5-(57).大国主神の物語と「生命の木」(その2)

 ※(その1)からの続き。



2.木国と根の国、そして、ギリシャ神話のプシュケ

 八十(やそ)神たちに殺され、母神の手によって蘇った大国主神ですが、物語の続きを見てみましょう。
<大国主神 3.根の国訪問(一部・概略)>
 八十(やそ)神は生き返った大国主神を見て、また大国主神を騙して山に入り、今度は大木の下敷きにして殺してしまった。

 そこでまた、御祖(みおや)の命(※母神)が泣きながら大国主神を探して見つけ出し、その木を裂いて取り出して復活させ、次のように告げた。

 「あなたはここにいたら、ついには八十(やそ)神によって滅ぼされてしまうだろう」。そうして、すぐに(きの)国の大屋毘古(おおやびこの)神のもとへと遣った。
 大国主神は再び八十(やそ)神たちに殺され、母神によって蘇生。そして、今度の舞台は(きの)国となります。

 物語の舞台に注目すれば、「伯伎(ははき)=ハハキ((ほうき))=蒲葵(びろう)の葉」から「木」に移ったことになり、ここで言う「木」とは「蒲葵(びろう)」そのものを指していると思われます。

 そして、最初から、舞台の推移を確認してみると、
<ビロウの葉>

       

       @「稲羽(いなば)」 ・・・ 稲の葉っぱ
       A「伯伎(ははき)」 ・・・ (ほうき)となる蒲葵(びろう)の葉
       B「木」   ・・・ 蒲葵(びろう)の木 

となり、大国主神は、葉っぱから、順に木の本体へと移動していることが分かります。なお、この件については、後でまとめて説明します。


 そして、(きの)国での物語は次のように続きます。
<大国主神 3.根の国訪問(続き・概略)>
 ところが、八十(やそ)神が弓に矢をつがえて大国主神を引き渡せと求めてきたので、木の股をくぐって大国主神を逃がし、大屋毘古(おおやびこの)神は、「須佐能男(すさのおの)命のおられる根の堅州国(かたすくに)に向かいなさい。きっと、その大神が良いように考えて下さるでしょう」と言った。
 舞台は、(きの)国から「木の股」をくぐって、根の堅州国(かたすくに)へと移ります。

 ここでの「木の股」とは、木の本体部分が根に向かって分かれたところでしょう。だからこそ、根へ向かう通り道になるのです。


 そして、「葉っぱ」から始まった大国主神の物語は、「根」へと至ります。
<大国主神 3.根の国訪問(続き・概略)>
 大国主神が須佐能男(すさのおの)命のもとにやって来ると、その娘の須勢理(すせり)毘売が出て、大国主神と互いに目を見かわし結婚して、御殿に引き返し、父神に「たいそう立派な神がおいでになりました」と告げた。

 その後、大国主神は須佐能男(すさのおの)命から次のような試練を受けることになる。
試練 乗り越えた方法
蛇のいる(むろ)(洞窟)で寝させられる。 須勢理(すせり)毘売から渡された蛇の領巾(ひれ)を使って蛇を鎮める。
呉公(むかで)と蜂のいる(むろ)に入れられる。 須勢理(すせり)毘売から渡された呉公蜂(むかではち)領巾(ひれ)を使う。
広い野原に射込んだ鏑矢(かぶらや)を取って来るように言われ、野に火をつけられる。 鼠に教えられた場所を踏むと下に落ち込んで難を逃れる。
 このような試練の後、須勢理(すせり)毘売は葬式の道具を持って泣きながら来たので、その父神はとっくに死んだのだろうと思ったが、大国主神が矢を持って差し出した。

 さらに、次のように試練が続く。
試練 乗り越えた方法
頭のシラミを取るように言われるが、頭に呉公(むかで)がいた。 須勢理(すせり)毘売から渡された(むく)の木の実を食い破り、同じく渡された赤土(はに)を口に含んで唾をはき出した。
 須佐能男(すさのおの)命は、はき出された唾を見て、呉公(むかで)を噛み砕いていると思い、心の中でかわいい奴だと思って眠ってしまう。

 そこで、大国主神は、須佐能男(すさのおの)命の髪を(むろ)垂木(たるき)ごとに結び付け、その(むろ)の入口を五百引(いほびき)の岩で塞いだ。

 そうして、妻の須勢理(すせり)毘売を背負い、生太刀(いくたち)生弓矢(いくゆみや)と、また、(あめ)詔琴(のりごと)を取って逃げ出そうとした時、(あめ)詔琴(のりごと)が木に触れて大地が鳴動するような音がした。

