5-(58).大国主神の物語と「生命の木」(その3)

 ※(その2)からの続き。



3.大国主神が昇った「生命の木」


 それでは、大国主神の物語に話を戻し、続きを見てみましょう。
<大国主神 3.根の国訪問(続き・概略)>
 須佐能男(すさのおの)命は、黄泉(よもつ)比良坂(ひらさか)まで追いかけて来て、はるか遠くに大国主神の姿を見て呼びかけた。

 「お前が持っているその生太刀(いくたち)生弓矢(いくゆみや)で、お前の腹違いの兄弟を坂のすそに追い伏せ、また、(うつ)国魂(くにたま)の神となって、その私の娘の須勢理(すせり)毘売を正妻として、宇迦(うか)の山のふもとに、太い宮柱を深く掘り立て、空高く千木(ちぎ)をそびやかした宮殿に住め。こやつよ」と。

 そこで、大国主神は兄弟の八十(やそ)神を追い払って、国作りを始めた。
 最後に大国主神は須佐能男(すさのおの)命に認められ、また、自分を殺そうとしていた兄弟たちを平らげ、国作りを始めたという話です。

 それでは、大国主神が生太刀(いくたち)生弓矢(いくゆみや)、つまりは、「永遠の命」を得るまでの物語の舞台をおさらいしておきましょう。

 生太刀(いくたち)生弓矢(いくゆみや)は、根の堅州国(かたすくに)で手に入れたので、次のように舞台が移り変わったことになります。
@稲羽(いなば) A伯伎(ははき) B(きの) C根の堅州国(かたすくに)

稲の葉

ハハキ(ビロウの葉)


 葉1枚から始まり、稲の葉と同形の葉が複数ついたハハキへと移動し、次に、木の本体部分へ移動、最後は根っこです。

 既に気づいている方も少なくないと思いますが、大国主神が移動した場所は、地名に擬せられながら、実は「生命の木」なのです。

 「生命の木」自体は世界で広く信仰されていますが、単に、生命の木の実を食して永遠の命を手に入れるのではなく、根の部分で手に入れた点に、ユダヤ教のカバラ(※ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想で、いわば、ユダヤ教の密教とも言えるもの)の思想が見てとれます。

 下図の左側は、カバラにおいて描かれた「生命の木」ですが、木が逆さまに描かれ、根っこの部分が至高世界の「ケテル(王冠)」に当たります。

 古事記の作者は、大国主神が永遠の命を得る物語を作成するに当たり、ギリシャ神話のプシュケの物語を下敷きにしながら、ユダヤ教のカバラの「生命の木」の要素を盛り込んだのは間違いないと言えるでしょう。

 葉っぱから始まって、根っこで「永遠の命」を得たのがその証拠であり、下記の逆さまの木と同様のイメージが古事記の作者の中にあったのです。
<セフィロトの樹(生命の木)>

「セフィロトの樹」は、宇宙を支配する法則を表したものであると言われ、また、人が神のもとへと至るためにとるべき手段・過程を表したものとされることもあります。

 なお、この「逆さまの木」のイメージは日本語の中にも盛り込まれています。

 「生命の木」は言いかえれば「神の木」。そして、日本語では、神の木と書いて「(さかき)」であり、つまりは、「さかき」とは「逆さまの木」のことなのです。

 この「(さかき)」は和製漢字であり(*5)、大国主神の物語にカバラの思想が盛り込まれているように、同様の思想に基づいて日本で新たに創作された漢字なのでしょう。

 日本では古代から神事に用いられてきた木である(さかき)。人々は知らずに、「生命の木」の象徴を使用してきたのです。


 また、通常、「生命の木」は「なつめやし」がその象徴とされ、上記図でも「なつめやし」がそのモチーフに使用されています。

 「なつめやし」はヤシ目ヤシ科ナツメヤシ属で、一方、蒲葵(びろう)はヤシ目ヤシ科ビロウ属で、同じヤシ科の植物です。

 近年、聖書を和訳する際、本来、「ナツメヤシ」と訳すべきところを、シュロが日本の温帯地域で古来より親しまれた唯一のヤシ科植物であったため、「シュロ」と訳されることが多かったように(*6)、古代日本では、あまりなじみのない「ヤツメヤシ」の代わりに、同じヤシ科の蒲葵(びろう)を「生命の木」の象徴として代用したのでしょう。

