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 5-(65).猿田毘古神=イエス・キリスト(その2)

 ※当記事は(その1)からの続き


2.天の八衝=沖ノ島

 (その1)で、ニニギが降臨しようとする際、(あめ)八衝(やちまた)にサルタヒコがいたという『古事記』に記述の説明をしましたが、私は、この話は本当にあった出来事をもとにしたのではと考えています。

 拙著『古事記に隠された聖書の暗号』で指摘した通り、『古事記』の神々の名前には物語等が隠されており、そこには、日本の国を創った主要メンバーが、朝鮮半島の伽耶から船で日本へ渡ったことが示されています(P.169-176)。

 そして、その船で渡来する際に、実際に、猿田毘古神、つまりは、イエス・キリストが現れたのではないかと考えています。より、現実的な表現をすれば、
「渡来時のメンバーにいた巫女が、イエス・キリストを幻視したと思った」というところでしょうか。ただし、他のメンバーにも分かるような異変、例えば、「光の柱が立つ」などといったような現象も起きていたことでしょう。

 その時の状況は、(その1)でも引用した『ダニエル書』に記載されているような、「見えたのは巫女だけだったけれども、他の者たちは「非常な戦慄に襲われて、逃げ出し」たような状況ではなかったかと思います。
『ダニエル書』 10章4−8節 (『旧約聖書W 諸書』 旧約聖書翻訳委員会訳/岩波書店/2005)
 1月24日のこと、私は大河ティグリスの河畔にいた。目をあげて見ると、そこには、亜麻布をまとい、腰にウパズの純金の帯をあてた一人の人がいた。その身体は黄玉のよう、顔は稲妻のよう、眼は燃え盛る松明のよう腕と脚は滑らかな青銅のよう語る声は大群衆の声のようであった
 
その幻を見たのは私ダニエルだけで、私と一緒にいた人たちはその幻は見なかった。にもかかわらず、彼らは非常な戦慄に襲われて、逃げ出し、姿が見えなくなった。
 私はただ独り残って
この大きな幻を見たが、私の力はもはや私に残らず、私の体面は失せ、私はなんの力も確保できなかった。

 また、『古事記』では、猿田毘古神は、(あめ)八衝(やちまた)にいたことになっていますが、おそらく、それは、福岡県の沖ノ島ではないかと思っています。


 沖ノ島は九州本土と朝鮮半島を結ぶ玄界灘洋上浮かぶ絶海の孤島で、23箇所の古代祭祀跡があり、そこからは、約8万点の祭祀遺物が出土し、それ以外にも約2万点の縄文時代、弥生時代の遺物が出土しています。

 また、島全体がご神体とされ、現在でも女人禁制、一木一草一石たりとも持ち出し禁止、等の掟が守られており、宗像大社の沖津宮がある場所でもあります(*2)。

 宗像大社は、沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、旧玄界町の辺津宮の三宮から成り、祭神はそれぞれ、田心姫(たごりひめの)神、湍津姫(たきつひめの)神、市杵島姫(いちきひめの)神で、これら三女神は、天照大神とスサノオが誓約(うけい)をした際に生まれた神です。


 さて、私がこの沖ノ島が(あめ)八衝(やちまた)であるとする理由ですが、まず、第一に、朝鮮半島と日本を行き来する上での船旅の要所の一つであることがあげられます。

 「天孫降臨」を朝鮮半島から日本への渡来だとすれば、その途中で登場してもおかしくない位置に存在していると言えるでしょう。

 そして、第二に、沖ノ島では、4世紀から10世紀初めまで、大和朝廷が鏡、金指輪、龍頭、唐三彩、馬具、奈良三彩など、最高級の豪華な品々を奉献して国家的な祭祀を行っており、それらの遺物は全て国宝・重要文化財に指定され、「海の正倉院」と称されるほどです(*2)。

 『古事記』や『日本書紀』を見ても、沖ノ島でそのような重要な祭祀を行う理由が見つからず、何故、そこまで沖ノ島にこだわり、祭祀を行っていたのかは不明です。しかし、そこまでするからには、それ相応の重大な理由があったはずです。

 第三に、沖ノ島を含む宗像大社の配置は、他の記事で指摘した通り、伊勢神宮の配置の原型となっています。

 具体的には下図の通り、宗像大社は、辺津宮を基準に、中津宮、沖津宮がそれぞれ、方位角317度、320度の方向に存在し、伊勢神宮は、伊雑宮を基準に内宮、外宮が同じく317度、320度の方向に配置されています。(※方位角・・・北を0度とし、時計回りの角度を示す。真東は90度、真南は180度となる)
<宗像大社 (福岡県)> <伊勢神宮 (三重県)>
 さらに付け足すなら、この発見をもとに調査した結果、下図の通り、裏内宮、裏外宮とも言える広隆寺と籠神社を見つけることが出来ました。広隆寺と籠神社は瀧原宮を基準に317度、320度の方向に配置されています。(※瀧原宮は伊雑宮と同じく、伊勢神宮の別宮で、かつ、離れた場所にある為に(とおの)宮と呼ばれる神社です)
<京都>
(注)本件に関する詳細は以下の記事を参照
5-(6).伊勢神宮の配置の秘密(3番目の伊勢神宮)
5-(18).広隆寺と籠神社の配置(裏内宮と裏外宮)
 このように、伊勢神宮は、宗像大社の配置を基準にして配置されており、それだけ、宗像大社(特に、沖ノ島)に、日本国に関わる重大な秘密が隠されているからに他なりません。


 以上、沖ノ島での大和朝廷の祭祀は、日本の他の地域では見られない、異常とも言える程のものであり、その場所で日本国建国に関わる重大な出来事があったに違いなく、また、日本の神社の総本社とも言える伊勢神宮の基準に宗像大社を用いていることも、やはり、国家規模での大きな意味があることを伺わせます。

 そして、その重大な出来事を、私は、猿田毘古神、つまりは、イエス・キリストの出現であると考えるわけです。

(*2)Wikipedia「沖ノ島」、『歴史読本 日本の大神社 総本社名鑑』(新人物往来社/2007年2月号)P.66-71




(その3)へ続く



◆参考文献等
書 名 等 著 者 出 版 社
『旧約聖書W 諸書』
旧約聖書翻訳委員会訳 岩波書店
『歴史読本 日本の大神社 総本社名鑑』(2007年2月号)
  新人物往来社







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