 その音に、寝ていた須佐能男(すさのおの)命が驚いて目を覚まし、(むろ)を倒してしまったが、垂木(たるき)に結ばれた髪をほどく間に遠くに逃げのびた。

 須佐能男(すさのおの)命から様々な試練を受け、そのたびに、他から助けられて乗り越える大国主神。

 大国主神を助ける動物として鼠が出てきますが、「根=ネ=()=鼠」で「ネ」つながりでしょう。


 なお、この一連の物語は、一般に「成年式儀礼」として捉えられています。

 例えば、『古事記 全訳注(上)』(次田真幸・講談社学術文庫)では下記のように述べられ、また、『古事記注釈 第三巻』P.78-80(西郷信綱・ちくま学芸文庫)でも「成年式」として捉えられています。
『古事記 全訳注(上)』 P.123-124 (次田真幸・講談社学術文庫)
 根の国を訪れたオホナムヂノ神が、蛇や呉公(むかで)・蜂の(むろや)に入れられ、また野火攻めに遭う話は、成年式儀礼として若者に課せられるさまざまの苦難と試練とを、神話的に語ったものである。古代社会では、成年式儀礼を終えて初めて結婚が許され、一人前の社会人として、大人の仲間入りが許された。スセリビメを本妻とすることを許されたのは、オホナムヂノ神が成年式儀礼を終えたことを示している。
 しかし、この物語は「成年式儀礼」を意図して描かれたものではありません。あくまで、これは「永遠の命を得ること」を主題にして書かれたものです。

 その理由の第一として上げられるのは、この物語の下敷きになったものの一つがギリシャ神話のプシュケの物語だからです

 プシュケの物語の概要は以下のものです。 
<ギリシャ神話 プシュケの物語(概略)>
 プシュケはある国の王の娘で、三人姉妹の末の妹だった。

 プシュケは大そう美しく、人々から「美の女神の再来だ」と称賛を受けた為、アプロディテの怒りを買い、アプロディテは息子のエロスに彼女を不幸な恋におとし入れるよう命じる。

 しかし、エロスはプシュケの美しさに見とれているうちに、魔法の矢で自分自身を傷つけ、たちまち彼女の虜になってしまった。

 一方、プシュケに、いつまでたっても誰からも結婚の申し込みがないことを心配した彼女の父が、アポロンの神託をうかがうと、「花嫁衣装を着せて山の頂に置き去りにせよ。彼女の夫は神々さえ恐れをなす者である」という神託が降りた。

 神託通り、プシュケは山頂にひとり残されることになるが、風に運ばれ、豪華な宮殿へと導かれる。

 宮殿では、姿の見えない召使いに導かれるまま、豪華な食事をし、ゆっくり入浴をして床についたが、突然誰かがベッドの中に入ってきて、彼女を妻にすると、夜明け前には出て行ってしまった。それからというもの、姿を見せない夫は夜ごと現れ、夜明け前には帰っていくのであった。

 プシュケはそれでも満ち足りた生活を送っていたが、彼女の幸せを妬んだ姉たちが、「あなたの夫の姿を確かめるべきだ。きっと、大蛇に違いない」とそそのかす。

 夫は、事前に「お前の姉たちが私の正体を見てしまえとそそのかすが、決して従ってはいけない」と忠告していたのだが、不安になったプシュケは、ある晩ついにランプの光を照らして寝ている夫の姿を見てしまう。

 しかし、そこには愛の神のエロスがいた。そして、プシュケは、うっかりランプの油をエロスの肩に落としてしまい、エロスは目覚めて怒り、空中に飛び上がった。

 飛び去ろうとするエロスにプシュケは必死ですがりついたが、最後には力尽きて、地上に落ちてしまった。エロスはプシュケに自分よりも姉たちを信じた愚かさを責め、去って行った。

