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 5-(77).猿田毘古神と塩土老爺(その3)

 ※当記事は、(その1)(その2)からの続き。


 当記事では、(その2)に引き続き、塩土(しおつつの)老爺(おじ)の発言を見て行きたいと思います。



3.塩土老爺とヤハウェ(ホホデミの物語)

 続いて、以下の表は、塩土(しおつつの)老爺(おじ)が、ニニギの子のホホデミに語った言葉をまとめたものです。
塩土(しおつつの)老爺(おじ) → ホホデミ
現代語訳 訓み下し文
古事記 「ソラツヒコの泣き悲しんでおられるのは、どういうわけですか」

「私があなた様のために善い計画を立ててさし上げましょう」

「私がこの船を押し流しましたら、しばらくそのままお進みなさいませ。よい潮路がありましょう。そこでその潮路に乗ってお進みになったならば、魚の鱗のように家を並べて造った宮殿があって、それがワタツミノ神の宮殿です。その神の宮の御門においでになりましたら、傍らの泉のほとりに神聖な桂の木があるでしょう。そしてその木の上にいらっしゃれば、その海神の女があなたのお姿を見て、とりはからってくれましょう」
(いか)にぞ虚空津日高(そらつひこ)の泣き患ひたまふ所由(ゆえ)は」

(あれ)汝命(いましみこと)の為に善き(ことはかり)をなさむ」

(あれ)その船を押し流さば、差暫(ややしま)()でませ。(うま)御路(みち)あらむ。すなはちその道に乗りて往でまさば、魚鱗(いろこ)(ごと)造れる宮室(みや)、それ綿津見(わたつみの)神の宮ぞ。その神の御門(みかど)に到りましなば、(かたへ)の井の()湯津香木(ゆつかつら)あらむ。故、その木の上に()さば、その(わたの)神の(むすめ)見て相議(あひはか)らむぞ」
日本書紀
本文
「何のためにこんなところで悲しんでいるのですか」

「心配には及びません。私があなたのために考えてあげましょう」
(なに)の故ぞ(ここ)()しまして(うれ)へたまへるや」

(また)(うれ)へましそ。(われ)(まさ)(いましみこと)の為に(たばか)らむ」
日本書紀
一書(第一)
「あなたは誰ですが。何故ここで悲しんでいますか」 (きみ)(これ)誰者(たれ)ぞ。何の故か此処(ここ)(うれ)へます」
日本書紀
一書(第三)
塩土(しおつつの)老爺(おじ)は登場するがセリフ無し。
日本書紀
一書(第四)
「何故そんなに悲しまれるのですか」

「悲しまれますな。私が計り事をしてあげましょう」

「海神が乗る駿馬は八尋(やひろ)(わに)です。これがその(はた)を立てて橘の小戸におります。私が彼と一緒になって計り事をしましょう」
(なに)の故ぞ、若(かく)(うれ)へます」

(また)(うれ)へましそ。(われ)(たばか)らむ」

海神(わたつみ)の乗る駿馬(すぐれたうま)は、八尋(やひろ)(わに)なり。(これ)其の鰭背(はた)()てて、(たちばな)小戸(おど)に在り。(われ)(まさ)彼者(かれ)と共に(はか)らむ」
※古事記の訓み下し文は、『古事記』(倉野憲司校注/岩波文庫/1963)、現代語訳は、『古事記(上)全訳注』』(次田真幸/講談社学術文庫/1977)を使用。
 以上が、ホホデミが兄に借りた釣り針をなくして泣いているところに登場した塩土(しおつつの)老爺(おじ)の言葉です。

 基本的に、全て同じ内容を語っているのですが、『古事記』では、事細かに、その後に取るべき行動を説明し、また、『日本書紀』の一書(第四)では、八尋鰐が登場するのが異色です。


 さて、(その2)でも記載しましたが、自説では、アマテラスからの系譜は、以下の通り、『旧約聖書』の系譜に対応するとしており、ホホデミは『旧約聖書』のヨセフに当たります。
<日本神話> アマテラス → オシホミミ → ニニギ      → ホホデミ → 神武天皇
<旧約聖書> アブラハム → イサク  → ヤコブ(イスラエル) → 
ヨセフ  → ベリア
 なお、この系譜の対応では神武天皇はベリアに当たりますが、これは『旧約聖書』の『創世記』までの話で、日本神話では、さらに次の『出エジプト記』を盛り込む為に、神武天皇にはモーゼの物語が反映しています。

