5-(69).猿田毘古神=イエス・キリスト(その6)

 ※当記事は(その1)(その2)(その3)(その4)(その5)からの続き


6.猿田毘古神の本当の名前

 当記事では、猿田毘古神の名前の秘密について考察して行きたいと思います。

 まず、猿田毘古神の名前について、『歴史読本 古事記 日本書紀 謎の神々』では次のように説明されています。
『歴史読本 古事記 日本書紀 謎の神々』 (新人物往来社/2011年11月号) P.117 多田元氏寄稿分
 サルタヒコの名義については、沖縄語「サダル(先導する)」に求める説、「サ(神稲―サヲトメなどのサ)の田の神」また「日神の使いである猿の守る神田の男性」とする説、滑稽な「戯れ技」をする男ととる説、地名「狭長田」(「紀」)に由来すると解く説などがあるが、記紀共通の表記から考えるならば「猿」の義が強く意識されていたと考えるべきであろう。「紀」が具体的にその容姿に言及するのも大猿としての理解が関与したものと考えてよい。「猿」は、『日本書紀』皇極天皇4年正月条に、あちらこちらから「猿の(さまよふおと)が聞こえた時に、時人が「伊勢大神の使なり」と伝えるように、日神の使いと考えられていた。それは猿が払暁(ふつぎょう)に盛んに吠えることに由来するとされる。夜明けに鳴く「鶏・鳥」が日の先導をするという考え方と同じである。それが「伊勢大神」と記されるのは、「日の神」の使いとしての「猿」が「伊勢」と由縁深いものとして理解されていたからであろう。
 私も、猿田毘古神が光の神であり、また、本来の天照大御神であるとするところから、猿田毘古神の「猿」はそのまま「猿」を表し、「日神の使い」がイメージされたものであると考えます。
(参考)
 拙著『古事記に隠された聖書の暗号』(P.264)では、「サ(神稲―サヲトメなどのサ)の田の神」の説をとっていました。

 ただし、付け加えるならば、「猿田毘古神」という名前自体が、本来の姿(=真の天照大御神)を隠す為に、あえて、神使である「猿」を冠して劣化させたものであると考えています。

 そして、「猿田毘古神」が劣化させられる前の名前は、
「神田毘古神」です。

 何故なら、「神」のつくりの部分は「申」で、これは「サル」とも読みます。つまり、

    神 → 申 → 猿

という経緯で意図的に劣化させた名前が「猿田毘古神」なのです。

 単なる言葉遊びに過ぎないように思われるかも知れませんが、これと同様の経緯で名称が変更されたものがあります。猿楽です。

 世阿弥が書いた『風姿花伝』には、次のようにあります。
『風姿花伝 第四神儀云』 <現代語訳>
 上宮太子(聖徳太子)は、末代のため、もともとは「神楽(かぐら)」であったのを、「神」とう字の偏を除いて、(つくり)を残された。これが日(よみ)(十二支)の(さる)という字だから、申楽と名づけた。すなわち、「楽しみ申す」の義である。または、神楽から分かれたことに生じたものだ。
 つまり、「申楽」という名前は、もともとは「神楽」だったのを偏を除いたもので、それを名づけたのは聖徳太子。そして、「申楽」は「猿楽」とも言われ、むしろ、こちらの方が一般的でしょう。

 以上のように、「猿田毘古神」の本当の名前は「神田毘古神」。


 さらに、この名にキリスト教的解釈をしてみましょう。

 「神」はそのままで神。「田」の方は、□と+から成り、その文字の中に十字架が隠れています。

 また、『ヨハネの黙示録』では、人々が穀物にたとえられ、再臨のキリストがその穀物を刈り取るシーンが描かれています。そして、人々が穀物であるならば、その穀物が育つ田は、「この世、世界」ということになります。(※詳細は、記事「5-(37).案山子が象徴するもの」を参照。)

 つまり、「神の田」は、「神の世、神の世界」を示す言葉であり、それは、再臨のキリストが支配し、悲しみも苦しみも無い理想の世界、いわゆる千年王国を暗示する言葉なのです。




 ※(その7)に続く。



◆参考文献等
書 名 等 著 者 出 版 社
『歴史読本 古事記 日本書紀 謎の神々』(2011年11月号)
  新人物往来社







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