5-(76).猿田毘古神と塩土老爺(その2)

 ※当記事は、(その1)からの続き。


 当記事では、塩土(しおつつの)老爺(おじ)の発言をまとめ、その謎解きをして行きたいと思います。



2.塩土老爺とヤハウェ(ニニギの物語)

 まず、以下の表は、塩土(しおつつの)老爺(おじ)が、天から降臨したニニギに語った言葉をまとめたものです。
塩土(しおつつの)老爺(おじ) → ニニギ
現代語訳 訓み下し文
日本書紀
本文
「国があります。お気に召しましたらどうぞごゆっくり」 (ここ)に国有り。(ねが)はくは任意(みこころのまにま)(みた)せ」
日本書紀
一書(第二)
「ここに国があります。(みことのり)のままにどうぞご自由に」 (ここ)に国有り、取捨(ともかくも)(おほみこと)(まにま)に」
日本書紀
一書(第四)
「あります」(※国があるかどうか問われて)

(みことのり)のままに奉りましょう」(※国を)
「在り」

(みことのり)(まにま)(まつ)らむ」
日本書紀
一書(第六)
長狭(ながさ)が住む国です。けれども今は天孫に奉ります」

長狭(ながさ)・・・事勝国勝(ことかつくにかつ)長狭(ながさ)、つまり、塩土(しおつつの)老爺(おじ)のこと。
()長狭(ながさ)が住む国なり。(しか)れども今は乃ち天孫に奉上(たてまつ)る」
※訓み下し文は、『日本書紀(一)』(坂本太郎他/岩波文庫/1994)を使用。
 こうやって、まとめて並べてみると、塩土(しおつつの)老爺(おじ)がニニギに語った言葉は、次の2パターンに分かれていることが分かります。
@.自由に行動することを許可(本文、一書(第二))
A.国を捧げる(一書(第四)、一書(第六))
 @の方は、その部分のみを見ると、来訪者に対して、「自由に過ごしていいよ」と許可している言葉と捉えられなくもないですが、その言葉の前に「国有り」とあり、また、Aの方の発言も合わせて勘案すれば、結局、任意(みこころのまにま)に」自由にしていいのは「国」であり、@とAも同じことを言っていると解するのが妥当ではないかと思われます。


 さて、私は、下図の通り、ニニギをイスラエル人の先祖の一人であるヤコブ(イスラエル)に対応させ、『古事記』等のニニギの物語の中には『旧約聖書』のヤコブの物語が反映していると考えています(※詳細は拙著『古事記に隠された聖書の暗号』を参照願います)。
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 そして、ニニギの物語の中に登場した塩土(しおつつの)老爺(おじ)に関しても、やはり、『旧約聖書』の物語が反映していると考えます。

 より具体的に言えば、塩土(しおつつの)老爺(おじ)がニニギに国を捧げる旨の発言をしたのは、『旧約聖書』の以下の記述に基づいていると思われます。
『創世記』 28章10−17節 (『旧約聖書T 律法』 (旧約聖書翻訳委員会訳/岩波書店/2004))
 ヤコブはベエル・シェバを出立して、ハランに向かった。彼がとある場所にやって来ると、日が沈んだので、そこに泊まった。彼はその場所の石を取って、枕に据え、その場所に身を横たえた。

 そして、彼は夢を見た。
みると、一つの梯子が地に向かって立てられ、その先は天に届いていた。なんとまた、神の使いたちがそれを上り下りしていた。

 さらには、ヤハウェが彼の傍らに立っていた。
ヤハウェは言った、「私はあなたの父アブラハムの神、イサクの神ヤハウェである。あなたがいま身を横たえているこの地、私はそれをあなたとあなたの子孫に与えよう。あなたの子孫は地の塵のように多くなろう。あなたの子孫は西に、東に、北に、南に広がって行くであろう。そして、大地のあらゆる種族があなたとあなたの子孫の名によって祝福し合うであろう。みよ、私はあなたと共におり、あなたが行くすべての場所であなたを守り、この土地に連れ戻す。私があなたに語ったことを果たすまでは、あなたを決して見捨てない」。

 ヤコブは眠りから覚めた。彼は言った、「ああ、なんと、この場所にヤハウェがおられたとは。私は何も知らずにいた」。彼は畏怖を覚えて、言った、「この場所はなんと畏れ多いことか。ここは神の家以外の何ものでもない。そう、
ここは天の門だ」。 
 ここで、ヤハウェはヤコブの夢に現れて、「あなたがいま身を横たえているこの地、私はそれをあなたとあなたの子孫に与えよう」と言っています。

