5-(62).鏡餅と三種の神器と蛇(その3) |
※当記事は(その1)、(その2)からの続きです。
4.鏡餅と蛇
次に鏡餅の「3段の円錐ピラミッド状」という形状に着目してみましょう。
なお、当該記事を作成するに当たり、鏡餅についていろいろと調べましたが、この鏡餅の形状について解説しているものを見つけることが出来ませんでした。
当然、形状そのものにも意味があると思えますので、以下では私の推論を述べて行きたいと思います。
「3段の円錐ピラミッド状」という形状。これは、おそらく見たままで、「とぐろを巻いた蛇」をイメージしたものでしょう。
(その2)にも掲載した鏡餅のイラストは、あえて、橙に葉っぱが一枚付いたものにしましたが、その葉っぱの部分を蛇の頭と捉えれば、まさに「とぐろを巻いた蛇」です。(※蛇だとするなら、串柿が邪魔ですが、それについては後述します)
古来、日本を含め世界各地の原始民族において、蛇は、脱皮をして生命の更新をする存在とされ、永遠の命を持った生物だと捉えられていました(*7)。
そして、(その1)で記載したように、正月は、年神を迎えて「魂の再生・更新」を図る日であり、人々が古い年齢の自分から、新しい年齢の自分へと変わる日です。まさに、脱皮をして生命を「再生・更新」する蛇のイメージと重なると言えるでしょう。
また、年神は穀物神ですが、蛇は稲作とも信仰上の結び付きが強い存在です。
弥生人は蛇を「田の神・稲の神・倉の神」として信仰していたようですし(*8)、また、中世以降に信仰された穀物神である宇賀神は、下記写真のような人頭蛇身で、とぐろを巻いた姿で表現されます。
宇賀神 (三鷹市井の頭) |
以上、蛇は、穀物神である年神を迎え、「魂を再生・更新」する正月にぴったりのモチーフであり、事実、地方によっては、「餅を細長く伸ばしたものを渦巻状に丸め、とぐろを巻いた白蛇に見立てる」という所もあるようです(*9)。
「3段の円錐ピラミッド状」という鏡餅の形状は、「とぐろを巻いた蛇」を模したものだと考えて間違いないと思われます。
(*7)『山の神』 (吉野裕子/講談社学術文庫/2008) P.24-25
(*8)『山の神』 (吉野裕子/講談社学術文庫/2008) P.30
(*9)Wikipedia「鏡餅」
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5.鏡餅と青銅の蛇
前節では、鏡餅の形状について考察しましたが、串柿については触れませんでした。
よって、さらに、串柿も含めた鏡餅の形状についても考察してみたいと思います。
(その2)で「鏡餅は、日本のよりもユダヤの『三種の神器』の方に近い」と記載しましたが、私は、全体の形状もユダヤ、つまりは、旧約聖書の記述に依拠しているのではないかと考えます。
結論から言えば、それは「青銅の蛇」です。
この「青銅の蛇」ついては、旧約聖書に、以下のようなエピソードが記載されています。
『民数記』 21章4-9節 (※概略)
モーセがイスラエルの民を率いてエジプトを脱出して荒野を進んでいる際、民が不平を言ったので、神ヤハウェが蛇を送り、その蛇は民に噛みついた。
多くの民が死んだので、モーセが祈ると神ヤハウェは蛇の像を作って竿の上に取りつけるように言い、モーセがその通りすると、蛇に噛まれた人でも、その青銅の蛇を仰ぎ見ると生き延びた。
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この「青銅の蛇」のエピソードは西洋の絵画でもよく描かれるもので、T字形、もしくは、十字形の竿に蛇が絡みついた形で表現されています。
そして、鏡餅の方に戻りますと、この「青銅の蛇」の竿の水平の棒が、串柿の部分に相当し、一方、垂直の棒はありませんが、「『とぐろを巻いた蛇』によって見えない」とすれば、鏡餅は旧約聖書の「青銅の蛇」を模したものではないかと想定され、かつ、鏡餅の形状に水平の棒が存在する必然性も出てくるわけです。
ただし、これだけだと、単に、「見ようと思えば、そのように見える」というだけの話であり、また、上記の旧約聖書のエピソードには、正月の「魂の再生・更新」というテーマとの関連も見えず、説得力は少ないでしょう。
当然、続きがあるのですが、それは(その4)にて記述したいと思います。
◆参考文献等
書 名 等 |
著 者 |
出 版 社 |
『山の神』
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吉野裕子 |
講談社学術文庫 |
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