5-(78).猿田毘古神と塩土老爺(その4)

 ※当記事は、(その1)(その2)(その3)からの続き。


 当記事では、(その3)に引き続き、塩土(しおつつの)老爺(おじ)の発言を見て行きたいと思います。



4.塩土老爺とヤハウェ(神武天皇の物語)

 神武天皇の物語において、塩土(しおつつの)老爺(おじ)は直接登場しません。あくまで、神武天皇が「塩土(しおつつの)老爺(おじ)からこのように聞いた」という形式で登場するのみです。(※これは、『日本書紀』においてであって、『古事記』には名前すら登場しない)

 そして、その塩土(しおつつの)老爺(おじ)の言葉をまとめたものが以下の表です。
塩土(しおつつの)老爺(おじ) → 神武天皇
現代語訳 訓み下し文
日本書紀
神武紀
「東の方に良い土地があり、青い山が取り巻いている。その中へ天の磐舟(いわふね)に乗って、とび降ってきた者がある」 (ひむがしのかた)()(くに)有り。青山(あおやま)(よもに)(めぐ)れり。()の中に(また)天磐船(あまのいはふね)に乗りて飛び降る者有り」
 神武天皇の物語の中で、塩土(しおつつの)老爺(おじ)が登場するのは、この言葉のみですが、その言葉が神武天皇の東征のきっかけとなったことが伺えます。

 そして、(その3)でも記載しましたが、神武天皇は『旧約聖書』のモーセに対応していますので、当然、この塩土(しおつつの)老爺(おじ)の言葉に対応するものが『旧約聖書』にも見い出せます。
『出エジプト記』 3章6−8節 (『旧約聖書T 律法』 (旧約聖書翻訳委員会訳/岩波書店/2004))
 そして彼(※ヤハウェ))は言った、「私は、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」。モーセは顔を隠した。神を見ることを畏れたからである。
 ヤハウェは言った、「私は、エジプトにいる私の民の苦しみを確かに見届けた。彼らを追い立てる者の前で彼らが叫ぶ声を聞いた。まことに私は彼らの痛みを知った。私は降りて来た。エジプト人の手から彼らを救い出す為、そして彼らを導き上る為、
この地から、よい広い地へ、乳と蜜の流れる地へ、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、イェブス人のいる所へと。
 ここでは、神ヤハウェがモーセに、イスラエルの民を引き連れて「この地から、よい広い地へ、乳と蜜の流れる地へ」と行けと命じています。

 この神ヤハウェの言葉と塩土(しおつつの)老爺(おじ)の言葉を比較すると次の通りです。
塩土(しおつつの)老爺(おじ) 神ヤハウェ
(ひむがしのかた) ※ヤハウェの言葉には無いが、目的地カナンはエジプトから見て東
()(くに)有り よい広い地へ
青山(あおやま)(よもに)(めぐ)れり 乳と蜜の流れる地へ
 青山(あおやま)(よもに)(めぐ)れり」「乳と蜜の流れる地」は、どちらも、その土地に対する美称と捉えて良いでしょう。よって、塩土(しおつつの)老爺(おじ)の言葉がほぼ、そのまま、神ヤハウェの言葉の中に見出せることが分かります。

 なお、塩土(しおつつの)老爺(おじ)の言葉の()の中に(また)天磐船(あまのいはふね)に乗りて飛び降る者有り」は見い出すことが出来ませんが、これは、日本側の史実が反映したものだと思われます。




 以上、『古事記』と『日本書紀』における塩土(しおつつの)老爺(おじ)の活躍と、『旧約聖書』の神ヤハウェとの関連を見て来ましたが、続いて、(その5)では、塩土(しおつつの)老爺(おじ)と住吉大社の祭神である筒男神との関連を見て行きたいと思います。




<参考>鹽竈神社

 塩土(しおつつの)老爺(おじ)を祀る神社は鹽竈(しおがま)神社ですが、その総本社は宮城県塩竈市にあります。

 当社は陸奥国一宮で、祭神は塩土(しおつつの)老翁(おきな)神、武甕槌(たけみかつち)神、経津主(ふつぬし)神です。

 また、創建年代は不詳のようですが、当社は、武甕槌(たけみかつち)神と経津主(ふつぬし)神が奥州を平定した時に、両神の道案内をした塩土(しおつつの)老翁(おきな)神がこの地に留まり、人々に製塩を教えたことに始まると伝えられています。(*1)
(*1)『【縮刷版】 神道事典』(國學院大學日本文化研究所(編)/弘文堂/1999)P.644、HP「志波彦神社 鹽竈神社

 本論とは関係ありませんが、やはり、ここでも塩土(しおつつの)老爺(おじ)は導きの神としての役割を果たしています。




◆参考文献等
書 名 等 著 者 出 版 社
『【縮刷版】 神道事典』

國學院大學日本文化研究所(編) 弘文堂







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