5-(29).八咫烏=聖霊


(注)2012.10.25追記
 以下の記事では、「猿田毘古神=塩椎(しおつちの)神」とし、かつ、塩椎(しおつちの)神を三位一体の聖霊に相当するとしていますが、現在は、塩椎(しおつちの)神を聖霊に限定するより、三位一体そのものを体現していると考えた方が良いのではないかと考えています。

 考えがまとまり次第、別途、掲載したいと思います。


 当記事では、前記事「5-(28).邇芸速日命子イエス・キリスト」に引き続き、男性版三位一体の聖霊に対応している人物を明らかにしたいと思います。


 前記事に記載した通り、男性版のイエス・キリストを表す場合の名称は「天照国照彦(あまてるくにてるひこ)」となるわけですが、この名前と同等の表現が取られている神が一人います。

 天孫降臨の際、(あめ)八衢(やちまた)に現れ、道案内をした猿田毘古(さるたひこ)神です。

 猿田毘古(さるたひこ)神は古事記で、次のように表現されています。
日子番能(ひこほの)邇邇芸(ににぎの)(みこと)、天降りまさむとする時に、(あめ)八衢(やちまた)に居て、(かみ)高天(たかま)の原を(てら)し、(しも)葦原中(あしはらのなかつ)国を(てら)す神、ここにあり。
 ここに記載されている通り、猿田毘古(さるたひこ)神は「(かみ)高天(たかま)の原を(てら)し、(しも)葦原中(あしはらのなかつ)国を(てら)す神」です。
 高天(たかま)の原を「天」とし、葦原中(あしはらのなかつ)国を「国」とすれば、そのまま「天照国照(あまてるくにてる)」という名前が出来上がります。

 このような表現がとられている理由、それは猿田毘古(さるたひこ)神が天照国照彦(あまてるくにてるひこ)と同一神であり、男性版三位一体を体現する神だからです。


 また、「三位一体」という概念では、三つの存在は三つで一つであり、同じ存在の現れ方の違いで呼び方が異なるだけだと言えるでしょう。


 では、猿田毘古(さるたひこ)神は三つの内のどの存在の特質が前面に出てきた神でしょうか。

 そのキーワードとなるのは「導き」です。

 猿田毘古(さるたひこ)神は天孫降臨の際、道案内をして導いています。

 そして、拙著に記載した通り、古事記の天孫降臨、及び、その前の「葦原中(あしはらのなかつ)国の平定」の物語は、須佐之男(すさのおの)(みこと)に皇位を奪われた、天つ神系の皇位奪還劇を神話化したものです。

 垂仁天皇の後、須佐之男(すさのおの)(みこと)が本来、天皇になるはずの仲哀天皇から皇位を奪って景行天皇となり、その後は、その子の邇芸速日(にぎはやひの)(みこと)が成務天皇となります。そして、さらにその後に神功皇后が皇位を奪還します。
※詳細は、拙著、及び、以下の記事を参照願います。
   「5−(12).浦嶋太郎の正体(その1)」、「5−(13).浦嶋太郎の正体(その2)」、
   「5−(14).浦嶋太郎の正体(その3)」、「5−(15).浦嶋太郎の正体(その4)

  5−(16).浦嶋太郎の正体(その5)5−(21).天照大御神の一人目の巫女の死因
 この皇位奪還劇は、古事記の天孫降臨、及び、その前の「葦原中(あしはらのなかつ)国の平定」以外にも、次の3つの箇所に形を変えて記載されています。

   ○海幸彦と山幸彦
   ○神武天皇の東征
   ○神功皇后の新羅征討、及び、東征

 まず、この3つの物語で、猿田毘古(さるたひこ)神と同じ役割、つまり、導く役割をしている人物をピックアップしてみます。
物語 人物名 内容
海幸彦と山幸彦 塩椎(しおつちの) ○兄の釣り針を無くして悩んで泣いている山幸彦(穂穂手見(ほほでみの)(みこと))を海神の宮へと送り出す。
神武天皇の東征 槁根津日子(さおねつひこ) ○神武天皇が瀬戸内海を船で進んでいる時、亀に乗って釣りをしながら現れ、海路を案内する。
八咫烏(やたがらす) ○神武天皇が陸路を進んでいる際、天より遣わされ、道案内をする。
神功皇后の新羅征討、及び、東征 建内宿禰(たけうちのすくね) ○神功皇后が神の託宣を受ける際、審神(さにわ)(懸った神の判定を行ったり、神託の内容の判断を行う役)を行う。そして、その際、「西の方に国有り、(くがね)(しろがね)(はじめ)として目の炎耀(かがや)種種(くさぐさ)(めづら)しき宝、(さわ)にあり。(われ)、今その国を()せたまはむ」、「およそ、この国は、(いまし)(みこと)の御腹に坐す御子の知らさむ国なり」などの神託を受ける。
○禊ぎをする為に、応神天皇を連れて敦賀に行く。(※神功皇后の東征後の話)
 
