サルタヒコの名義については、沖縄語「サダル(先導する)」に求める説、「サ(神稲―サヲトメなどのサ)の田の神」また「日神の使いである猿の守る神田の男性」とする説、滑稽な「戯れ技」をする男ととる説、地名「狭長田」(「紀」)に由来すると解く説などがあるが、記紀共通の表記から考えるならば「猿」の義が強く意識されていたと考えるべきであろう。「紀」が具体的にその容姿に言及するのも大猿としての理解が関与したものと考えてよい。「猿」は、『日本書紀』皇極天皇4年正月条に、あちらこちらから「猿の吟が聞こえた時に、時人が「伊勢大神の使なり」と伝えるように、日神の使いと考えられていた。それは猿が払暁に盛んに吠えることに由来するとされる。夜明けに鳴く「鶏・鳥」が日の先導をするという考え方と同じである。それが「伊勢大神」と記されるのは、「日の神」の使いとしての「猿」が「伊勢」と由縁深いものとして理解されていたからであろう。
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