 プシュケは絶望のあまり川に身を投げるが、「川の水」が助けた。

 その後、プシュケは夫のエロスを探してさまよい歩くがどうしても見つからない。そこで、勇気を出してアプロディテのもとへ行き、夫の居場所をたずねた。

 しかし、アプロディテの怒りはすさまじく、プシュケを激しくののしり、衣服を引き裂き、髪の毛を引きむしり、頭をさんざん殴りつけて、全身にひどい打撃を加えた。

 それでも、アプロディテの怒りはおさまらず、プシュケに次のような試練を次々と課した。
試練 乗り越えた方法
山のように積み上げられたあらゆる種類の穀物を、一粒残らず種類別に、日が暮れるまでに分ける。
無数のアリに助けられる。
野生の羊たちの黄金の羊毛を集めて持ってくる。
葦に助けられる。
山の頂上の水源に一番近いところから、水を汲んで持ってくる。 鷲に助けられる。
小箱を持って、地上の死者の国へ行き、死者の国の女王ペルセポネの「美しさ」を分けてもらって持ち帰る。 塔に助けられる。
 このような試練を全てクリアしたが、最後の「美しさ」を持ち帰る際、プシュケは誘惑に負け、開けてはいけないと言われていた箱を開けてしまう。

 その箱の中に入っていたのは、「美しさ」ではなく「眠り」で、プシュケは深い眠りに落ちてしまうが、ちょうどその時、それまでは、ランプの油で受けた火傷の為に動けなかったエロスが飛んで来て、彼女から「眠り」を取り去る。

 その後、エロスは、ゼウスにプシュケとの結婚を認めさせ、プシュケは「不死の飲み物ネクタル」の杯を受け、エロスの妻となる。


(参考)『面白いほどよくわかる ギリシャ神話』 P.150-182 (吉田敦彦・日本文芸社)
『図解雑学 ギリシア神話』 P.78-81 (豊田和二(監修)・ナツメ社)
 男女を入れ替えただけで、「似ている」というより、「同じ」といって良いほど話の構造が一致していることが分かると思います。

 アプロディテ、もしくは、須佐能男(すさのおの)命から受ける神の試練の数も同じ4つであるなら、全て、他からの助けで自力でクリアしていないことも同じ。

 また、プシュケも大国主神も共に、神の試練を受ける以前に死んで、他者から助けられ(※プシュケの場合は自殺未遂で1回だが、大国主神の場合は2回)、また、双方とも死者の国へ行っています。

 そして、最終的に得るものが、「不死」と「神の配偶者の座」で一致しています。なお、大国主神の場合、最終的に不死を得たことは明記されていませんが、そのことは、根の堅州国(かたすくに)から持ち帰った生太刀(いくたち)生弓矢(いくゆみや)に表されており、どちらも名称に「生」が付いています。

 ただ、神の試練を受けるようになる経緯は全く違っていますが、それは、大国主神の方に、『旧約聖書』のヤコブの話を盛り込んだ為です(※詳細は、拙著『古事記に隠された聖書の暗号』(たま出版)を参照)。

 このように、大国主神の物語は、ギリシャ神話のプシュケの物語を下敷きにして作り上げられたものであり、そこには、「成年式儀礼」の観念はありません。
 また、「プシュケ」は、古代ギリシャ語で「私たち人間の魂」という意味であり(*4)、プシュケの物語の根底にテーマとして流れているものは、「人間がいかにして不死を手に入れ、神々のもとへと上っていくか」なのです。
(*4)『面白いほどよくわかる ギリシャ神話』 P.181 (吉田敦彦・日本文芸社)
<参考>
 プシュケの物語の前半部分にある、「夜のみ訪れて姿の見えない夫の姿を見たいと思い、結果、姿を見たことによって神である夫は去ってしまう」というモチーフは、崇神紀の夜麻登登(やまとと)母母曾(ももそ)毘売の物語の中に反映されています。

 また、その他の、古事記とギリシャ神話との類似の物語については、以下の記事を参照願います。

    ○「6-(3).古事記とギリシャ神話の類似点一覧
 また、大国主神の物語が「成年式儀礼」ではなく、「永遠の命を得ること」を主題にして書かれたとする理由の第二ですが、それは、これまで逐次、説明してきた物語の舞台の遷移に現れていますが、この件は後述します。



 ※(その3)に続く。


◆参考文献等
書 名 等 著 者 出 版 社
『古事記 全訳注(上)』
次田真幸 講談社学術文庫
『古事記注釈 第三巻』
西郷信綱 ちくま学芸文庫
『面白いほどよくわかる ギリシャ神話』
吉田敦彦 日本文芸社
『図解雑学 ギリシア神話』
豊田和二(監修) ナツメ社






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