5-(71).猿田毘古神=イエス・キリスト(その8)

 ※当記事は(その1)(その2)(その3)(その4)(その5)(その6)(その7)からの続き


7.猿田毘古神が祀られる神社


(2).都波岐神社・奈加等神社

 椿大神社(つばきおおかみやしろ)と同じく三重県鈴鹿市にある神社で、現在ある神社は明治時代に両社を合併したもので、都波岐(つばき)奈加等(なかと)神社とも称されます。

      

 そして、両社の祭神は以下の通りです。
都波岐(つばき)神社 猿田彦大神
奈加等(なかと)神社 天椹野(あまのくのの)
中筒之男(なかつつのおの)
 社伝や一説によれば創建は雄略天皇23年(479年)で、山部直広幡の女・多加屋姫に中筒男命が神懸りして託宣し、伊勢国造の高雄束命(猿田彦の八世の孫という)がこの2つの神社を同時に造営したが始まりだそうです(*5・*6)

 よって、どうやら、この2社は同時に造営されたもので、セットとして捉えて良いと思います。
 また、何故、わざわざ別々に建設したのかは不明ですが、合併前の位置が分かれば、何か特別な位置関係が分かるかも知れません。

 さらに、何故、突然、 中筒之男(なかつつのおの)命の託宣が降り、自分の神社だけならともかく、猿田彦大神の神社も同時に造営させたのか、『古事記』や『日本書紀』の記述だけからは、よく理解できません。

 しかし、(その4)で記載した通り、猿田毘古神の死亡時に生じた、「(そこ)どく御魂(みたま)」、「つぶたつ御魂(みたま)」、「あわさく御魂(みたま)」と、イザナギが禊ぎをした時に生じた「底筒之男(そこつつのをの)(みこと)」、「中筒之男(なかつつのをの)(みこと)」、「上筒之男(うはつつのをの)(みこと)」が、同じ男性版三位一体を表す神々であると捉えれば、関連が見えてきます。

 さらに、三柱の祭神の名前を見てみれば、天椹野(あまのくのの)命が天なので中筒之男(なかつつおの)命が、そして、猿田彦大神は海底で死亡したのでとなり、やはり、これら三柱でも「(そこ)どく御魂(みたま)」や「底筒之男(そこつつのをの)(みこと)」と同じく三位一体の関係になっていることが分かります。
位置 キリスト教の
三位一体
都波岐神社
奈加等神社
日本版三位一体
(男性バージョン)
天椹野(あまのくのの) 上筒之男(うはつつのをの)(みこと)
=あわさく御魂(みたま)
聖霊 中筒之男(なかつつおの) 中筒之男(なかつつのをの)(みこと)
(そこ)どく御魂(みたま)
子(キリスト) 猿田彦大神 底筒之男(そこつつのをの)(みこと)
=つぶたつ御魂(みたま)

 なお、天椹野(あまのくのの)命は聞き慣れない神ですが、『古事記』、『日本書紀』に登場せず、『先代旧事本紀』の「本紀巻 第三 天神本紀」にニギハヤヒが天降る際に、共に降った32人の一人として名前が記載されています。

 それによると、

    「天椹野(あまのくのの)命 中跡直(なかとのあたひ)等祖(たちのおや)

とあり、また、『先代旧事本紀 訓註』(大野七三/批評社/2001)の注釈では、

    「伊勢郡河曲郡
中跡郷(『和名抄』奈加止と註す)に関係する神である」(P.64)

とあるので、この地域の豪族の祖先神のようです。

 ちなみに、奈加等(なかと)神社の祭神は、もともとは中筒之男(なかつつおの)命一柱だったようで、後から天椹野(あまのくのの)命が追加になったようです(*6)。
(*5)Wikipedia「都波岐神社・奈加等神社」、
(*6)HP「玄松子の記憶」→「神社記憶」→「東北地方」→「都波岐神社・奈加等神社

 (参考)現在の都波岐(つばき)奈加等(なかと)神社の配置についても調べてみましたが、特別なものは見つけることができませんでした




 ※(その9)へ続く



◆参考文献等
書 名 等 著 者 出 版 社
『先代旧事本紀 訓註』

大野七三 批評社








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