 上の四人が導く役割を果たしていて、猿田毘古(さるたひこ)神と同一人物の可能性があるのですが、さらに検証してみましょう。(※建内宿禰(たけうちのすくね)についてはあまり導く要素がありませんが、同一人物であると思われるので記載しています。詳細は以下を参照して下さい。)


 まず、塩椎(しおつちの)神です。

 塩椎(しおつちの)神は、「塩土(しおつつ)」、「塩筒(しおつつ)」とも記載されます。

 「住吉大社神代記」には、塩筒(しおつつ)老翁が住吉大神の代わりに国見をしたとあり、住吉三神のなりかわりとみなされています。
 住吉三神は、「5-(28).邇芸速日命子イエス・キリスト」に記載した通り、男性版三位一体を表す神です。

 さらに、鹿児島県日置市の九玉神社の祭神は猿田毘古(さるたひこ)大神ですが、神社の由来が書かれた立て札には、祭神について猿田毘古(さるたひこ)大神、また、塩土(しおつつ)老翁」と書かれています。つまり、九玉神社では、猿田毘古(さるたひこ)大神と塩土(しおつつ)老翁が同じ神であるとしているわけです。

 塩椎(しおつちの)神が猿田毘古(さるたひこ)神と同一人物であることは間違いないでしょう。

 なお、塩椎(しおつちの)神は日本書紀において、神武天皇の東征の際にも登場します。
 神武天皇がまだ九州の日向国にいた頃、(ひむがしのかた)()(くに)有り。青山(あおやま)(よもに)(めぐ)れり。其の仲にまた、天磐船(あめのいわふね)に乗りて飛び降る者有り」と教え、東征のきっかけを与えたのが塩椎(しおつちの)神です。


 次に、槁根津日子(さおねつひこ)です。

 裏外宮である丹後の(この)神社には、亀の上に乗った倭宿禰(やまとすくねの)(みこと)の像があり、当神社のHPには次のように記載されています。
倭宿禰(やまとすくねの)(みこと)

海部宮司家の四代目の祖で神武天皇が御東遷の途次、明石海峡に亀にのって現れ、天皇を大和の国へ先導したといわれ、さらに、大和建国の功労者として倭宿禰の称号を賜った。


 ※
http://www.motoise.jp/main/saishin/kono/index.html
 上述のように、槁根津日子(さおねつひこ)は、神武天皇の東征の際に、瀬戸内海で亀に乗って現れて道案内をした人物であり、つまり、倭宿禰(やまとすくね)(みこと)とは、槁根津日子(さおねつひこ)の別名ということになります。

 亀に乗った人物ということで浦嶋太郎を彷彿とさせますが、さらに、(この)神社の摂社には蛭子(えびす)神社があり、HPでは次のように説明されています。
蛭子(えびす)神社

之の社は恵美須とも云い、彦火火出見(ひこほほでみ)(みこと)倭宿禰(やまとすくねの)(みこと)を祭る。


 ※
http://www.motoise.jp/main/saishin/kono/index.html
 つまり、蛭子(えびす)として祀られているのが、彦火火出見(ひこほほでみ)(みこと)倭宿禰(やまとすくねの)(みこと)なわけです。

 蛭子(えびす)(ひるこ)とは、伊邪那芸(いざなぎの)神と伊邪那美(いざなみの)神が最初に産んだ子で、古事記には「葦船に入れて流し()てき」とあり、海に流されたことになっています。

 また、自説によれば、彦火火出見(ひこほほでみ)(みこと)の正体は仲哀天皇であり、須佐之男(すさのおの)(みこと)によって出雲の地に流されました。まさに、古事記に「葦船に入れて流し()てき」という属性を有していると言えるでしょう。

 さらに、私の解釈に従えば、彦火火出見(ひこほほでみ)(みこと)、つまり、仲哀天皇は浦嶋太郎でもあり、亀に乗って海を漂う姿は、倭宿禰(やまとすくねの)(みこと)の姿とも重なります。
※詳細は、拙著、及び、以下の記事を参照願います。
   「5−(12).浦嶋太郎の正体(その1)」、「5−(13).浦嶋太郎の正体(その2)」、
   「5−(14).浦嶋太郎の正体(その3)」、「5−(15).浦嶋太郎の正体(その4)

  5−(16).浦嶋太郎の正体(その5)5−(21).天照大御神の一人目の巫女の死因
 では、仲哀天皇と倭宿禰(やまとすくねの)(みこと)は同一人物なのでしょうか。