 先述したように、古代天皇制において蒲葵(びろう)は、松竹梅よりも何よりも神聖視されていました。

 なお、天皇が即位する際に行われる大嘗祭に先立ち、禊の為に天皇が一人こもる仮屋の屋根は蒲葵(びろう)の葉で()かれます(*7)。「生命の木」の象徴である蒲葵(びろう)の仮宮に天皇がこもるのは、そこに「永遠の命を得る」という意味があるのでしょう。

(*5)『漢和大字典』 (藤堂明保(編)・学習研究社)
(*6)Wikipedia「シュロ
(*7)『扇 性と古代信仰』 P.206 (吉野裕子・人文学院)



4.御井神=三つの井の神

 さて、大国主神の物語は、まだ続きがあります。
<大国主神 3.根の国訪問(続き・概略)>
 また、かの八上(やがみ)比売は大国主神と結婚し、出雲へ連れて来られたけれども、本妻の須勢理(すせり)毘売を恐れて、生んだ子を木の股にさし挟んで稲羽(いなば)に帰った。それで、この子を名付けて木俣(きのまたの)神といい、またの名を御井(みいの)神という。
 八上(やがみ)比売が、大国主神との子供である御井(みいの)神(木俣(きのまたの)神)を木の股に差し込んで稲羽(いなば)に帰って行ったというエピソードが語られています。

 この話での「木の股」が重要なポイントです。「木の股」は大国主神が根の堅州国(かたすくに)に行く際に通った場所であり、つまり、「木の股」は、「生命の木」の至高世界である根への入り口なのです。

 その至高世界の入り口に御井(みいの)神を置いたということは、御井(みいの)神が至高世界の門番であることを意味しています。

 それでは、御井(みいの)神とは一体、何者なのでしょうか。

 伊勢神宮の外宮(げくう)には下御井(しものみいの)神社と上御井(かみのみいの)神社があります。
 井戸を祀った神社で、祭神はそれぞれ、下御井鎮守(しものみいのまもりの)神と上御井鎮守(かみのみいのまもりの)神です。ちなみに、これらの井戸から天照大神への神饌に使用する水が汲みとられます。

 御井(みい)の名の通り、井戸の神様ですが、井戸は地上と地下を結ぶものであり、「至高世界である根への入り口の門番である」という認識で間違いないようです。

 ただし、外宮(げくう)御井(みいの)神社は、特に、大国主神の子供である御井(みいの)神とは関連して捉えられていないようです。


 一方、大国主神の子供である御井(みいの)神を祀った神社が、出雲市斐川町にある御井(みい)神社です。

 Wikipedia(御井神社(斐川町))には以下のようにあり、もともとは、3つの井戸に対する信仰だったようで、「御井(みい)」は「三井(みい)」であったことが分かります。つまり、「三つの井」。
 神社の近くに「生井(いくい)」、「福井(さくい)」、「綱長井(つながい)」と呼ばれる3つの井戸があり、八上比売が出産の時に産湯を使ったという伝承がある。元来この3つの井戸に対する信仰が神社に発展したものと考えられる
 そして、「井」の文字は、見れば分かるように十字架と捉えることが出来る形象をしています。
      

 よって、「三つの井」は「三つの十字架」で、「父と子と聖霊の三位一体」を表象する名前なのだと思われます。

 キリスト教では十字架は、生命の木を表すものとされ(*8)、
また、イエスは自分自身のことを次のように語っています。
『ヨハネの福音書』 10章9節
 私は門です。誰でも、私を通って入るなら、救われます。また、安らかに出入りし牧草を見つけます。
 イエスは天の御国への門であり、その門の場所は当然、生命の木で言えば、「木の股」に当たります。

 「三井(みい)の神」・・・「至高世界である根への入り口の門番」としてこれほど相応しい神はいないと言えるでしょう。
(*8)『キリスト教シンボル事典』 P.88 (ミシェル・フイエ(著)武藤剛史(訳)・白水社)


 ※(その4)に続く



◆参考文献等
書 名 等 著 者 出 版 社
『漢和大字典』
藤堂明保(編) 学習研究社
『扇 性と古代信仰』
吉野裕子 人文学院
『キリスト教シンボル事典』
(ミシェル・フイエ(著)武藤剛史(訳) 白水社
『古事記 全注訳(上)』
次田真幸 講談社学術文庫







TOPページ