※当記事は以下の記事からの続きです。
○「七福神と『ヨハネの黙示録』(その1)」
○「七福神と『ヨハネの黙示録』(その2)」
○「七福神と『ヨハネの黙示録』(その3)」
◆毘沙門天
毘沙門天は、もとは、ヒンドゥー教の財宝福徳を司る神で、サンスクリット語ではクベーラと呼ばれる神です。インドの代表的な叙事詩『マハーバーラタ』では、ヒマラヤの北方の山中に住んでインドを守る善神とされています。
この神が仏教に取り入れられてからは、持国天、増長天、広目天と共に、仏法を守護する四天王の一人として北方防備の任を担い、しかも、四天王中最強の力を誇るとされました。
毘沙門天の梵名はヴァイシュラヴァナで、本来「ヴィシュラヴァス (vizravas) 神の息子」という意味ですが、この言葉は、「よく聞く所の者」という意味にも解釈できるため、多聞天とも訳されます。
また、『金光明最勝王経』には、如意宝珠陀羅尼法を修する者は、毘沙門天の誓いにより、災難を免れ、命を延ばし、金銀財福を得るとあることから、仏教圏においても、財福富貴の神様として篤く信仰されるようになりました。
なお、毘沙門天は、甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表され、持物は宝塔が一般的。
宝塔の他には、三叉戟を持つものが多いようですが、宝棒(仏敵を打ち据える護法の棍棒)や剣を持つものがあったりと、特に定まった姿はないようです。

興福寺 多聞天立像 |

安養寺 毘沙門天
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興福寺 護法善神扉絵
多聞天王 |
さて、毘沙門天は、(その1)で、三面大黒天の図を用いて説明したように、「再臨のキリスト」の二面性の内の峻厳を表わし、獣の軍勢と戦って勝利し、神罰を与える戦神としての性格を象徴しています。

三面大黒天
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また、上図で毘沙門天が持っているのは、宝棒と三叉戟です。
まず、宝棒ですが、『ヨハネの黙示録』に以下の通りの記述があるように、「再臨のキリスト」が持つ、「鉄の杖」と捉えることができます。
『ヨハネの黙示録』12章5節
女は男の子を産んだ。その子は、鉄の杖でもって、全ての民族を支配することになっている。 |
次に、三叉戟ですが、残念ながら、三叉戟は『ヨハネの黙示録』には出てきません。おそらく、これは、キリストの口から出ている「両刃の剣」を表わし、さらに、三叉とすることで、三位一体をも象徴するものとして捉えていると思われます。
『ヨハネの黙示録』2章16節
また、右手に7つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。 |
『ヨハネの黙示録』2章16節
だから、悔い改めなさい。もしそうしないなら、私は、すぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦おう。 |
なお、上述の通り、毘沙門天は、多聞天とも呼ばれ、持国天、増長天、広目天と共に、仏法を守護する四天王の一人です。
四天王は、聖徳太子が、物部守屋との神仏戦争の際に戦勝を祈願し、その後に四天王寺を建てたことでも有名ですが、この毘沙門天について、松本清張氏が下記の通り、興味深い説を紹介しています。
『カミと青銅の迷路 清張通史3』 P.118-119
毘沙門は漢語に意訳されるときは多聞となるが、これはもし毘沙門がミトラならば容易に説明がつく。すなわちアベスターによればミトラは千の耳をもつ(多くを聞く)神だからである。さらに四天王の毘沙門以外の三天王も、それがミトラの分身であるならば、漢語の訳名はきわめて無雑作にその意義がわかる。すなわちミトラは万の眼をもつ神(広目天)であり、国家を護持する神(持国天)であり、生長を司る神(増長天)であって、三天王はそれぞれの徳をいいあらわしている。四天王像が多く光背をもち、ことに毘沙門が光塔をもつのも拝火教の遺物ではなかろうか。
およそこうまでぴたりとあてはまるのは決して偶然ではない。西城から中国に輸入された毘沙門天信仰は、外形は仏教だが、その内容にはたぶんにイラン色がある。
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※この元ネタは、宮崎市定氏の説(『毘沙門天信仰の東漸に就て』『アジア史研究第二』所収)で、上記はあくまで、それを松本清張氏が要約したものの一部。
つまり、毘沙門天を始めする四天王は、それぞれ以下の通り、ミトラの神徳を表わしたものだと言うものです。
○多聞天 ・・・ 千の耳を持つ(多くを聞く)神
○広目天 ・・・ 万の眼を持つ神
○持国天 ・・・ 国家を護持する神
○増長天 ・・・ 生長を司る神
なお、ゾロアスター教においてミトラは、天光の神であり、正義、契約、盟約、真実を司るとされており、また、死者を裁く裁神や、戦いの神、そして、家畜や住居をはじめとする多くの富を与える神であるともされています。
この説に関して、実際にゾロアスター教の経典『アヴェスタ』を見てみましょう。
「『アヴェスタ』 ミフル・ヤシュト」 第2節7-8
ミスラ、広き牧地の主を我らは祭る
正しき言葉を語り、雄弁なる者、
千の耳を有し、美事なる姿の者、
万の眼を持つ、丈高き者、
遥けく見晴らす、強気者、
眠らざる者にして、常に目覚めたる彼を。
彼を、戦場におもむく領主たちは祭る
戦う両国の間にて陣を敷く、血に飢えたる敵に向かい。
(注)「ミスラ」はミトラのこと。また、最初の7行は、ミトラについて歌われる際の常套句の一つ。
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多聞天が「千の耳を有し」で、広目天が「万の眼を持つ」。そして、持国天が、後半部分の「戦場におもむく領主たち」が祭り、戦勝を祈願する戦神の姿であると言えるでしょう。他国との戦いに勝つことは、国を維持することに繋がります。(※ミトラを戦いの神として讃える箇所は他にも多数有り)
最後に、増長天です。上で引用した説では「成長を司る神」でしたが、それを明確に示唆する記載は『アヴェスタ』で見つけることができませんでした。
あげるとしたら、次の記載でしょうか。
「『アヴェスタ』 ミフル・ヤシュト」 第1節4
彼の富と光輝により、我は彼を祭る
聞き届けらるべき祭りをもって、
ザオスラをもって、広き牧地の主ミスラを。
ミスラ、広き牧地の主を我らは祭る。
アーリアの民に平和なる快き住居を与える彼を。
(注)「ザオスラ」とは、ゾロアスター教の教祖ザラスシュトラのこと。
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これも、ミトラを讃える時の常套句の一つですが、「広き牧地の主」とあります。これは、家畜を無事、成長させ、増やしてくれる神と捉えることができるでしょう。
ちなみに、増長天の梵名は「ヴィルーダカ」で「成長・増大したもの」と言う意味です。
さて、毘沙門天、及び、それを含む四天王の正体がミトラであるとするのなら、パルティア、アルメニアの両王国で信仰されていたゾロアスター教では、世界の終末にはミトラ神が到来して正義の復権を行うとされていました。
また、未来に下生して人々を救済するとされる弥勒菩薩の梵名マイトレーヤは、ミトラと語源が同じで「契約」を意味し、弥勒信仰には、ミトラ崇拝が影響を与えたと言われています。
以上、毘沙門天もその裏に、「再臨のキリスト」としての特性を秘めていると言えるでしょう。
※(その5)へ続く。
◆参考文献等
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