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 5-(41).スサノオと「天照の一人目の巫女」の子供は三つ子


 前記事「5-(40).スサノオと「天照の一人目の巫女」の子供(再整理)にて、スサノオと「天照の一人目の巫女」(※以下、単に「天照」と記載)の子供を再整理しましたが、当記事では、この子供たちについてさらに突っ込んで見ていきたいと思います。

 前記事に記載した通り、スサノオと天照の三男の名の一つに、建内宿禰(たけうちのすくね)があります。

 建内宿禰(たけうちのすくね)は、古事記・日本書紀にてK景行・L成務・M仲哀・N応神・O仁徳天皇の5代の天皇に仕え、国政を補佐したことになっている人物です。死亡年齢は280才〜360才まで諸説あり、もっとも短いものでも280才で異常に長寿であったことになっています。

 これらの諸説は日本書紀などの記載を字義通りに捉えたものであり、私の説に従えば、もちろん、こんな長寿ではありません。

 K景行の正体はスサノオであり、建内宿禰(たけうちのすくね)はその三男でL成務は長男。M仲哀はJ垂仁の子供であり、J垂仁の死後、皇位をM仲哀から奪ったのがK景行(スサノオ)です。
 そして、K景行(スサノオ)の死後は、その長男のL成務が天皇になり、さらに、その後、神功皇后が東征をして、皇位を正統後継者であるN応神(M仲哀と神功皇后の息子。その時にはM仲哀は死亡していた)に取り戻すことになります。

 つまり、本来、K景行・L成務とM仲哀は並列で記載されるべきものであり、それを直列で一直線に並べてしまったが為に、建内宿禰(たけうちのすくね)は異常な長寿になってしまったわけです。

 なお、建内宿禰(たけうちのすくね)はK景行(スサノオ)の子でありながら、神功皇后の東征時には、神功皇后の側についてそれを支援します。それは、建内宿禰(たけうちのすくね)が父K景行(スサノオ)から忌み嫌われた子であったからです。
※詳細は拙著「古事記に隠された聖書の暗号」、及び、以下の記事を参照願います。
5−(12).浦嶋太郎の正体(その1)」、「5−(13).浦嶋太郎の正体(その2)
5−(14).浦嶋太郎の正体(その3)」、「5−(15).浦嶋太郎の正体(その4)
5−(16).浦嶋太郎の正体(その5)」、「5−(22).天照大御神の一人目の巫女の死因

 さて、この建内宿禰(たけうちのすくね)について、面白い記述があります。
 日本書紀の成務3年の記載です。
三年の春正月の(みずのとの)(とり)の朔(つちのとの)(うのひ)に、建内宿禰(たけうちのすくね)()て、大臣(おほおみ)としたまふ。(はじ)め、天皇と建内宿禰(たけうちのすくね)と、同じ日に()れませり。
 つまり、成務天皇と建内宿禰(たけうちのすくね)は同じ誕生日。そして、自説に従えば、成務と建内宿禰(たけうちのすくね)はスサノオの長男と三男なので、この二人は双子だったことになります。

 なお、この二人が双子であったことを示唆する記述は古事記にもあります。「葦原中国の平定」の物語です。

 この物語は、拙著、及び、記事「5−(13).浦嶋太郎の正体(その2)」に記載した通り、K景行(スサノオ)の皇位奪取と神功皇后による皇位奪還を神話化したものであり、天孫を降臨させる前に葦原中国を平定させる目的で派遣した天菩比(あめのほひの)神と天若日子(あめのわかひこ)は、それぞれ、K景行(スサノオ)とL成務のことです。