 この言葉が、『日本書紀』における塩土(しおつつの)老爺(おじ)(みことのり)(まにま)に奉(まつ)らむ」等と言って、国を捧げる発言したことに反映しています。

 また、ヤコブがこの夢を見た際、「一つの梯子が地に向かって立てられ、その先は天に届いていた」という風景も目にし、さらに、その地のことを「天の門」だと言っています。

 一方、ニニギが塩土(しおつつの)老爺(おじ)が国を捧げられた地も、天から降臨して来た地であり、そこは「天の門」だと言うことも出来るでしょう。
 さらに、(その1)で記載した『日本書紀』本文では、ニニギが降りて来た所について、■日(くしひ)二上(ふたかみ)天浮橋(あまのうきはし)という表現がなされていました。この天浮橋(あまのうきはし)は、『日本書紀(一)』(岩波文庫)の注釈では以下の通り説明されています。
『日本書紀(一)』 (坂本太郎他/岩波文庫/1994) P.123注釈五
ハシは、梯子の意。アマハシは、天と往来する梯子。それによって高千穂の嶺から更に降下して来る意。
 つまり、天浮橋(あまのうきはし)「天と往来する梯子」のことで、ヤコブが夢で見た天に届く梯子が、『日本書紀』のニニギの物語でも登場しているのです。(※「天浮橋」は、『古事記』にも記載されています)


 以上、このような符合、及び、先に掲載した日本神話と『旧約聖書』の系譜の相関関係を勘案すれば、塩土(しおつつの)老爺(おじ)とニニギは、それぞれ、『旧約聖書』のヤハウェとヤコブの役割を演じているのは明らかではないかと思われます。

 なお、『日本書紀』のニニギの物語では、塩土(しおつつの)老爺(おじ)事勝国勝(ことかつくにかつ)長狭(ながさ)という名で登場していました。やけに、「勝」という字が多い名ですが、これもやはり、『旧約聖書』のヤコブの物語から来ていると思われます。
『創世記』 32章23−32節 (『旧約聖書T 律法』 (旧約聖書翻訳委員会訳/岩波書店/2004))
 その夜、彼は立って、二人の妻、二人の仕え女、十一人の子供を連れ出し、ヤボクの渡しを渡った。彼らを連れ出し、その川を渡らせた。彼の持ち物も渡らせた。

 ヤコブは、しかし、一人だけ対岸に残った。すると、ある男が暁が明けるまで彼と格闘した。その男は彼に打ち勝てないとみるや、彼の腿のつがいを叩いたので、格闘の最中に、ヤコブの腿のつがいがはずれた。彼は言った、「私を放してくれ。暁が明けてきた。」彼は言った、「私を祝福しなければ、放さない」。

 彼に言った、「お前の名前は何というか」。彼は言った、「ヤコブ」と。彼は言った、
「お前の名はもはやヤコブではないく、イスラエルと呼ばれよう。お前は神と人々と闘って、打ち勝った」。ヤコブは尋ねて、言った。「ぜひ、あなたの名前を知らせてほしい」。彼は言った、「なぜ、わが名を尋ねるのか」。彼は、しかし、ヤコブをその場で祝福した。

 ヤコブはその場所をペニエル(※「神(エル)の顔」の意)と名付けて、言った、「私は顔と顔を合わせて神を見たが、わが命は救われた」。彼がペヌエルを渡る時、彼に日が輝いた。彼は腿を引きずった。
 ヤコブは夜通し神と格闘して、神から「イスラエル」という名前を授かり、その名の理由として、「お前は神と人々と闘って、打ち勝ったという説明を受けています。

 この、「神と人々に」「打ち勝っ」てそれを意味する名前を与えられたことが、事勝国勝(ことかつくにかつ)長狭(ながさ)という「勝」の多い名に反映しているのだと思われます。

 なお、拙著に記載した通り、『古事記』には、神々の名前に旧約聖書等の物語が隠されています。事勝国勝(ことかつくにかつ)長狭(ながさ)という名前は『古事記』には登場しませんが、おそらく、この名前は、上記のヤコブの話を、神々の名前に隠して盛り込もうとして、最終的に断念したなごりではないでしょうか。




 以上、ニニギの物語には、『旧約聖書』のヤコブ(イスラエル)の物語が盛り込まれており、塩土(しおつつの)老爺(おじ)は神ヤハウェの役割を担っていることが分かります。

 続いて、(その3)では、、塩土(しおつつの)老爺(おじ)がニニギの子のホホデミに語った言葉を見て行きたいと思います。



◆参考文献等
書 名 等 著 者 出 版 社
『日本書紀(一)』


坂本太郎他 岩波文庫
『旧約聖書T 律法』

(旧約聖書翻訳委員会訳 岩波書店







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