 いえ、違います。同一人物であるならば、(この)神社のHPで上のように記載されるはずがないからです。もし、そうなら、彦火火出見(ひこほほでみ)(みこと)、またの名は、倭宿禰(やまとすくねの)(みこと)を祭る」とならなければなりません。

 結局、ここから分かることは、「海に流された人物が二人いる」ということです。
 出雲は、海の統治を任された須佐之男(すさのおの)(みこと)のテリトリーであり、つまり、出雲(=海)に流された人物が仲哀天皇の他にもう一人いて、そのもう一人が倭宿禰(やまとすくねの)(みこと)なのです。

 そして、「海に流された」ことを象徴し、二人とも亀の上に乗って海を遊泳しなければならなかったのでしょう。

 なお、以上からは、槁根津日子(さおねつひこ)猿田毘古(さるたひこ)神の一致点は「導いた」以外には見出せませんが、この人物の正体を明らかにすれば全て繋がってきますので、ここではこの程度で留めたいと思います。


 続いて、八咫烏(やたがらす)です。

 八咫烏(やたがらす)は、造化三神(ぞうかさんしん)の一人である高御産巣日(たかみむすひの)神によって遣わされ、困難に満ちた神武天皇の進軍の道案内を行いました。

 高御産巣日(たかみむすひの)神は、「5-(20).伊勢神宮で祀られている神々の正体(まとめ)」で記載したように、正体はイエス・キリストです。
 イエス・キリストによって遣わされ、しかも、鳥です。鳥は、「5-(26).鳥居の密儀」にて記載したように三位一体の聖霊の象徴です。

 また、「新撰姓氏録」には、賀茂建角身(かもたけつぬみの)(みこと)神魂(かみむすびの)(みこと)の孫で、神武東征の際、高木神・天照大神の命を受けて日向の曾の峰に天降り、大和の葛木山に至り、八咫烏(やたがらす)に化身して神武天皇を先導した」と記載されています。

 つまり、 八咫烏(やたがらす)賀茂建角身(かもたけつぬみの)(みこと)の化身です。

 賀茂建角身(かもたけつぬみの)(みこと)は下鴨神社に祀られる神であり、「5-(28).邇芸速日命子イエス・キリスト」に記載した通り、須佐之男(すさのおの)(みこと)の別名で、かつ、三位一体の父ヤハウェに相当する神です。

 よって、その父ヤハウェの化身であるということは、つまり、天にいる父のこの世的な顕現であり、父によって遣わされた聖霊であることを示しているのでしょう。

 以上、八咫烏(やたがらす)は、三位一体の聖霊に当たる存在であると思われます。

 なお、八咫烏(やたがらす)は神武天皇が陸路での道案内であり、一方、槁根津日子(さおねつひこ)は海路での道案内です。
 どちらも、道案内をして導く存在であり、陸と海とで顕現する形態が異なるだけで別人物であると考える必要はないと思われます。

 また、もし両者が別人で槁根津日子(さおねつひこ)が海路を案内しただけであるのなら、大和建国の功労者として倭宿禰(やまとすくね)(みこと)の名を賜ることはなかったでしょう。国つ神系との交戦が始まり激化するのは陸に上がってからであり、海路の案内はあまり貢献度が高いとは言えません。


 最後に、建内宿禰(たけうちのすくね)です。

 上の表でも述べた通り、神功皇后の口寄せに立ち会った際、降りた神が次のように語っており、
西の方に国有り、(くがね)(しろがね)(はじめ)として目の炎耀(かがや)種種(くさぐさ)(めづら)しき宝、(さわ)にあり。
 一方、日本書紀で神武天皇に塩椎(しおつちの)神が次の通り言ったと記載されています。
(ひむがしのかた)()(くに)有り。青山(あおやま)(よもに)(めぐ)れり。
 西と東の違いはあれど、素晴らしい国があると言っている点では一致し、また、これらの言葉が神武天皇、及び、神功皇后の遠征のきっかけとなっています。

 また、神功皇后の遠征には、他に導きを行う人物は登場せず、おそらく、このような一致は、建内宿禰(たけうちのすくね)塩椎(しおつちの)神(=猿田毘古(さるたひこ)神)と同一人物であることを示唆する為のものではないかと思われます。(※上で述べたように、神武天皇の東征と神功皇后の東征は元々、同一の出来事を形を変えて記載したものです。)


 以上、上記表に記載した4人の人物は全て同じ人物のことであり、かつ、キリスト教の三位一体の聖霊に対応していると思われます。



 では、この人物の正体は、いったい誰でしょうか。

 三位一体の父に当たるのが須佐之男(すさのおの)(みこと)で、子に当たるのが須佐之男(すさのおの)(みこと)の長男の邇芸速日(にぎはやひの)(みこと)であるのなら、聖霊も須佐之男(すさのおの)(みこと)の血縁者が当てられているのではないかと思われます。