 そして、上記の通り、ホホデミは『旧約聖書』のヨセフに対応していますが、物語を検証すると、どうやら、
ホホデミにはヤコブ゙の物語が反映しているようです。

 まず、ホホデミとヤコブの物語を比べてみましょう。
ホホデミ ヤコブ
<兄の怒りを買う>
 兄に借りた釣り針を無くし、兄の怒りを買う。
<兄の怒りを買う>
 兄が受けるはずだった長子の祝福を受け、兄の怒りを買う。
<他の地へと行く>
 海神の宮へと行く。
<他の地へと行く>
 兄の怒りから逃れる為、母方の伯父の住む地へ行く。
<井戸で妻となる女性と出会う>
 海神の宮に着くと、門前に井戸があり、そこにいると、一人の娘がやって来てホホデミの姿に驚き、宮に戻って父の海神に一人の客人がいることを告げる。その娘は後に、ホホデミの妻となった。
<井戸で妻となる女性と出会う>
 伯父の住む地に着くと井戸があり、そこにいると、伯父の娘のラケルがやって来る。
 ヤコブはラケルに口づけし、ラケルは泣きだす。ヤコブが、自分が彼女の父親の親族であることを告げると、ラケルは父親のもとへ行ってそのことを告げる。ラケルはその後、ヤコブの妻となった。
<力を付けて戻って来る>
 海神に、神力を発揮する潮盈珠(しおみつたま)潮乾珠(しおふるたま)を与えられ戻って来る。
<力を付けて戻って来る>
 ヤコブは伯父のもとで、多くの家畜を所有するようになり、それらを引き連れて戻って来る。
 このように類似は、明らかでしょう。

 なお、ホホデミの物語の最後の方では、兄を懲らしめ、兄が貧しくなったりして、最終的に兄が帰順することになりますが、これは、ヤコブの物語というより、上記の系譜の対比通り、ヨハネの物語が反映していると思われます。


 さて、塩土(しおつつの)老爺(おじ)ですが、ホホデミ=ヤコブと捉えるなら、他の地へと行くよう導いたという点では、『旧約聖書』ではヤコブの
父イサクにあたる役割を果たしていることになります(※ただし、そう導くよう計らったのは母リベカ)。

 ただ、塩土(しおつつの)老爺(おじ)の言葉には、(その2)で記載したニニギの時のように、父イサクの言葉と対応するものは見い出せません。


 一方、ホホデミ=ヨセフと捉えるなら、他の地へと行くよう導いたという点で、塩土(しおつつの)老爺(おじ)
神ヤハウェの役割を果たしたことになります。

 ヨセフは兄弟たちに憎まれ、エジプトへ奴隷として売られることになりますが、そこで紆余曲折の上、宰相となります。その後、飢饉で食糧を買いに来た兄弟たちと再会し、最終的に、飢饉に喘いでいる父や兄弟たちを救うことになります。

 そして、ヨセフがエジプトへと売られる際、神ヤハウェは登場しませんが、兄弟たちに自分の正体を明かす際、次のように述べています。
『創世記』 45章4−5節 (『旧約聖書T 律法』 (旧約聖書翻訳委員会訳/岩波書店/2004))
 ヨセフは兄弟たちに言った、「近寄ってみて下さい」。彼らが近寄ると、彼は言った、「私はあなたがたがエジプトに売り渡した弟のヨセフです。でも、今は、私をここに売り渡したことで、悔んだり、気持ちをたかぶらせたりしないで下さい。あなたがたの生命を保つために、神があなたがたより先に私をここにお遣わしになったのです
 このように、ヨハネがエジプトに売られることになったのは、神の計らいであることが述べられています。

 そして、実際には、神ヤハウェは現れておらず、ヨハネに対して何の言葉もかけていませんから、塩土(しおつつの)老爺(おじ)のセリフの中に、『旧約聖書』に対応する言葉が無いのも当然であると言えます。


 以上、ニニギの物語で塩土(しおつつの)老爺(おじ)の言葉に神ヤハウェの言葉が対応していたこと、及び、系譜の対応では、ホホデミ=ヨセフですから、やはり、塩土(しおつつの)老爺(おじ)は『旧約聖書』の神ヤハウェの役割を果たす為に登場していると考えるのが妥当ではないかと思われます。




 正直、何故、ホホデミの物語の中に、ヨハネだけではなくヤコブの物語も混入しているのか良く分かりませんが、続いて、(その4)では、神武天皇の物語における塩土(しおつつの)老爺(おじ)の言葉を見て行きたいと思います。




◆参考文献等
書 名 等 著 者 出 版 社
『古事記』

倉野憲司(校注) 岩波文庫
『古事記(上)全訳注』

次田真幸 講談社学術文庫







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