5-(38).宇迦之御魂神と聖霊


 記事「5−(32).稲荷神社と「ヨハネの黙示録」」にて、その正体を再臨のキリストであると指摘した宇迦之御魂(うかのみたまの)神ですが、当記事ではさらに宇迦之御魂(うかのみたまの)神について見ていきたいと思います。


 宇迦之御魂(うかのみたまの)神は、古事記、日本書紀、それぞれ一箇所のみに登場します。

 まず、古事記の方です。
<古事記>
また大山津見神の(むすめ)、名は神大市(かむおおいち)比売(ひめ)(めと)して生める子は、大年(おおとしの)神。次に宇迦之御魂(うかのみたまの)神。二柱 
 これは、スサノオの神裔が記述されている箇所で、スサノオと神大市(かむおおいち)比売(ひめ)の子が大年(おおとしの)神と宇迦之御魂(うかのみたまの)神であると記載されています。
 大年(おおとし)の「年」は稲を意味し、宇迦之御魂(うかのみたま)の「ウカ」は稲を中心とする食物を意味します。

 また、神大市(かむおおいち)比売(ひめ)は、拙著「古事記に隠された聖書の暗号」に記載した通り、天照の一人目の巫女でスサノオの妻です。
 この夫婦の子は、男子が三人と女子が一人の四人ですが、ここで登場しているのはその長男と三男です。
(注) 拙著、及び、記事「5−(22).天照大御神の一人目の巫女の死因」では、宇迦之御魂(うかのみたまの)神を次男であるとしていますが、これらを記載した時点では三男の重要性に気付いていなかった為であり、現在は、三男であるとするのが妥当であると考えています。
 スサノオと天照の一人目の巫女の子の別名については、別途、整理し直す予定です。
 そして、この親子は「父と子と聖霊の三位一体」に次のように対応しています。
三位一体 古事記
父:スサノオ
子(キリスト) 長男:大年(おほとしの) 
聖霊 三男:宇迦之御魂(うかのみたまの)
※より正確に言うと、この親子にキリスト教の三位一体のそれぞれが合祀されています。
また、この親子が「父と子と聖霊の三位一体」に対応しているという詳細については、以下の記事を参照願います。
  ・「5−(27).須佐之男=天なる父」
  ・「5−(28).邇芸速日命=子イエス・キリスト」
  ・「5−(29).八咫烏=聖霊」
 ただ、これだと、再臨のキリスト(宇迦之御魂(うかのみたまの)神)が聖霊に相当することになってしまいます。

 通常、聖霊は神と人との仲立ちをする存在で、人は聖霊を与えられることにより神の御心を知り、また、悪霊を追い出したり、病気を癒したりといったことができるようになるとされます。
 また、再臨するのは通常、子・キリストであるとされ、聖霊ではありません。

 ただし、世の終末にやってくるのは聖霊だと解釈することができる記述が新約聖書にはあります。
<ヨハネの福音書(16章7−13節)>
 だが、私はあなたがたに真理を言う。私が去ることは、あなたがたにとって有益である。私が去らないなら、弁護者(※)があなたがたのところに来ることはないが、私は、自分が行けば、彼をあなたがたのもとに派遣することになるからである。

 その方が来る時には、罪について、義について、また裁きについて、世を暴くであろう。罪について、つまり人々が私を信じようとしないことを、義について、つまり私が父のもとに往こうとしており、もはやあなたがたが私を見なくなることを、また、裁きについて、つまりこの世の支配者が裁かれてしまっていることを。

 あなたがたに話しておきたいことが私にはまだたくさんあるが、今はあなたがたがそれに耐えられない。だが、その方、つまり真理の霊(※)が来る時には、あなたがたをあらゆる真理の内に導くであろう。その時、彼は自分から語るのではなく、聞くことを語り、来るはずのことをあなたがたに告げることになるからである。

※弁護者・真理の霊・・・聖霊のこと。ヨハネの福音書では、他の福音書と違い弁護者や真理の霊といった言葉が使用されている
 つまり、イエスが十字架に架けられることによって、やって来るのが聖霊(弁護者)で、聖霊が来た時には世を暴き、真理を明らかにするということです。
 この記述をもとにすれば、再臨する救世主は聖霊(弁護者・真理の霊)であると捉えることもできます。

 ただし、ここでは、イエスの死後、すぐにやってくるのか、世の終末にやってくるのか明示されていませんが、『新約聖書』(新約聖書翻訳委員会・岩波書店)の注釈では、聖霊について以下のように説明がなされています。
 世の終りに、神から与えられると信じられていた救いの霊。キリスト教は、それがイエスの復活で現実と化し、信者には終末の賜物の先取りとして既に与えられているとした。
 やはり、キリスト教では聖霊が本格的にやってくる(与えられる)のは世の終りのことであると考えられていたようです。

 もしかすると、日本にキリスト教を伝えた人々は、終末に再臨する救世主が聖霊であると考えていたのかも知れません(ただし、三位一体なのでどっちでも同じと言えば同じなのですが)。

 また、宇迦之御魂(うかのみたまの)神には「魂」という言葉が含まれています。他の記事で記載したように、聖霊に相当する神の名前には「魂(タマ)」がつけられることが多いようですし、やはり、宇迦之御魂(うかのみたまの)神は聖霊に対応していると考えて間違いないでしょう。
  
神名 詳細記載記事
天照御魂(あまてるみたまの) 5−(25).木嶋坐天照御魂神社と天照御魂神
櫛玉(くしたま)
※「天照国照彦(あまてるくにてるひこ)天火明(あめのほあかり)櫛玉(くしたま)饒芸速日(にぎはやひの)(みこと)」という名の一部
5−(28).邇芸速日命=子イエス・キリスト


 次に日本書紀です。
<日本書紀・一書>
また(やは)しかりし時に生めりし(みこ)を、倉稲魂(うかのみたまの)(みこと)(もう)す。
 これは、イザナギとイザナミの夫婦神が様々な自然神を生んでいる際の記述です。
 つまり、倉稲魂(うかのみたまの)(みこと)の親はイザナギとイザナミということになります。

 古事記では宇迦之御魂(うかのみたまの)神の親はスサノオと天照の一人目の巫女でしたが、記事「5−(22).天照大御神の一人目の巫女の死因」に記載した通り、イザナギとイザナミの物語にはそれぞれ、スサノオと天照の一人目の巫女の物語も反映し、また、合祀されているので矛盾はしません。



 以上、当記事では、宇迦之御魂(うかのみたまの)神について見てきましたが、次の記事では、宇迦之御魂(うかのみたまの)神と同一神とされることの多い、保食(うけもちの)神について見てみたいと思います。






TOPページ