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 5-(48).大気津比売神の死と聖餐の儀式


 大気津比売(おおげつひめの)神は穀物の神で、古事記では、以下の通り、スサノオによって殺され、その身体から穀物(米、粟、小豆、麦、大豆)の種を生じさせます。
《古事記・五穀の起原 (口語訳)》
 また、速須佐之男(はやすさおの)(みこと)は、食物を大気津比売(おおげつひめの)神に求めた。

 そこで大気津比売(おおげつひめの)神は、鼻や口、尻から品々のうまい食べ物を取り出して、様々に調理して差し上げた。速須佐之男(はやすさおの)(みこと)はその行動を立ちうかがって、食物を(けが)して差し出すのだと思って、ただちにその大気津比売(おおげつひめの)神を殺してしまった。

 そして殺された神の身体から生まれ出た物は、頭に蚕が生まれ、二つの目に稲の種が生まれ、二つの耳に粟が生まれ、鼻に小豆が生まれ、陰部に麦が生まれ、尻に大豆が生まれた。そこで神産巣日(かみむすひ)御祖(みおやの)(みこと)がこれらを取らせて五穀の種となさった。
 大気津比売(おおげつひめの)神は、私の説では、イエス・キリストの正体を隠すために、アマテラスとして祀られている3人の巫女の内の一人で、この物語では、それぞれ、

   ・大気津比売(おおげつひめの)神 … イエス・キリスト
   ・スサノオ ・・・ ユダヤの民
   ・稲などの五穀の種 ・・・ キリストの教え  (※蚕も生まれていますが)

を象徴し、イエス・キリストがユダヤの民によって殺され、そのことによって、この世にキリストの教えという種が撒かれたことを表わしています。
 つまり、古事記のこの物語は、記事「5-(33).稲荷神社と「ヨハネの黙示録」(その2)」で記載した、稲荷神社の名前譚とほぼ同じ象徴を表わしていることになります。

 また、穀物は人々をも象徴しており、この世で人々が育って良い実をならせるのを見守っているキリストの姿を象徴しているのが、田んぼに立てられる案山子です。(参考:記事「5-(37).案山子が象徴するもの」)

 そして、この、撒かれた種が案山子に見守られながら育った後、どうなるかと言うと、それは、『ヨハネの黙示録』へとつながり、
《『ヨハネの黙示録』14章14-16節》
 また、私は見た。見よ。白い雲が起こり、その雲には人の子のような方が乗っておられた。頭には金の冠をかぶり、手には鋭い鎌を持っておられた。
 
すると、もうひとりの御使いが聖所から出て来て、雲に乗っておられる方に向かって大声で叫んだ。「鎌を入れて刈り取って下さい。地の穀物は実ったので、刈り入れる時が来ましたから。」
 
そこで、
雲に乗っておられる方が、地に鎌を入れると地は刈り取られた
再臨したキリストによって、刈り取られることになります。


 以上、日本おいては、キリストの身体は、穀物の種になったとされているわけですが、当のキリスト教ではどうでしょうか。

 キリスト教には聖餐と言われる儀式があり、それは、初期の教会では、パンとブドウ酒を信徒たちで分けあってキリストの最後の晩餐を思い起こす儀式でした。パンとブドウ酒はそれぞれ、キリストの身体と血の象徴であり、これは、新約聖書の以下の記述によっています。
《『マタイの福音書』26章26-28節》
 また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これは私の身体です。」
 また、杯を取り、感謝をささげた後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。これは私の契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。
(※最後の晩餐の1シーン)
 また、カトリック教会では、聖餐は聖体拝領と呼ばれ、儀式において、パンとブドウ酒はキリストの身体と血に変化する(聖体変化)とされ、それを信徒で分け合います(聖体拝領)。

 パンは小麦から作られるものであり、それは穀物で、大気津比売(おおげつひめの)神の身体から成ったものの一つです。そして、大気津比売(おおげつひめの)神の身体の変化は、カトリック教会における「聖体変化」と逆のパターンの変化が起こったと言えるでしょう。
 なお、ブドウ酒に当たるものと言えば、日本では日本酒になると思いますが、日本酒は米から作られるものであり、やはり、もとを辿れば、大気津比売(おおげつひめの)神の身体に行きつきます。


 さて、ここで少し話は変わりますが、我々日本人は、ご飯を食べる時に何と言うでしょうか。

 もちろん、「いただきます」です。そして、食事前に家族全員が集まり、料理を前に手を合わせて「いただきます」というのが定番の形でしょう。

 この、「いただきます」という言葉。通常、「我々の命の糧となってくれた動植物に対して感謝をするもの」などと言われますが、これは単なる俗説で、実際のところ、その語源は良く分からないのが現状のようです。(※参考:Wikipedia「いただきます」


 このことを踏まえて、以上の内容をまとめてみましょう。
 米、粟、小豆、麦、大豆はキリストの身体が変化したものであり、我々日本人は、それらから作られた食事をとる前に、家族全員集まって手を合わせて「いただきます」と言う。
 もしかすると、「いただきます」は、本当は「キリストのお身体をいただきます」で、我々日本人は食事のたびに、それと知らずに聖餐の儀式を行っているのかも知れません。






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