5-(70).猿田毘古神=イエス・キリスト(その7)

 ※当記事は(その1)(その2)(その3)(その4)(その5)(その6)からの続き


7.猿田毘古神が祀られる神社

 当記事以降では、猿田毘古神が祀られる神社について記載して行きたいと思います。


(1).椿大神社


 椿大神社(つばきおおかみやしろ)は三重県鈴鹿市にある神社で、別称、猿田彦大本宮。猿田彦大神を祀る神社の総本社とされます。

 祭神は猿田彦大神で、相殿に、天孫降臨を導いた瓊瓊杵(ににぎの)尊と、その母の栲幡千千姫(たくはたちぢひめの)命が祀られています。

 そして、当社のHPによると、創建の由来は以下の通りのようです。
HP「椿大神社」 → 「由緒
 当社は、伊勢平野を見下ろす鈴鹿山系の中央に位置する高山(入道ヶ嶽)短山(椿ヶ嶽)を天然の社として、太古の神代より祭祀されていた「猿田彦大神」の御神霊を、人皇第11代垂仁天皇の御代27年秋8月(西暦紀元前3年)に、「倭姫命」の御神託により、大神御陵の前方「御船磐座」付近に瓊々杵尊・栲幡千々姫命を相殿として社殿を造営し奉斎された日本最古の神社であります。
 創建されたのは垂仁天皇27年(紀元前3年)で、倭姫命に神託が降り、入道ヶ嶽・椿ヶ嶽を天然の社としていたのを別途社殿を造営したようです。

 この椿大神社(つばきおおかみやしろ)は、記事「5-(46).椿大神社の配置」に記載した通り、伊勢神宮(内宮)と気比神宮を結んだライン上に位置し、そのラインと「椿大神社(つばきおおかみやしろ)→熱田神宮」のラインは直角となっています。

 また、椿大神社(つばきおおかみやしろ)と、入道ヶ嶽の奥の宮を結ぶラインを延長して行けば、籠神社へとたどり着きます。さらに、真西には伏見稲荷大社が位置しています(※詳細は「5-(46).椿大神社の配置」を参照)。

 なお、真西い位置する伏見稲荷大社の主祭神である宇迦之御魂(うかのみたまの)神の正体は、自説では「再臨のキリスト」であるとしています。(※詳細は記事「5-(32).稲荷神社と「ヨハネの黙示録」(その1)」を参照。また、伏見稲荷大社については後述。)

  
  ※上図に記載した度数は方位角で、真北を0度とし、時計回りに度数を示したもの。真東は90度、真南は180度となる。


   

 以上は、記事「5-(46).椿大神社の配置」に記載したものですが、若干、情報を追加すると、「熱田神宮→椿大神社」のラインを伸ばした先には、以下の通り、大阪の住吉大社があります。(※66度と65度だが、誤差は1度以内)
出発点 到達点 方位角 距離
椿大神社 熱田神宮 66°26′56.94″ 45,434.882(m)
住吉大社 椿大神社 65°42′32.13″ 95,998.416(m)
※緯度経度の算出は、「MAPPLE 地図」を使用(※現在は提供されていない)
※方位角・・・北を0度とした時の角度。東は90度、南は180度になる
※方位角と距離は、「測量計算(距離と方位角の計算)」のPGMを使用
<参考:各地点の緯度経度>
地点名 北緯 東経 備考
椿大神社 北緯34度57分41秒 東経136度27分17秒    
熱田神宮 北緯35度7分27秒 東経136度54分42秒  
住吉大社 北緯34度36分33秒 東経135度29分48秒  
 住吉大社は、イザナギが禊ぎをした時に生じた「底筒之男(そこつつのをの)(みこと)」、「中筒之男(なかつつのをの)(みこと)」、「上筒之男(うはつつのをの)(みこと)」が祀られる神社です。

 (その4)で記載した通り、私は、この三神を、猿田毘古神の死亡時に生じた、「(そこ)どく御魂(みたま)」、「つぶたつ御魂(みたま)」、「あわさく御魂(みたま)」と同じく、男性版三位一体を表す神々であると考えています。

