5-(66).猿田毘古神=イエス・キリスト(その3)

 ※当記事は(その1)(その2)からの続き


3.猿田毘古神と天宇受売神・・・三位一体の陽と陰

 話が少し逸れましたが、『古事記』の猿田毘古神の物語に戻しましょう。

 それでは、(その1)で引用した『古事記』の続きです。
邇邇芸(ににぎの)(みこと) 2.猿田毘古神」 <『古事記』・現代語訳・(その1)からの続き>
 そこで、天照大御神と高木神の仰せによって、(あめの)宇受売(うずめの)神に命じて、「あなたはか弱い女であるが、向き合った神に対して、気おくれせず圧倒できる神である。だから、あなた一人で行ってその神に向かって、『天つ神の御子の天降りする道に、そのように居るのは誰か』と尋ねなさい」と仰せになった。それで(あめの)宇受売(うすめの)神が問いただされた時、その神が答えて申すに、「私は国つ神で、名は猿田毘古神と申します。私がここに出ているわけは、天つ神の御子が天降っておいでになる、と聞きましたので、ご先導の役にお仕えいたそうと思って、お迎えに参っております」と申し上げた。
 (あめの)宇受売(うずめの)神が選らばれた、「気おくれせず圧倒できる」という理由と『ダニエル書』の関連については(その1)で記載した通りです。

 『古事記』では、猿田毘古神と(あめの)宇受売(うずめ)の対峙シーンはこのように、あっさりしたものですが、『日本書紀』の方ではもう少し詳しく記載されているので見てみましょう。
『日本書紀 第九段一書(一)』 (訓み下し文)
 (すなは)(みとも)の神を(つかは)して、()きて問はしむ。時に八十万(やそよろづ)(かみたち)有り。(みな)()勝ちて(あひ)問ふこと得ず。(かれ)(こと)(すなは)天鈿女(あめのうずめ)(みことのり)して(のたま)はく、「(いまし)(これ)目人(めひと)に勝ちたる(かみ)なり。()きて問うべし」とのたまふ。天鈿女(あめのうずめ)(すなは)ち其の胸乳(むなぢ)(あらは)にかきいでて、裳帯(もひも)(ほそ)の下に(おした)れて、咲■(あざわら)ひて()きて立つ。

※■・・・(大笑の意)
 猿田毘古神に対峙した(あめの)宇受売(うずめ)は、胸をあらわにし、ヘソまで帯を下げて大笑いしていたようです。猿田毘古神もさぞかし、びっくりしたことでしょう(笑)。

 普通に考えれば、ただのイタい女ですが、(あめの)宇受売(うずめ)がこのような姿で描かれているのにも重要な意味が隠されています。

 まずは、(その1)で後回しにした、猿田毘古神の容姿は、鼻が非常に大きく、眼は「八咫鏡(やたのかがみ)の如く」という表現が取られていました。

 強調されているのは、目と鼻ですが、目は顔の中でくぼんだ所で、鼻は出っ張った所。上を向いて顔を水平にすれば、目が低いところで鼻は高いところと言えます。

 一方、(あめの)宇受売(うずめ)の方では、胸と臍(へそ)が記載され、そして、胸は体の中で出っ張った所で、へそはくぼんだ所です。

 くぼんだ所を●、出っ張った所を○で表せば、猿田毘古神と(あめの)宇受売(うずめ)はそれぞれ、
猿田毘古神 (あめの)宇受売(うすめ)
●●
○○
と表すことが出来き、凹凸で互いに対照的な関係になっていることが分かります。

 結論から言えば、これは、猿田毘古神と(あめの)宇受売(うずめ)がそれぞれ、日本版の三位一体を表し、加えて、男神である猿田毘古神がで、女神である(あめの)宇受売(うずめ)であることを示しています。

 本来、三位一体はキリスト教の概念で、「父と子と聖霊」を表す言葉ですが、日本では、別の神・人物を習合することによって隠して伝承しています。

 まず、猿田毘古神から見てみましょう。

 猿田毘古神の目は「八咫鏡(やたのかがみ)の如く」と表現されていましたが、八咫鏡(やたのかがみ)は、天孫降臨の際、天照大神が孫のニニギに、「これの鏡は、専ら我が御魂として、我が前を(いつ)くが(ごと)(いつ)(まつ)れ」(『古事記』)と言って授けたものであり、天照大神自身だと言うことが出来ます。

