓示を受けたモーセは人々に次のように言います。
 モーセは言った、「こうヤハウェが言った、『今晩、真夜中に、私はエジプトの中を通り抜ける。するとエジプトの地で全ての長子が死ぬ。王座についているファラオの長子から、ひき臼の後ろにいる女奴隷の長子にいたるまで。そして家畜の全ての初子も。エジプトの全土で大きな叫び声が生じる。これほどのものはかつて起こったことがなく、これほどのものは二度とない』。しかし、イスラエルの子らには、人間から家畜にいたるまで、犬が脅かすこともない。これは、ヤハウェがエジプトとイスラエルを区別していることを、あなたたちが知るためである」。(出エジプト記11章4−7節)
 そして、神がイスラエル人の家であること判別する為に、次のようにすることが命じられます。
 彼らは血(※家畜を屠った血)の一部を取り、二本の柱と一本の鴨居に、つまり、彼らがその中で一匹の小家畜を食べる家に塗るのである。(出エジプト記12章7節)

 私はエジプトの全ての神々に裁きを行う。私はヤハウェである。
 血はあなたたちにとって(しるし)となる。あなたたちがそこにいる家の上にあって。私は血を見てあなたたちの所を通り越す。(出エジプト記12章12-13節)
 二本の柱と一本の鴨居に家畜の血を塗るように命じられており、これが鳥居の原型となったとするものです。

 なお、この「過越し」の出来事を祝い、また、祖先の苦渋を知る為に、ユダヤでは現在も毎年、過越しの祭を行っています。


 古い神社の鳥居には、2本の柱のみで(ぬき)や島木はなく、柱を注連縄でつないでいるだけのものもありますし(※例えば、大神神社の鳥居)、これはソロモン神殿の柱のヤキンとボアズを彷彿とさせます。
 また、鳥居には朱色のものが多く、これは、「過越し」の際に、柱と鴨居に家畜の血を塗ったことを表していると考えられます。

(参考)鳥居各部の名称



 基本的に私もこの二説に賛成で、また、どちらのみというのではなく、両方が鳥居に影響を与えているではないかと思っています。

 ただし、天照大神がイエス・キリストであるならば、神社の象徴とも言える鳥居には旧約聖書だけではなく、新約聖書に由来する意味がなくてはならないと考えています。
 そして、そこに鳥居が現在の形に定められた理由があるのではないでしょうか。


 では、鳥居は新約聖書のどのような記述に基づいているのでしょうか。

 それは、新約聖書上、最も重要なシーンであるイエスの磔刑です。
 新約聖書では、磔刑のシーンは次のように描写されています。
 こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、そこに座って、イエスの見張りをした。また、イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。
 そのとき、イエスと一緒に、ふたりの強盗が、一人は右に、一人は左に、十字架につけられた。(マタイの福音書27章35-38節)
 この記述からすると、イエスが磔刑に処された時、立っていた十字架は3つ。そして、イエスの十字架の上には罪状書きがあったことになります。

 この状況を図にすると次のようになります。


※神社や神道の仕組みを作り上げた人物・集団は、十字架をT字型のものと考えていたようなのでT字の十字架にしています。(参考:「5-(7).伊勢神宮の配置の秘密(グランドクロス)」)

 そして、これを意図的に一部変更し配置を変えてみます。


 鳥居のような形が出来上がりました。

 ただし、上の図と比べて、鳥居には真ん中の柱がありません。

 しかし、なくて良いのです。鳥居は立っているだけでは柱が一本足らずに未完成ですが、ある瞬間に完成するからです。

 その瞬間とは、鳥居の下を人が通った時です。

 鳥居の下を通った人は文字通り「人柱」となり、足らないパーツである真ん中の柱の役割を果たして鳥居を完成させ、本来のあるべき姿を現出させるのです。

 また、真ん中の柱はイエスが架けられた柱です。つまり、鳥居の下を通った人は、磔刑に処されるイエスと同一化体験をしているということになります。そして、その時、「死」を疑似体験し、鳥居を通り抜けることで「生」→「死」→「生」とイエスの復活をも再現することになります。

 これは、間違いなく「祭」です。過去に起きた重要な出来事を再現する「祭」です。


 古代ギリシャや、キリスト教が国教となって他教を排斥する以前のローマ帝国では、「密儀」と言われて、この種の「祭」がよく行われていました。

 例えば、エレウシス密儀やオルフェウス密儀、そして、ミトラス密儀などです。どれも、神話の重要なシーンを再現することによって神と同一化体験をするというものでした。

 この、言わば「鳥居の密儀」も同種の発想のものだと言えます。

 ただし、次の点で異なっています。

 まず第一は、エレウシス密儀などは密儀だけあって排他的なものであったのに対して、「鳥居の密儀」の方は誰もが参加可能であること、そして、第二は、密儀に参加している人がその密儀の意義を知っているか否かという点です。「鳥居の密儀」の方は参加者が密儀に参加しているという意識すらありません。


 さて、「鳥居の密儀」はあくまで私の仮説に過ぎませんが、この仮説に基づき、さらに、「鳥居」が何故、「鳥居」と呼ばれるのかを考えてみたいと思います。

 「鳥居」は単純に考えれば「鳥が居る」です。

 そして、キリスト教的に解釈すれば、鳥とは聖霊のことです。
 新約聖書では、聖霊は次のように表現されています。
 するとその頃、次のようなことが生じた。
 ガリラヤのナザレからイエスがやって来て、ヨハネからヨルダン河の中で浸礼(パブテスマ)を受けた。
 そして、水から上がるとすぐに、彼は天が避け、霊が鳩のように彼のところに降って来るのを見た。
そして、天から声がした、「お前は私の愛する子、お前は私の意にかなった」。(マルコの福音書1章9−11節)
 聖霊は「鳩のよう」であり、鳥居の「鳥」とは聖霊のことを指しているものと思われます。

 つまり、「鳥居」とは「聖霊が居る」で聖霊が居るところです。

 そして、このことを、上で説明した「鳥居の密儀」と合わせて考えると、鳥居とは

 「その下を通る者がイエスの磔刑シーンを再現すると共に、「生」→「死」→「生」という復活体験をしてイエスと同一化し、それによって聖霊を身に宿すところ」

 と言えるのではないかと思います。



 以上、私は、鳥居の形は三つのT字の十字架を合わせた姿であり、現在ある鳥居の様々なバリエーションはそこから派生したものだと考えています。

 鳥居の柱に打たれた「くさび」は、十字架の足台、もしくは、二人の強盗に打たれた釘。また、一番上の「笠木」は次の図の発想のものではないかと思われます。


 伊勢神宮の内宮(ないくう)を見てみると、正殿の鳥居のみ笠木があり、それ以外は皆、笠木はありません。おそらく、横木が3つある方が三位一体を表して、より尊いという考えではないかと思われます。

 なお、伊勢神宮の鳥居には、罪状書きに相当する額束や神額はありません。罪状書きはイエスの名前が書かれていたものであり、おそらく、額束や神額を無くすことで、「イエスの名を隠した」ということを暗示しているのでしょう。






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