 須佐之男(すさのおの)(みこと)と天照の一人目の巫女の子は、邇芸速日(にぎはやひの)(みこと)を含め男子が三人いました。

 まず、次男ですが、神功皇后の東征の際、最後まで戦って敗れていますから、導きの神とはなりえません。

 そうなると、残るは三男です。

 「5-(21).天照大御神の一人目の死亡理由」に記載した通り、一人目の巫女は三男を産んだ際に死亡しています。この事実は、伊邪那岐(いざなぎの)(みこと)伊邪那美(いざなみの)(みこと)の国生みの際、最後に火之迦具土(ひのかぐつちの)神を生んで女陰を焼かれ、伊邪那美(いざなみの)(みこと)は死亡したという話で古事記に盛り込まれています。

 ただし、その後、火之迦具土(ひのかぐつちの)神は、妻が死んでしまったことに怒った伊邪那岐(いざなぎの)(みこと)に殺されています。

 生まれてすぐに三男が須佐之男(すさのおの)(みこと)に殺されたなら、ここで話は終了です。

 しかし、伊邪那岐(いざなぎの)(みこと)に殺されたという話が、「海に流されたこと」の暗示であると考えれば、話は違ってきます。

 先に記述した通り、(この)神社のHPでは、亀に乗って現れた倭宿禰(やまとすくね)(みこと)は神武天皇を導いたとされ、また、蛭子(えびす)として祀られています。

 そして、須佐之男(すさのおの)(みこと)の三男がこの倭宿禰(やまとすくね)(みこと)のことであるとすると、同じく海(=出雲)に流された仲哀天皇との接点も見出すことができ、さらに、須佐之男(すさのおの)(みこと)の子でありながら、天つ神側についた動機も説明できることになります。

 三男の誕生によって最愛の妻を失った須佐之男(すさのおの)(みこと)は、この三男を疎み遠ざけようとしたのでしょう。三男の顔を見るたびに亡くなった妻のことを思い出してしまうからです。

 妻を失った須佐之男(すさのおの)(みこと)の悲しみは、古事記には次のように記述されています。
速須佐之男(はやすさのおの)(みこと)()せし国を()らさずて、八拳須心(やつかひげむね)(さき)に至るまで(※幾握りもある長いあごひげが、胸元に垂れるまで)()きいさちき。その泣く(さま)は、青山は枯山(からやま)の如く泣き枯らし、河海は(ことごと)に泣き()しき。

※物語上は亡き母である伊邪那美(いざなみの)(みこと)に会いたいという理由で泣いている。
 生まれた時に母が死んでしまった三男は、他の兄弟とは違い父から愛されず、疎まれ遠ざけられた。天つ神側についた動機としては十分ではないでしょうか。

 そして、須佐之男(すさのおの)(みこと)の死亡後もその子が支配していたヤマトに攻め入る際の先導役として、この三男はうってつけであったでしょう。「須佐之男(すさのおの)(みこと)の子である」という事実をかなり有効に活用することができたのではないかと思います。


 以上、まとめると、男性版三位一体の聖霊に当たる人物は、須佐之男(すさのおの)(みこと)の三男。その三男の名は次の通りです。
塩椎(しおつちの)
槁根津日子(さおねつひこ)倭宿禰(やまとすくねの)(みこと)
八咫烏(やたがらす)
建内宿禰(たけうちのすくね)
火之迦具土(ひのかぐつちの)
賀茂別雷(かものわけいかづちの)神 (注)
押別(おしわけの)(みこと) (※「5-(21).天照大御神の一人目の死亡理由」参照)
(注)賀茂別雷(かものわけいかづちの)神は上賀茂神社に祀られる神で、下鴨神社で祀られる賀茂建角身(かもたけつぬみの)(みこと)(=須佐之男(すさのおの)(みこと))と玉依媛(たまよりひめの)(みこと)(=一人目の巫女)の子供。
 「5-(28).邇芸速日命子イエス・キリスト」では、賀茂別雷(かものわけいかづちの)神を邇芸速日(にぎはやひの)(みこと)としました。しかし、その賀茂別雷(かものわけいかづちの)神の子孫である鴨氏が自ら八咫烏(やたがらす)を名乗ることもあることを考えると、むしろ、長男の邇芸速日(にぎはやひの)(みこと)ではなく三男のことを指していると考えた方が相応しいと思われます。

  (参考)上賀茂神社(下鴨神社だったかも)に張られていた張り紙
  

 また、上賀茂神社は794年の平安遷都後、王城鎮護の神社として崇敬を受けましたが、その理由は、神武天皇の東征の際、先導役を務め王権奪還に貢献した神だからだと考えることができます。






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