5-(55).応神天皇以降の系譜の構造 |
15代応神天皇以前の系譜の構造については、拙著『古事記に隠された聖書の暗号』に記載した通りですが、当記事では、さらに、応神天皇以降の系譜の構造について見て行きたいと思います。
まずは、下記の図をご覧下さい。
※画像をクリックすれば、大きいサイズのものを参照できます。
※兄弟は兄を右側に記載 |
左側が、アマテラスから初代神武天皇の系譜、右側は神功皇后から24代仁賢天皇までの系譜です。なお、右側の方は、基本的に天皇のみを記載し、その兄弟などは必要があるものしか記載していません。
一見して似た構造になっていることが分かると思います。ただし、異なる点もありますので、その箇所は青の点線で示してあります。
この相違点について、順に説明して行きましょう。
まず、一番左側の青の枠です。
「系譜(神功〜仁賢)」の方では、21代雄略天皇は19代允恭天皇の息子ですが、「系譜(アマテラス〜神武)」の方では、大物主神はホホデミと血縁関係にはありません。大物主神は、私が意図的にこの位置に配置したものです。
古事記の神武記では、大物主神の娘のイスケヨリヒメを神武天皇が皇后にしたことが記されており、一方、24代仁賢天皇は、21代雄略天皇の娘を皇后にしています。
また、自説では大物主神の正体はスサノオ(=景行天皇)ですが、下記の記事に記載した通り、古事記の雄略天皇の条には、スサノオの物語が隠されています。
つまり、雄略記にスサノオの物語が隠されていたのは、古事記の製作者が適当に選んだのではなく、系譜の対応関係から、あるべき箇所を選んで挿入していたと言うことになります。
なお、12代景行天皇(スサノオ)は古事記の記述上は11代垂仁天皇の息子ですが、拙著や当HPに記載した通り、実際には血縁関係にはありません。(※これについても、上記記事にて記載)
次の相違点は、神武天皇がウガヤフキアエズの子になっているのに対して、21仁賢天皇は、市辺押磐皇子の子に成っている点です。
こちらは簡単に説明できます。古事記の製作者は、神功から仁賢の天皇のみの系譜を元にし、天皇になった順番に系譜をつなげて、神話時代の系譜を創り上げたからです。
ただし、21代雄略天皇はスサノオに相当し、アマテラスの系譜からは外れますので、20代安康天皇に対応するウガヤフキアエズの子供にしたのです。
また、イツセは神武天皇の兄になっていますが、それに相当する23代顕宗天皇は24代仁賢天皇の弟です。兄弟関係は逆になっていますが、天皇になった順番は弟の23代顕宗天皇の方が早いので、イツセは兄ということになっているのです。
最後の相違点は、一番下の兄弟の人数です。
これについては、拙著に記載した通り、旧約聖書の系譜に合わせる為に兄弟の数を2倍にした為です。(※詳細は拙著を参照願います)
以上のように、これら二つの系譜の相違点は明確にその理由を説明できるものであり、そこには、製作者の意図が現れていると言えるでしょう。
そして、さらに、上記以降の系譜についても比べてみましょう。次の図のようになります。
※画像をクリックすれば、大きいサイズのものを参照できます。
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左側が初代神武天皇から9代開化天皇までの系譜、右側が24代仁賢天皇から32代崇峻天皇までの系譜です。
左側の系譜は天皇については親から子へと一直線の系譜ですが、比較しやすいように右側と配置を合わせています。
この図を見て分かるように、初代神武〜9代開化までの系譜は24代仁賢〜32代崇峻までの天皇を一直線に並べて作成したことが分かります。
なお、特筆すべきなのは、31代用明天皇の妹として33代推古天皇がいますが、それに対応させて、8代孝元天皇の妹にヤマトトモモソビメがいることです。(ただし、上記の通り、同母か異母かの違いはあり)
ヤマトトモモソビメは自説では「アマテラスの一人目の巫女」であり、それが推古天皇に対応していると言うことは、すなわち、古事記の作成者は推古天皇もアマテラスの巫女として捉えていたと言うことが分かります。
また、推古天皇の和風諡号は「豊御食炊屋比売命」ですが、この食事を作る姿を連想させる名前は、自説でヤマトトモモソビメの別名の1つであるとしている豊受大神の姿と重なります。
豊受大神は伊勢神宮の外宮に祀られる神で、御饌都神とも呼ばれ、御饌、つまり神々に奉る食物を司る神です。
さらに、31代用明天皇の息子には聖徳太子がいます。そして、それに対応しているのが少名日子建猪心命です。
少名日子建猪心命は、自説ではその正体は、真の初代天皇の10代崇神天皇です。
また、この少名日子建猪心命と聖徳太子が対応していると言うことは、すなわち、日本の真の初代天皇(※天皇という称号を初めて用いたと言う意味で)は聖徳太子であるかも知れません。
なお、古事記の記載は上記系譜の最後である32代崇峻天皇で終了であり、拙著の記述と上記の記述を合わせれば、古事記に記載された天皇は全て、これらの系譜の対応関係に含まれていることになります。
以上、拙著『古事記に隠された聖書の暗号』を出版した際には、古事記の秘密についてまだまだ積み残しがあると感じていたのですが、ようやく、全体の骨格が見えてきたように思います。
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