 そして、
「神社の配置」という観点から見てみても、やはり、猿田毘古神を祀る椿大神社と、底筒之男(そこつつのをの)(みこと)等を祀る住吉大社とは、強い関連を持って配置されていることが分かります。

      
<参考>
 上記では、椿大神社と伊勢神宮の内宮、気比神宮が一直線に並んでいるとしましたが、伊勢神宮の別宮である月読宮も含めて方位角を調べてみると以下の通りです。
出発点 到達点 方位角 距離
内宮(ないくう) 椿大神社(つばきおおかみやしろ) 336°08′56.81″ 61,863.172(m)
月読(つくよみの) 椿大神社(つばきおおかみやしろ) 335°07′21.05 60,126.313(m)
椿大神社(つばきおおかみやしろ) 気比神宮 335°58′40.70″ 83,916.608(m)
 「椿大神社→気比神宮」の方位角は335度58分。そして、「内宮→椿大神社」は336度8分で、「月読宮→椿大神社」は335度7分です。

 よって、月読宮よりも内宮の方が、「椿大神社→気比神宮」のラインと、より近い位置にあります。

 ただし、「椿大神社→気比神宮」と「月読宮→椿大神社」の方位角も誤差1度以内なので、神社の配置を決めた人物は、むしろ、こちら側を意図していた可能性もあります。

 そして、それを前提とすれば、椿大神社は、記事「5-(7).伊勢神宮の配置の秘密(グランドクロス)」に記載したグランドクロスの縦軸上に配置されていることになります。

   

 以上、椿大神社は、他の重要な神社を意識して配置されていることが分かります。


 さらに、椿大神社(つばきおおかみやしろ)の名前の解釈をしてみましょう。(※記事「5-(46).椿大神社の配置」にも同様のことを記載)

 「椿」の字を分解すると「三人日木」(※日本の古来の読み方通り、右から左へ)となり、「三人の日の木」と読めることになります。

 猿田毘古神は、(その1)で記載した通り、『古事記』に「上は高原をらし、下は葦原中らしている神」と記載されていた通り、光の神であると同時に太陽神であり、また、イエス・キリストも光の神です。

 よって、「三人の日」とは、猿田毘古神が体現しているキリスト教の三位一体を暗示する言葉であると言えます。

 そして、「木」は、古来、日本では神の寄代とされ、木自体が神として祀られることもあります。

 さらに、キリスト教では、以下の通り、「木」は、キリストが架けられた十字架を象徴するものであり、
『キリスト教シンボル事典』 (ミシェル・フィエ(著)武藤剛史(訳)/白泉社/2006) 「木」
 キリスト教の伝統では、木は換喩的に十字架を示す。
 また、景教の経典では、キリストの磔刑について以下の通り、「木の上にしばりつけた」と表現されており、「十字架」もしくは、それに類する言葉を使用せずに単に「木」と記載されています。
『序聴迷詩所経』 (現代訳)
 弥師訶(メシア)は、まさに自ら死をうけようとした。悪者たちは弥師訶を別の処に移し、(はい)(丘阜)の上の木札をかかげた所すなわち訖句(ゴルゴダ)と名づけた所に向かわせ、木の上にしばりつけた。さらに二人の強盗を弥師訶の左右にならばせた。弥師訶を木の上にしばりつけたのは5時であった。

※現代訳は、『景教入門』 (神直道/教文館/1981)P.123のものを使用。
※「木の上にしばりつけた」の原文は、「木上縛着」。
※『世尊布施論第三」では、磔刑は「高いところに上()けられる(上懸高)」と表現されている。
 以上、『古事記』や『日本書紀』の記載を見ても、何故、猿田毘古神を祀る神社の名前が「椿」なのかは分かりませんが、このように漢字を分解して解析してみれば、意図的に「椿」の名が冠せられていることが分かります。

 真の正体がイエス・キリストで、かつ、キリスト教の三位一体を体現する猿田毘古神を祀る神社として、これほど相応しい名前は無いと言えるでしょう。





 ※(その8)へ続く




◆参考文献等
書 名 等 著 者 出 版 社
『キリスト教シンボル事典』

ミシェル・フィエ(著)武藤剛史(訳) 白泉社
『景教入門』

神直道 教文館







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