 そして、その物語の中では、天若日子(あめのわかひこ)(=L成務)が死亡した後の出来事が次のように記載されています。
 この時、阿遅志貴高日子根(あぢしきたかひこねの)神が訪れて天若日子(あめのわかひこ)の喪を弔っている時、天より降ってきた天若日子(あめのわかひこ)の父と、また、その妻がみんなで泣いて、「我が子が死なずに生きていた。我が君は死なずに生きておられた。」と言って、手足にすがって泣き悲しんだ。その間違った理由は、この二柱の神の容姿がとてもよく似ていたからである。
 このようなわけで、阿遅志貴高日子根(あぢしきたかひこねの)神が大いに怒って言った。「私は(うるわ)しき友であればこそ弔いに来たのだ。どうして、私を穢れた死人に(なぞら)えるのか。」と言って、帯びていた十掬(とつかの)剣を抜いて、その喪屋を切り伏せ、足で蹴り飛ばした。
 ここでは、天若日子(あめのわかひこ)阿遅志貴高日子根(あぢしきたかひこねの)神は、容姿がそっくりだったことになっています。

 阿遅志貴高日子根(あぢしきたかひこねの)神は前記事で三男であるとした神です。そして、天若日子(あめのわかひこ)は長男です。やはり、この二人は双子のようです。

 なお、長男と三男が双子であるなら、結局は三つ子であったことになります。

 さて、私が長男であるとしている人物は実は次男で、二人は双子であったのでしょうか、それとも、やはり三つ子であったのでしょうか。


 記事「5−(22).天照大御神の一人目の巫女の死因」 において、イザナミの死亡の話は天照の死亡の話が反映したものだと記載しましたが、そのイザナミが死亡した際に生まれた神の名を見てみましょう。古事記には次の通り、記載されています。
 次に、火之夜芸速男(ひのやぎはやおの)神を生んだ。またの名は火之R毘古(ひのかがびこの)神と言い、またの名は火之迦具土(ひのかぐつちの)神と言う。この子を生んだことにより、女陰が焼かれて病み()せってしまった
 イザナミの死亡の原因となったのは、火之夜芸速男(ひのやぎはやおの)神で、その別名は火之R毘古(ひのかがびこの)神と火之迦具土(ひのかぐつちの)神であると記述されています。

 ここでは一柱の神の三つの名が記載されていますが、実は三人の名、つまり、スサノオと天照の三人の息子のことを表しているのではないでしょうか。
 また、最初に記載されている名前は火之夜芸速男(ひのやぎはやおの)神ですが、これは、私が長男の名の一つとしている邇芸速日(にぎはやひの)(みこと)と「芸速」の二文字が一致しています。

 邇芸速日(にぎはやひの)(みこと)は、神武天皇の東征の際に先にヤマトの地にに降臨していた謎の人物で、最終的に天津瑞(あまつしるしみ)を献上して神武に帰順します。
 なお、私の説では、@神武=N応神、かつ、邇芸速日(にぎはやひの)(みこと)=L成務であり、神武の東征の物語は、実は子供のN応神を連れた神功皇后の東征の話です。


 以上、やはり、スサノオと天照の子は三つ子であったのではないかとと思います。

 そして、それを前提とすると、記事「5−(22).天照大御神の一人目の巫女の死因」では、天照の死亡理由について、

   「おそらく、前置胎盤による大量出血、もしくは、出産時の脳出血といったところでしょうか。」

 と記載しましたが、三つ子となると、また話は違ってきます。

 三つ子の場合、母親の死亡率は一人の場合の10倍という話もありますし、三つ子を生んだことでまさに「精も根も使い果たした」というのが原因だったのではないでしょうか。

 なお、三つ子だと三男だけが父スサノオから忌み嫌われる理由がなくなってしまいます。(※これまでは、火之夜芸速男(ひのやぎはやおの)神(火之R毘古(ひのかがびこの)神・火之迦具土(ひのかぐつちの)神)=三男で、天照の死亡は三男の出産が原因だとしていました)


 おそらく、二人目まではすんなり生まれてきたが、三人目がなかなか出て来ずにさんざん母親を苦しめ、しかも、生まれてきたのと同時に母親が亡くなってしまったというところでしょうか。

 「二人でも多いのに、三人も。しかも、なかなか生まれてこずに母親を殺してしまった」

 これが、スサノオが三男を忌み嫌い、遠ざけるようになった理由だったのではないでしょうか。






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