皇孫(※ニニギ)のお進みになる様子は次の通りであった。■日の二上の天浮橋から、浮島の平らな所にお立ちになって、膂宍の胸副国(※背中の骨のまわりに肉のないような痩せた国)を丘続きに歩かれ、よい国を求めて、吾田の長屋の笠狭崎にお着きになった。
そこに人がいて自ら事勝国勝長狭と名乗った。皇孫が問われ、「国があるのかどうか」と言われると、答えて、「国があります。お気に召しましたらどうぞごゆっくり」という。それで皇孫はそこに止まられた。
※現代語訳は、『全現代語訳 日本書紀 上』(宇治谷 孟/講談社学術文庫/1988)を参考にした。
※■・・・木へん+「串」の下に「心」 |