 そして、当然、眼は二つですから、八咫鏡(やたのかがみ)も二つ。しかし、天照大神が二人はいませんから、片方は、同じく自ら光を発する神である月読神であったと思われます。

 さらに、猿田毘古神で強調されていたのは、両目と鼻であり、そこから思い出されるのは、イザナギが三貴神を生んだシーンです。

 イザナギは、黄泉の国に行った後、川で禊祓(みそぎばらい)をし、最後に左目を洗った時に天照大神、右目を洗った時に月読神、鼻を洗った時にスサノオが生まれました。

 そして、このように、両目と鼻が強調されるのは、上述のように、それぞれ、くぼんだ所と出っ張った所であり、その前提とされているのは、ユダヤ教の密教とも言えるカバラで使用される「セフィロトの樹(生命の木)」です。
<セフィロトの樹(生命の木)>
「セフィロトの樹」は、宇宙を支配する法則を表したものであると言われ、また、人が神のもとへと至るためにとるべき手段・過程を表したものとされることもあります。
 「セフィロトの樹」は上図のように、峻厳の柱、均衡の柱、慈悲の柱の三つの柱からなり、中央の均衡の柱は、他の2つの柱よりも高い構造となっています。

 これをキリスト教の三位一体、及び、日本版の三位一体(三貴神バージョン)にに当てはめれば、次のようになります。
セフィロトの樹 キリスト教の三位一体 日本版三位一体
(三貴神バージョン)
均衡の柱 鼻(スサノオ)
慈悲の柱 子(キリスト) 左目(アマテラス)
峻厳の柱 聖霊 右目(ツクヨミ)
 鼻は顔の中で最も高い所で、中央に位置するものであり、それは、「セフィロトの樹」の中央で最も高い均衡の柱に相当するので、「スサノオ=均衡の柱=父」ということになり、後は、左右それぞれを当てはめれば上記の表の通りとなります。

 このように、猿田毘古神は両目と鼻で、セフィロトの樹、及び、キリスト教の三位一体を表し、一方、(あめの)宇受売(うずめ)も同様のことを表しながら、鼻に相当する箇所にヘソとと言うくぼんだ所を当てることによって、猿田毘古神の「陽」に対する「陰」であることを示しているのです。

 さらに、猿田毘古神と(あめの)宇受売(うずめ)はそれぞれ、日本版三位一体とも言える、三人の人物が合祀されているのですが、それについては後述します。

 なお、キリスト教とユダヤ教のカバラはともかく、中国の陰陽思想まで出て来て違和感を感じる人もいるかも知れません。

 しかし、唐代に中国に伝わったネストリウス派のキリスト教である景教が、「陰陽思想の影響を受けていた」という事実があることを参考までに記載しておきたいと思います。

 次の文章は、唐での景教の流行を記念して781年に建てられた大秦景教中国流行碑に刻まれている文章です。
『大秦景教中国流行碑』 第一段 (現代訳)
 ここに、常然真寂、はじめなくして奥深く霊虚しく、世の終末にあって妙力を持したまい、天地を創造し、預言者や使徒達を妙なるものとし、かくて元尊なる者、それただわが三位一体の妙神(神)であり、はじめなき真主なる阿羅訶(あらーへー)(神)である。十字をきって世界を定め、元風(聖霊)を発して二気(陰と陽)を生じ給う。暗空が一転して天地がひらけ、日月がめぐって昼夜となる。万物をつくりなして初人(アーダーム)をたて、特に良和(妻)を賜わって化海(変転きわまりない世に中)を鎮めさせ給う。

※現代訳は、『景教入門』 (神直道/教文館/1981)P.46のものを使用。
 これは、旧約聖書の天地創造の概略が記載されたものですが、キリスト教の三位一体思想が加味されているのは当然ながら、「二気(陰と陽)を生じ給う」と明らかに陰陽思想の混入が見られます。

 参考例としてあげることが出来るのは上記のみですが、日本へ伝来したキリスト教は、より密接に陰陽思想と融合し、
日本的キリスト教ともいうべきものを創り出して行ったのではないでしょうか。




 ※(その4)へ続く



◆参考文献等
書 名 等 著 者 出 版 社
『景教入門』
神直道 教文館
『失われたカッバーラ『陰陽道』の謎』
飛鳥昭雄・三神たける 学研







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